第5話 男子は信用できない?
再び、プリスカの家の食堂である。マリア、プリスカ、フェベの三人は、たくさん喋ったり、食べたり、笑ったりして、愉快な時間を過ごした。久しぶりに集まれたことが、うれしかったのだ。
気がつくと、外はすっかり日が暮れていた。しかし、プリスカの家には、電灯の設備がある。パルティアで発明された電池を地下のバックヤードに備え、真夜中でも、室内に光を灯すことができるのだ。電灯があるおかげで、プリスカの家に集まる女子たちは、夜どおしで話し込むことができる。
マリアは、当初、エフェソ近郊の教会の女子信徒全員に、臨時招集をかけていた。みんなでパウロの家に押しかけよう。ちょうど夏休みだから、みんな集まれるはずだ。……と考えていたのである。ところが、さきほど飛脚の青年を通してプリスカが伝え聞いたところでは、三人のほかは、「受験に向けた夏期講習や、部活の練習、家族旅行などの予定が入っていて、来られない」という返事であった。
知らせを聞いて、マリアはすこしがっかりした。その様子を見て、プリスカが声をかけた。
「しかたないよ。今年の夏は、今年しかないし。みんな、いつかは別々の道を歩み出すときが来るのだから」
別々の道、か。──マリアは、
でも、プリスカやフェベとたくさん話しているうちに、マリアは、だんだんと、自分の心がやわらかくなっていくのを感じた。そういえば、博学なプリスカは、じつは大学に正規生として籍を置いたことがない。父親の紹介で主要都市の大学研究室を個別訪問するほかは、各科目の家庭教師についてもらい、自宅でまじめに勉強したと聞いている。フェベは、今年からコリントの大学の科目を履修しているけれど、彼女の場合は、競技成績に基づく無試験合格。いわゆるスポーツ特待生である。
たしかに、人生の道のりは、ひとつではない。
友だち一人ひとりと顔を合わせて話してみると、ほんとうに一人ひとり、ちがうんだということを実感する。一人ひとりに個性があって、一人ひとり、育ってきた環境もまったくちがう。進むべき進路もちがう。ちがっていいんだ。これからわたしが歩んでいく道に、正しいとか、外れてるとかはないんだ。──マリアは、親友たちと話しているうちに、すこしずつ、心の中のトゲトゲしたものが、とけてゆくのを感じた。
ひとしきり話したあとは、プリスカの提案で、食堂を教室に見立てて、模擬授業をすることになった。
最初に、プリスカが国際紛争の解決に向けて、彼女自身の方針を語った。それは本当に素晴らしいスピーチだった。理想を掲げるだけではない。コーカサス地方の事例をもとに、具体的な資源獲得競争などの課題をあげ、その解決に向けたアイデアを彼女は示した。
一方、フェベの講義タイトルは、「うちらは、いかにしてパウロをしばくか」(註:「しばく」とは、ケンクレアイをはじめとするギリシャ人の言葉で「
「まずな!! うちとプリスカが、
そして今度は、プリスカとフェベの二人が
マリアは、今日何を話すか考えていなかったが、最近思っていたことをありのままに話すことにした。
「どうして、女性は社会で活躍できないんだろう?」
これは、マグダラのマリアの生涯をつらぬく研究テーマにほかならない。マリアは、自分がこれまでに経験したこと、感じていたことを述べるとともに、どうして、今回みんなに集まってもらったのかを素直に話した。
「じつはわたし、『正直、男子は信用できないな』って感じることがたくさんありました。今回のパウロの手紙の件もそうでした。それで、女子たちみんなで集まって、ちゃんと意見を言いたいと思いました」
話しているうちに、マリアは、自分の考えをしっかり言語化できるようになった。──わたしは、パウロに直談判したいのであって、けんかをしたいわけではないのだ。そうだ。
彼女は、最後に語った。
「わたしたちの主であるイエス・キリストは、愛という名の新しい戒めをお示しになられました。──愛。互いに愛しあいなさい。それこそが、第一の戒めです」
プリスカとフェベが拍手をする。台所からも拍手喝采だ。このように、彼女たちは、ときどき先生になりきって、親友たちの前で熱弁をふるう。それが、彼女たちには最高に面白いのだ。
「みんな、ありがとう。最後まで聞いてくれて」
マリアは、ちょっとはにかみ、プリスカとフェベに笑いかけた。台所のお手伝いさんたちから、「先生ー!!」という喝采が届いた。マリアは、何だかくすぐったい気持ちになった。
「あはは……。先生って呼ばれると、うれしいけれど、変な気持ちだな。」
今度は、フェベが提案した。
「なあ、恋バナしよ!! 恋バナ!! プリスカとアキラの真実の愛!! いつまでも幸せな日々!!」
「え、……そんな話せるようなことないよ」
と、プリスカは恥ずかしそうだ。フェベは彼女に畳みかけて、
「なあなあ、プリスカはアキラ以外の男の人を好きにならんの? ならんの?」
「なるわけないよ!」
即答だ。
「せやろな笑笑 ラブラブやもんな笑笑 ほな、この流れで王様ゲームやろ!! うちが王様!! まずはプリスカに命令!!」
「まって。絶対変なことさせるでしょ!」
顔を真っ赤にして言う。プリスカよ、今、いったいどんな変なことを想像したのだ。マリアは、プリスカとまあまあ長い付き合いなので、プリスカがちょっとシュールな笑いを好むということを知っているぞ。
……と、そのとき、食堂の片隅にある機械を通じて、玄関にいるお手伝いさんから緊急通信が入った。通信手段は、古典的な機械じかけで、あらかじめ決めておいた符牒を表示するものである。
──『Ⅰ Ⅱ Ⅲ』
機械は、歯車の廻転によって、三桁のローマ数字が表示される仕組みになっている。『Ⅰ Ⅰ Ⅰ』なら、父帰る。『Ⅱ Ⅱ Ⅱ』なら、ごはんだよ。……『Ⅵ Ⅵ Ⅵ』なら、役人来たる。数字の組み合わせによって、お手伝いさんが、玄関や台所から、ほかの部屋にいるプリスカたちに情報を送信できる。広い別荘の中では、こういった通信手段があると便利である。それに、突然の来訪者から家の教会の秘密を守るためには、こういった仕掛けが役に立つのだ。
さてさて、『Ⅰ Ⅱ Ⅲ』の数字が意味するものは、……
──たいへんだ。
プリスカの家に、聖母の御出現である。
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