第5話 愚者の大罪

錠前は壊した。

いささか苦労したが、大義の前には苦労はつきものだ。

大きな扉を引き、禁書庫を開ける。

扉を閉めると、窓のない部屋は鈍重な闇に包まれた。


ふ、と燭台に火をつけ、僕が手にしたのは歴史書だ。ただの歴史書じゃない。この国の変遷、それを詳らかにしたもの。公に書けない内容が載っているものだ。即位していない僕が読むのを禁じられていたものだ。ここに、穢児舎の成り立ちなどが載っているはずだ。どうして穢児舎と国の関係が現在のようになっているのか、ひいてはどうして穢児舎であのような非道が罷り通っているのか、手がかりがつかめるかもしれない。


初め、穢児を作ろうと発案したのは国だった。煌月院に穢児を作らせお祓いをして浄化し、不幸を呼ばない存在に変えた後、献上させる予定だったのだ。

煌月院は快諾した。幾多もの孤児や穢が集められ、穢児が作られていった。

進みは順調であると聞き、国は穢児を前提とした編成を組んだ。

そしていよいよ献上という段になって、煌月院は「献上ではなく、貸し出しだという話だった」と主張し、国に貸す代金を請求した。これに国は反対したが、煌月院は文書偽造、改変、政治的な圧力等様々な手で国を追い詰めた。国は苦肉の策で買い取ると主張したが、それも退けられ、結局煌月院の思うままになってしまった。

そして遂に穢児が貸し出された時、穢児は素晴らしい成果をあげた。宮中が穢児を迎えようという姿勢になった頃、穢児の口からお祓いなどされていないと告げられた。穢による不幸の蔓延を恐れていた国は血相を変え煌月院を問い詰めたがお祓いはしたとの一点張りだ。国は煌月院の仕事を信用できなくなった。国は穢児を穢児舎に閉じ込め、貸し出す時以外、そこから出すことを禁じた。穢児が貸し出されることはその後一切なかった。


僕はページを遡った。なぜ廻茱は出られるのか?年号を確認すると、廻茱と母が会っていた頃はまだ穢児舎に監禁令のない頃だったようだ。その頃、母は僕と廻茱を引き合わせた。穢児を監禁するようになっても廻茱が出て来れる理由については、うっすらと記憶がある。煌月院と国を将来的には和睦させたい母は、ここで関係を断絶させてはならないと、粘りに粘った。その成果の一つが廻茱の自由な行き来だったはずだ。僕と廻茱の交流は、あまりにも弱々しすぎるが、母からすれば煌月院との和睦の貴重な架け橋の一つなのだ。


次ページには、穢児を制御する方法が書いてあった。穢児はカグという楽器を鳴らすことで制御できる。穢児が人間の言いつけを守れなかった際に、まずカグを鳴らす。そして、穢児に鞭打ち・逆さ吊りの苦行を与える。そうすることでカグの音と苦行の記憶が結びつき、次第にカグを鳴らすだけで苦行の恐怖を思い出し、失敗を恐れた穢児は完璧に仕事をこなすようになる。


リーンという楽器の音を、廻茱が珍しくうるさいと嫌そうにした日があったことを思い出した。同時に先日の授業終わりにリンリンと音が鳴っていたこと、廻茱がそこから僕を遠ざけようとしたことを思い出した。

そうか。カグは、リーンという音を出すんだな。

呆然とした。

心に穴が空いたようで、涙さえ出なかった。

(ああ…どうして僕は)

ここまで愚かだったのだろう。

ああ…廻茱はそこにいたのだ。失敗すれば罰を与えられ、最低限の清潔も尊厳も確保されない、そんな場所にいたのだ。そこで嬲られて、僕に会いに宮に来ても忌み嫌われて。僕は彼を取り巻く闇に気づこうともせず廻茱が来ることを喜んで楽しんでいた。

ああ、なんたる愚か。

(国が穢児を作ろうなどと言わなければ、廻茱は捕えられることはなかった)

なんたるまぬけか。

(国が…僕たち皇族が、煌月院との交渉に負けなければ、廻茱は穢児舎にいなくて良かった)

能天気で、考えが足りない。

(僕たちのせいだ)

相手を慮りもしないで、愛したつもりになって。

(ああ…僕のせいだ)

無知に笑う僕に、廻茱はただずっと何も見せずに笑いかけてくれていた。

ああ、僕は。

「大罪人だ…」

凶器を持たなくても罪人になれるのだと、初めて知った。


腕に小刀を当てる。

息が上がる。

身体中から血の気が引く。しかし。しかし。

ぐっと目を瞑り、小刀を押し当てる。

肉が凹む。痛みが全身を走る。それでも血は出ない。

早く、早く、と脳が叫ぶ。

そう、僕は、こうせずにはいられなかった。

自分の罪を背負いきれなかった。

同じ血をせめて流さないと。

自分の罪に潰されそうだった。

息が上がる。寒いのに汗が吹き出す。

「はぁっ…はぁっ」

恐怖心を押し殺して小刀を力一杯押し当てた。


「あぁっ、はぁ、は…っ、はぁっ…」

全身汗だくになって、服が肌に張り付いている。視界がチカチカして、血の気が引いて吐き気がした。しばらく本棚に背を預け、呼吸を整える。ようやく流れ出た生暖かい血が、腕にゆっくりと広がる。傷の具合を見なくては。僕の心臓は爆発するんじゃないかというくらいに早く激しく脈打った。恐る恐る、腕を持ち上げると、紙で切ったかのようなかすり傷が、一つポツンとできていた。

「うっ…」

僕は全ての血を抜かれたような気持ち悪さを覚え、その場に倒れ込んだ。

あれだけの思いをしても廻茱の痛みに届かない。弱虫で根性もない僕には、贖罪の真似事さえもできないのだと思うと、心臓がすっと抜け落ちたような絶望が僕に寄り添った。

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