第30話

 景親は傷だらけになりながらも、気を失っている御霊を離すことなく龍神を睨みつける。景親の周囲には共に龍神退治に来た面々が傷だらけになりながらも刀を龍神に向けている。

 そんな景親達を眺めながら龍神は呆れたように首を振る。

「理解できない。何故敵わぬとわかりながら我に挑むのか」

「相模国と人の世のためよ」

「人の世……そんなに人は尊いものか? 我は長く人を見てきた。人は簡単に裏切り、騙し、殺す。そのような生物は人の他におらぬ。愚か。人を表すにはその一言で済む」

 龍神の言葉に景親は言い返す。

「確かに人は愚かかしれぬ。儂ら鎌倉党や三浦党の対立など人の愚かさを表すに相応しいかもしれん。だがな龍神」

 御霊を強く抱きしめながら景親は叫ぶ。

「人の全てが愚かとは限らぬっ。たとえ仇敵同士であろうと人は手を携える。そのような夢物語を本気で信じている者もおるっ。たとえ龍神であろうとも、その夢物語を愚かと断じることは許さんっ」

 御霊は本気で鎌倉党と三浦党は協力できると信じた。その心意気に応じて景親達鎌倉党も義盛達三浦党も手を組んだ。

 一人の子供の夢物語が今の龍神退治なのだ。

 龍神は景親の怒声を浴びながらも眼を細めながら御霊をみている。

「その童子が我を殺す陰陽師のつもりか」

 その言葉に景久、景季、義盛が身体を龍神が御霊をみる視線を遮る。それは決して御霊に手出しはさせないという覚悟の現れであった。景俊と義村も御霊を抱いている景親から離れようとしない。

 その光景をみて龍神は嗤った。

「よかろう。その童子を我に差し出せば我は江ノ島から去ろう。そして貴様らも見逃してやる」

「なっ、ふざけたこと抜かすんじゃねぇぞっ」

 龍神の言葉に激昂して飛び出そうとしたのを止めたのは景久であった。

 景季は怒りの形相で景久を睨む。

「景久伯父っ。何故止めるっ」

「考えなしに突っ込むな。相手は龍神ぞ」

 その言葉に頭が冷えたのか、突っ込むことはせずに強く龍神を睨みつける。その眼力を無視して龍神は景親に問いかける。

「どうだ? 童子の命一つで相模の平穏と貴様等六人の命は助かる。悪い案ではなかろう」

 景親は迷った。

 そして次の瞬間には地面に頭を打ち付けて考えを直す。

 一瞬とは言え迷ったことを恥じたのだ。

 景親の腹は決まっていた。

「この大庭三郎景親っ。源平を主と思っていないのは恩こそ主と思っているからよっ。御霊にはこの景親だけでなく鎌倉党全体が恩を被っておるっ。その恩人を捨てることこそが畜生の行いっ。儂は畜生にはなれぬっ」

 景親の叫びに同意するように景久、景季、義盛、景俊、義村は刀を構える。それは決して御霊は渡さないという姿勢の現れであった。

 それに満足したように頷く龍神。

「見事なり。ならば我も貴様らを殺すことで貴様らへの礼儀といたそう」

 そう言って一瞬で距離をつめて爪を振るってくる。その一撃を景久と義盛が受け流し、景季が斬りかかる。

 だが景季の斬撃は龍神の身体にとどくことなく折れた。

 その戦いの間に景俊と義村は景親と御霊を連れて下がる。そして景俊が小声で景親に話しかけた。

「景親兄者。御霊を連れて逃げろ」

「なに?」

 景俊の言葉を継いだのは義村であった。

「このまま戦っても全員死ぬだけです。ならば御霊殿だけでも逃がして次の機会を待つのが上策でしょう」

「だが、それではお主らが……」

 景親の言葉に景俊は笑った。

「なに、儂と景久は充分に生きた。景季や和田の。それに三浦の倅を道連れにするのに思うところはあるが」

「私と義盛殿も覚悟の上で参りました。お気遣いなく」

「感謝する。そういうことだ、景親兄者」

 さらに言葉をつむごうとした景親であったが、すぐに口を閉じて頭を下げた。

「すまぬ……っ」

「いかんっ、景親兄者っ」

 景親が龍神から眼を離したのは一瞬だ。

 その一瞬で龍神は景親の前に立っていた。

「逃がさんよ」

 そう言って振り下ろされる爪。景親は反射的に御霊を守るように覆いかぶさっていた。

 背中に走る激痛。舞う景親の血。

 即座に景俊と義村が龍神に斬りかかって景親と御霊から離そうとする。

 だが、龍神はそれすらも一蹴する。

 弾き飛ばされる景俊と義村。景親達のほうに来ようと走っている景久、景季、義盛。

 だが、間に合わない。

 龍神は再び爪を振り上げて冷たい瞳で呟く。

「死ぬがよい」

 その言葉にも御霊を決して離さず、覆いかぶさって自らの身体を盾にする景親。

 龍神の爪が景親を引き裂こうとした瞬間、それは起きた。

「むっ」

 龍神の作り出した空間から神通力が御霊へと集まっていく。御霊は宙に浮かび、光に包まれる。そしてその光の繭に神通力が集まっていく。

「これは……?」

 唖然とした景親の声。その声に反応するように光の繭が弾けた。

 中からでてきたのは御霊であった。髪は銀色となり、右目の瞳は空色となり、瞳の中に瞳がある。

 それをみて龍神は思わず呟いた。

「我の力を取り込んだのか」

 その言葉に驚いたように景親は御霊をみる。

 御霊は宙から降りると一度景親に頭を下げ、問いかける。

「景親様、権五郎景正様の刀の銘はわかりますか?」

「か、景正様の? た、たしか『天津丸』だったはず」

 景親の言葉に御霊はもう一度頭を下げると、右腕を前にだして叫ぶ。

「『天津丸』っ。主の仇を討つは今ぞっ」

 御霊の言葉に反応するように朽ち果てるように刺さっていた一本の刀が飛んで御霊の右手に収まる。

 そしてその刀は御霊の神通力に反応するように光を放ち、その刀身が再び蘇る。

 鎌倉権五郎景正の遺刀『天津丸』の復活である。

 御霊が確認するように天津丸を一振りすると、空間が裂ける。だが、すぐに元通りとなった。

 それをみて龍神は驚きの声をだした。

「驚いたな。我の力を取り込み、そして長らくこの空間に囚われ妖刀となった刀を自らの力としたか」

 龍神の言葉に答えることはせずに、御霊は天津丸を構える。

「行くぞっ」

 御霊はその言葉と同時に両足から神通力を吹き出させて加速し、一気に龍神との距離をつめ天津丸を振るう。

 龍神も冷静に天津丸を爪で弾こうとした。

「ぬっ」

「おおっ」

 龍神は驚きを。景親達は喜びの声をあげる。

 剛力で知られる景久、景季、義盛がうちかかっても傷すらつかなかった龍神の爪が天津丸によって切り裂かれたのだ。

 再度爪を伸ばそうとする龍神に肉薄して御霊は天津丸を振るう。龍神は左腕でそれを防ごうとしたが、その左腕を御霊は斬り飛ばしたのだ。

 龍神は瞬間移動で御霊から距離をとる。

「驚いたな。我の力を喰らって、我を殺す気か」

 龍神の言葉に返さず、御霊は無言で天津丸を構える。

 そんな御霊をみながら龍神は左腕を再生させる。そのことに景親達は驚いた声をあげているが、御霊は動じない。龍神であるのだから、それくらいやるだろうと思っていたからだ。

 そして御霊は背後にいる景親達に話しかける。

「景親様」

「な、なんだ」

「これから私渾身の一撃を持って龍神を討ちます」

 その言葉に景親はごくりと唾を飲み込む。そして真剣な表情で口を開いた。

「儂らにできることはあるか?」

 その言葉に御霊は嬉しそうに笑い、小さく頷く。

「景親様……いえ、景親様だけじゃなく、皆さまの持っている少量の神通力を私に分けてください。その神通力を持って私は龍神を越えます」

「どのようにすればいい」

「掌を私に向けてくだされば」

 御霊が言った瞬間に景季が掌を御霊にむける。

「いくらでも持ってけっ、御霊っ」

 義盛も向ける。

「よくわからぇけど、勝てる目算があるってことだなっ」

 そんな義盛を笑いながら義村も向ける。

「はは、いいですねっ。これは私も来た甲斐があったっ」

 景久も掌を向けた。

「この老いぼれの力でいいのなら持っていけっ」

 景俊も向ける。

「頼むぞっ、御霊っ」

 そして景親は両手の掌を御霊に向けた。

「神通力だけでなく、たりないならば儂の命も使えっ」

 全員の掌から光が溢れ、それは光の帯びとなって御霊と天津丸を包む。

 御霊は呼吸を整えながらその力を制御して刀を構える。

 龍神は面白そうに御霊をみている。

 みているだけだ。

 今は行くのみっ。

 そう覚悟を決めて御霊は神通気を噴射して一気に加速して龍神に肉薄する。そして御霊は天津丸に込めていた神通力を解放する。

 解放された神通力によって天津丸の刀身は巨大な光となる。

「うわぁぁぁぁぁっ」

 叫ぶ。

 御霊は溢れだす力を吐き出すように力の限り叫ぶ。

 その叫びに反応するように天津丸の光の刀身が大きくなる。

 そして天津丸の光が龍神を包んだ。

 あまりの光の強さに景親達の視界は潰れる。

 そして徐々に光が収まっていくと、そこには天津丸を振りぬいた態勢の御霊と、切り裂かれ、光の粒子となりつつあった龍神がいた。

 感嘆するように龍神は呟く。

「見事であった童子よ」

「……なぜ避けなかった?」

 御霊の言葉に龍神はからからと笑う。

「我を殺せそうだったからよ」

「殺せそうだったから避けなかったと?」

「然り」

 そう言って龍神は満足そうな表情になる。

「童子よ、強すぎる力を持つ身はつまらぬものよ。生きることもつまらなく、死ぬことなどありえぬ。存在そのものが地獄よ。お主はどうやら我の力を持ってしまった身。であるならば人として生きるのは諦めるがよかろう」

「……全て覚悟の上だ」

「かかか、ならばよい」

 そう言い残して龍神は粒子となって消える。

 御霊は大きく深呼吸してから天津丸をそこらに転がっていた柄に入れて納める。

 それと同時に背中に衝撃が来た。

「うわっ」

「やったなっ、御霊っ」

 背中に飛びついてきたのは景季であった。景季は傷だらけの顔を笑顔にしながら御霊の背中をバシバシと叩く。

「弟が龍神を討った……はははっ、これは痛快だぞっ」

「あ、兄者。傷は大丈夫ですか?」

「うん? こんなものかすり傷よっ」

「梶原殿の傷がかすり傷だと私は無傷ということになりますね」

 そこにやってきたのは義村と義盛だ。二人とも笑っている。

「よくやってくれました御霊殿。これで相模国は平穏に近づく」

「たいしたもんだぜっ」

 そう言って義村と義盛も御霊の背中をバシバシ叩く。

 そこに呆れながらも嬉しそうな景親、景久、景俊がやってきた。

「よくやったな、御霊」

「景俊様」

「お主の渾身の一太刀、見事であった」

「景久様」

 二人の言葉に本当に嬉しそうに御霊は頭を下げる。

 そして下げた頭を上げさせようと景親が御霊の両手を握る。

「我ら鎌倉党の悲願……成就させてくれたこと、本当に感謝する」

「か、景親様……」

 瞳をうるませ泣いている景親。それに御霊は狼狽えてしまう。

 だが、すぐに次の変化があった。御霊達がいる空間が大きく振動し、崩れ始めたのだ。

「な、なんだっ」

「いけませんっ、この空間を作り出していた龍神が消滅したことで、この空間も崩壊を初めているのですっ」

 景季の言葉に御霊が叫ぶ。

 そして御霊の叫びに景親が大きく叫んだ。

「逃げるぞっ」

 その言葉に弾かれるように御霊達は走り出す。走り出した次の瞬間には御霊達がいた場所が崩壊、消滅した。

「うおおおぉぉぉぉぉっ。なんだこれっ。なんだこれっ」

「龍神は死んだ後まで迷惑ですなぁっ」

 景季の叫びに義村も叫ぶ。そして景親が御霊に向かって叫ぶ。

「御霊っ、お主は神通力の放出移動ができようっ。それで先に脱出するのだっ」

「そ、それが龍神への一撃で身体に貯めていた神通力は使い果たしてしまいっ。この空間にあった神通力は龍神の消滅と共に消えてしまったのですっ」

「つまりどういうことだっ」

 景久の叫びに御霊も叫ぶ。

「今の私はただの童ですっ」

『それを先に言えっ』

 御霊の叫びに全員から突っ込みが入り、御霊を景季が抱きかかえる。

「崩れていなかったからついこっちに走ってしまったがっ、こっちで良かったのかっ」

「知るかっ。死にたくなければとにかく走れっ」

 義盛の言葉に景俊が怒鳴り返す。

 そしてある光の裂け目が御霊の視界に入る。

「あっ、あれですっ。あの光の裂け目に飛び込めば現世に戻れるはずですっ」

「よしっ、後少しだっ。全員踏ん張れっ」

 御霊の言葉に景親が叫び、光の裂け目に向かって全員が走る。

 だが崩壊の速度はすでに景親達のすぐ後ろにまで迫っていた。

『うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっっっ』

 そう叫びながら景親達は光の裂け目に飛び込む。

 そして全員が江ノ島に戻ってきた瞬間に光の裂け目が消滅する。

 全員が肩で息をしながら茫然としながら光の裂け目があったところを見ている。

「助かった、のか?」

「な、なんとか」

 景季の言葉に御霊が肯定すると、全員が地面に疲れ切ったように倒れこんだ。

「あぁぁあああっ、勝ったぞぉおおおぉっ」

「いやはや、まさか誰も欠けることなく勝てるとは」

 義盛が叫ぶと、義村は笑いながら話す。

 景季は御霊をおろしながら周囲を見渡す。

「あれだけ派手に戦ったのに、江ノ島には全く影響がないんだな。龍神の洞窟が崩落してるくらいか」

 景季の言葉通り、龍神のいた洞窟は崩落して入り口はなくなっていた。

「おお、朝日だ」

「夜の間ずっと戦っておったのか。道理で老体には辛いはずだ」

 海のほうをみながら景久と景俊がそんな会話をしている。

 そして景親は御霊の近くにしゃがみ込んで顔を覗き込む。

「無事か、御霊」

「はい、景親様」

 景親の言葉に御霊は頷く。それをみて笑顔で景親は頷いた。

「御霊、お主のおかげで江ノ島の龍神はいなくなった。これから相模国は人の世となろう。相模国の住人として感謝いたす」

「同じ相模国の住人として私達も同じ気持ちです」

 景親の言葉に義村も続いてくる。

 そんな二人の反応に慌てた様子で立ち上がろうとした御霊であったが、すぐに座り込んでしまった。

 それに不思議そうに景親は首を傾げる。

「どうした?」

「い、いえ。安心したら腰が抜けてしまって」

 江ノ島の朝に笑い声が響き渡った。

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