第2話 授業

「煌月院(こうげついん)とは、なんでしょうか」

「政教分離の我が国における最も影響力の強い宗教、及びその総本山の建物の名称です」

「素晴らしいですね、皇子殿下」

簡素で広い部屋に、生徒と教師、二人がぽつねんと向き合っている。掛け軸や大きな壺などが申し訳程度に飾られているが、質素で静謐な空間だ。だだっ広い空間に二人きり。先生は目元の皺に優しさを刻みながら質問をする。

「あれは国と匹敵する程の力を持った宗教団体です。主な仕事はなんでしょう?」

「福祉です」

「では、第二に大切な仕事は?」

「…………」

「わからないふりはいけませんよ」

先生は笑顔のまま優しく僕を諌める。

しかし、僕は引き下がる気などなかった。

「意地悪もいけませんよ」

「意地悪ではありませんよ」

先生は簡素な部屋の片隅に置いてある壺に視線を移した。僕の胸は高鳴った。

「廻茱(エシュ)、出ておいでなさい」

すると壺のからゆっくりと、廻茱の頭部が現れ、大層不満そうな目だけのぞかせ文句を述べる。

「この俺が見つかるなんておかしい…」

「っははははは!僕の勝ちだ!」

簡素な部屋に、弾かれたような僕の笑い声が満ちる。

そう、この勝負は隠れた廻茱が先生に見つかったら僕の勝ちなのだ。僕は勝ちが嬉しくて腹からの笑いを抑えられない。

廻茱はするりと壺を抜け出ると、僕を睨みつけて叫んだ。

「告げ口したな!」

「もう!してないよ!」

先生は諦めたように目を瞑り、種明かしをする。

「勝負のことを知った女中に伺いました」

「女中の告げ口は正当な勝負じゃない!!」

「負け惜しみ?カワイイこと言うね」

廻茱が怒り、僕が得意げに笑うその空間に、先生が固い声を投げかけた。

「皇子殿下。授業中ですよ」

つまらないなぁと思いながら振り返ると、先生の顔が厳しくなっている。これから僕の意に反することが起きると思い、僕も身構える。

「煌月院の第二の仕事は?」

「もう知ってます。いらない授業だ」

「いいえ、必要な授業です。そう、第二の仕事は穢(ケガレ)の討伐ですね。しかし、数年前から、人手不足解消のため、人と穢を混ぜ、人より高性能の穢児(エジ)という存在を作る計画が進んでいます。穢は人間のために利用するのが難しい存在なので、人間と混ぜているのです。エシュとタイコウだけは別ですが…。しかして」

先生は努めて廻茱を見ずに、僕の瞳だけを捉えた。

「そもそも、穢とはなんなのでしょうか?」

腹の底に暗いものが溜まる。

先生は表情を変えずに続ける。

「穢とは、人智を超えた超常現象を起こす災厄です。都市を一晩で壊滅させる怪力や、呪術・異能を操る個体もいるとか。また穢はそこにあるだけで周囲に災いをもたらします。人間にとって、穢は討伐すべき災厄なのです」

腹の中の暗いものは胸の内に競り上がり、何か鋭いものに形を変えていく。

「皇子、エシュをごらんなさい」

ハチミツと夕日を溶かしたような黄金の瞳が麗らかに不安に揺れている。つんとした、指で弾きたくなる線の良い鼻梁。薄く、しっとりとした唇。きめ細やかで陶器のような、それでいてふわりと柔らかそうな頬は緊張に少し赤らんでいる。桃色の絹のような髪は冬の暖かな光を受けて、金箔を振り撒いたようだ。華奢な手足に、小さな白魚のような柔な指先。丸く形の良い脚に小さな小エビのような愛らしい指が5本ついている。

僕より小さく、強く美しいけれど不安気に見上げる存在。

先生は固い声のまま言う。

「これが穢です」

一層、彼を守らねばという気持ちが湧いてくる。

僕は俯き、品定めをするように先生を見やった。先生は少しも態度を変えずに続ける。

「廻茱の能力は怪力と鬼化のみです。しかし、生まれたてのこれを捕縛する際に、煌月院は熟練の戦闘員を26人も犠牲にしました」

先生は目元を緩め、その表情は悲哀と懇願を覗かせた。

「皆が怯えているのです。強すぎる彼と、彼による災いを」

「…………!」

頭が真っ白になった。

何を言っている?

どうして廻茱を廻茱個人として見ないんだ。

どうして災厄としてしか見ないんだ。

どうして廻茱はこんなことを言われなくてはならない?

僕の友人は素晴らしい。

賢く、美しく、強く、逞しく、ちょっぴり悪戯好きで、優しい。

そんな六歳の子供に、どうして『周りを不幸にする』だの『危害を加える』だの、保身ばかりの憶測を立て、あまつさえ本人を見ずに憶測ばかりが正しいと信じ込んで本人を排斥するのだろう。

僕の友人は、断じて、決して、そんな浅慮で軽薄な理由で世界から排斥されて良い存在ではない。

「皇子殿下が良ければ良い、という話ではないのです。宮の皆のことをお考えください」

「…話はそれだけですか」

胸の中では激しくバチバチと音を立てて雷が暴れている。僕は目を閉じ、すうっと深呼吸をした。廻茱が反射的に僕を呼んだが、止まる気はなかった。

「弁えよ無礼者!!」

一喝。雷霆のごとき鮮烈な一撃を放つ。

狼狽える先生に隙を与えず僕矢継ぎ早に裁きの雷を下す。

「26人殺害…?生まれ落ちてすぐ猛者に襲われ、抵抗しない方が不自然だ!!いいか、煌月院が死んだのは単純な実力不足だ!彼の悪意では断じてない!!宮中へ迎えてから、彼が悪意を持ってその怪力を振るったことがあったか!!?危害を出したことは!!?…そうだ、貴様は答えを知っている!!!!」

僕は激しく猛り狂う怒りを雷鞭に変えて無礼者を打ち据える。

「周囲に災いを振り撒く?証拠を出せ!僕と廻茱が遊び始めて二年だ。いつどこにどのように、なぜ廻茱のせいだとしか断言できないような災いが起きた!!」

僕は笑顔を歪ませる。

「少なくとも僕に災いは起きていない!廻茱に出会ってから単調だった日々は変わった。時に楽しく、時に悔しく毎日を過ごして。少なくとも…僕は!幸せだ!!」

廻茱の瞳が見開かれる。

「真実を見ず、煙のような噂で不安を生み人を傷つける!それは愚者の行いだ!!」

叩きつけるように怒鳴る僕に、廻茱が焦りと心配のないまぜになった表情で寄り添った。

「もう止めよ、そなたの立場が…」

「自分が虐げられているのに、友の心配か」

僕はキッと正面の先生を睨みつけ高らかに宣言した。

「この者の行いこそ人の行い!」

左手を真横に大きく振り、決定的に怒鳴りつけた。

「穢、人間、そのような垣根を作りそれに惑わされていること自体、愚かなことと思い直せ!」

先生は顔を歪める。

「私は貴方を…」

「黙れ。凡夫に用はない」

冷たく言い放ち、僕は部屋を後にした。


「聖苑っ…」

誰もいない庭の隅。心配気な廻茱の声に振り向くと、廻茱は少し動揺したような顔をしていた。

「俺は…」

彼は言い淀んで、言葉を選んでから続ける。

「俺のせいで、お前の立場が危うくなるのは…」

廻茱をぎゅっと抱きしめる。

驚いて息を呑む声がする。

廻茱の香りがする。

形の良い頭を、桃色の髪越しに引き寄せる。

「お前のためじゃない」

行動と発言が矛盾していることは分かっている。僕は確かに廻茱が排斥されることを怒っていたけれど、そもそもそんな非道を罷り通らせる宮中全体、ひいては世のあり方に怒っていた。ただ同時に、自分を差し置いて友の心配をするこの怪物が、強く逞しく、価値あるものに思えて大切にしたくなった。

廻茱が腕の中でみじろぎする。

「は、離してくれ…」

困ったように目を泳がせる廻茱をじっと見つめて僕は聞く。

「どうして?君が強くて美しかったから、こうしたくなった」

廻茱は硬直して顔を赤らめた。

どこかから、リーン、リーン、という綺麗な音が鳴った。それは多重に重なり、人の声とも合わさって賑やかな祭りのようだった。

「なんだろう」

廻茱を手放し、音の方向を探す。美しい旋律に、少し胸が躍る。

「行ってみよう、廻茱!」

笑顔で振り返るが、廻茱は固まったままだ。

「廻茱〜行こうよ〜〜」

は、と我に返った廻茱はぷくりと頬を膨らませて怒った。

「いやだ!行かない!そんなことより前々回の勝負の続きだ!あれはまだ決着がついてなかった!」

「えー、後でもいいじゃない」

「いやだ!今がいい!今じゃなきゃいやだ!!」

袖をぐいぐいとひっぱる廻茱を可愛らしく思い、しかたないなぁと廻茱に乗ってやることにし、二人の遊び部屋へ向かうことにした。

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