第2話 臨時招集。プリスカの家にみんな来て!

 まずは、作戦会議である。エフェソの教会に集まっている奉仕者たちに、マリアは臨時招集をかけた。集合場所は、プリスカの家。エフェソ近郊にいる人は、全員集合!

「許せない。……本当に許せない。今すぐあいつを×ボコりに行きたい……ッ!! でも、そうしたら、きっと男子ヤツらの思うツボだわ」

 マリアは思案した。どうして、あんな手紙が出てしまったのか。推察してみると、どうも、男子だけで勝手に話が盛り上がって、ああいう文面に仕上がっちゃったんだと思う。文句を言いに行くならば、こっちも徒党を組んだほうがいい。


 マリアは、さっきより少しだけ冷静さを取り戻していた。彼女は、今、仲間うちで集まるときにいつも入り浸っているプリスカの別荘ヴィッラの一室で、お菓子を頬張っている。そこは本来、食堂である。だが、数人でゆったり座れる臥台ソファがあるから、女の子同士、何時間も無駄話をするのにぴったりなのだ。今、彼女は、奉仕者たちの到着を「まだか、……まだか……」と待ちかねているところであった。

 プリスカは、マリアの親友の一人である。幼少期から長年ローマで暮らしていたプリスカは、教会の重要議案に対処すべく、今はエフェソに滞在していた。彼女の親はいわゆる富裕層であり、複数の事業経営の傍ら、ローマ帝国領内にいくつもの不動産を所有している。ここエフェソにも、両親と、プリスカ自身の管理人を務める高層集合住宅インスラ貸別荘ヴィッラが何棟もある。神の教会に出席する信徒たちの多くが、プリスカの所有する物件に下宿し、共同で生活していた。

 マリアは、そんな親友の手作りお菓子を頬張りながら、たった今思いついたことを早口でまくしたてた。

「ねえ、プリスカ。パウロが住んでるところもあなたの所有ものなんでしょ? あなたからも、パウロにキツく言ってくれない?」

「でもマリア、まずは話を聞いてみないと、事情がよくわからないよ」

 と、プリスカは、焦るマリアをそっと諌めた。プリスカは今、お手伝いさんたちにまじって、隣の台所で家事をこなしている。

 プリスキラとも呼ばれる彼女は、天性の人格者である。ローマにいたときも、コリント、エフェソに滞在中も、つねに、集まりの中心に彼女がいた。

 人を疑うことを知らない、完成された人格が、生まれながら、彼女を真の奉仕者たらしめていた。父親の仕事の関係で、彼女は国際経験が豊かだった。子どもの頃から、ローマ帝国領内はもとより、ペルシャ、コーカサス地方をさえ訪れたことがあったという。プリスカの父親がローマ−オスロエネ両国間の外交儀礼に参与したときの記念品を、マリアは見せてもらったことがある。ローマ帝政期の外交的な成果の少なからずは、実に、プリスカの父の貢献なくしてあり得なかった。加えて、豊富な国際経験は、プリスカの社会的課題に対する意識を高めた。まだ少女だった頃から、彼女はアテネやアレクサンドリアに学び、豊富な学識を修めた。のみならず、パルティアからの政治難民を保護し、積極的に生活再建の支援をするNGOにも関わっていた。

「話を聞く、かぁ……」

 と、マリアは、プリスカの言葉を反復した。プリスカらしいな、と彼女は思った。異なる立場の人々の声を聞き、相手の立場でものを考える。プリスカには、それが自然にできるのだ。

 でも、わたしにはできないな……。

 マリアは、目の前の親友のことを心から尊敬している。口先だけなら、異文化理解だとか、共生社会だとか、そんなことを言っている人はいくらでもいる。アテネでも、ローマでも、タルソスでも、そういう人をたくさん見てきた。それこそ、掃いて捨てるほどに! だいたい、自分には学歴と経験があると豪語する男たちだ。でも、詳しく話を聞いてみると、がっかりすることが多かった。

 口先だけなのだ。みんな、本気じゃない。

 だからこそ、プリスカは稀有な人だ、とマリアは思っている。言葉だけでなく、手を動かしている。はたらき者の正しい人。

「プリスカは、どうしてそんなに他人にやさしくできるの?」

「どうだろう……でも、(お手伝いさんに「ありがとう」と声をかけながら)他人を最初から疑ったり、相手の話を聞かないうちに自分で決めてしまったら、結局、自分が間違えてしまったときに気づけなくなるよね」

「そりゃあ、そうだけど」

 だめだ……。天性で他人ひとを信頼しきっている人は違うな。たぶん彼女は、意識する、しないの前に、最初から他者と世界を肯定している。まるごと、全肯定している。それも、生まれたときから、今日に至るまで! マリアは推論した。もしかすると、これは、根本的な人生観とか、世界認識の違いと言えるのかもしれない。自分は、やっぱりまだまだだ。

 マリアは自覚していた。過去の挫折を経て、改心した後も、自分自身の中に否定しがたい高慢な心が潜んでいることを。


 来客の知らせがあって、プリスカは玄関に向かった。

「マリア、ゆっくりしてて。今日はだから」

 と言い残して、彼女の姿は見えなくなる。ホストか。──マリアは内心、反省した。パウロのことでみんなに臨時招集をかけたのはあたしなのに、大事なことはぜんぶ他人に任せて、プリスカの家の食堂でくつろいでしまっている。お菓子完食する勢いだし。だめじゃん。……あたし、だめだめじゃん。

 マリアは、臥台ソファからすっと起き上がった。ちょうど、白銀の姿見の中に、自分の身体が映っている。……うーん、悪くないけど、ちょっとまだ、愛せないかな。正直、容姿には自信があるし、気分が良い日には「全ローマで自分が一番!」だと思える日もある。でも、たぶん、そういう問題じゃないよね。もっともっとしっかりしなきゃ。あたし、第一の使徒だし、神の教会エクレシアの責任者だし。みんなに頼ってばかりじゃいられない!

 そう、マリアは責任者なのだ。キリスト・イエスに従う人々、真実の集会を一つにまとめる、女子寮の監督者なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る