第10話
「釣れませんね、景親様」
「うむ」
釣り糸を垂らしながらの御霊の言葉に景親が答える。
巴を殺して数日がたっていた。この間に景能は孫娘である巴のために葬儀を行い、それには景親に連れられて御霊も参加していた。大々的な葬儀でなく大庭党の限られた人物が参加した葬儀の後、御霊は初めての人殺し、しかも世話になっている景能の孫娘を殺したという罪悪感で塞ぎこんでいた。
お琴に話しかけられても上の空で返事をしていた御霊を、景親は相模の海に連れ出して釣りを始めたのだ。
透き通るような青空が広がっているが、御霊の心は曇っていた。
いくら龍神から解放するためとは言え、私は景能様のお孫様を……。
垂らしている釣り糸を眺めながら御霊はそう思う。
肉に刃が入り込む感覚、そして傷口から溢れ出てくる血。冷たくなっていく身体。その全てを御霊は今でも鮮明に覚えている。
……此の体たらく。私はどうしてしまったのだ。
「御霊」
「は、はいっ。なんでしょうか景親様」
考え込んでいた御霊に景親が話しかけてくる。御霊が慌てて景親をみると、景親は釣り糸を眺めながら言葉を続けた。
「巴のこと、すまなんだと思っている」
「え」
景親の突然の謝罪に御霊は驚てしまう。
「漁民の子であったお主を陰陽師として育て始めたのは儂よ。巴のことも本来であれば祖父である兄上、そして大庭党の頭領たる儂がどうにかせねばならぬことであった。だが、神通力を扱えぬ儂らでは巴を救うことはできなんだ。だが、巴を救うためにお主を傷つけることになった」
すまぬ。
最後の謝罪を聞き、御霊は俯いてしまう。そしてゆっくりと口を開く。
「今でも夢にみるのです」
御霊の独白を景親は黙って聞いている。
「巴様の身体に沈み込んでいく刀の感触、溢れてくる血、冷たくなっていく身体。その全てを夢でみてしまうのです」
景親達に話せなかった御霊の心。
「私は天魔が憎い。全ての天魔を滅ぼしてやりたいと思う気持ちは今でも変わりありません。ですが、人の身に天魔が宿った『憑き者』がわからないのです。人として見るべきなのか天魔に堕ちた者とみればよいのか」
無言の空間が広がる漁船。御霊は俯いており、景親も難しい表情をしながら釣り糸を垂らしている。そして景親が口を開こうとした瞬間にそれが起きた。
「うわっ」
「御霊っ」
突然、御霊の持っていた釣り竿が強くひかれ、御霊ごと海に引きずりこもうとしてくる。それを慌てた様子で景親が抱き留めた。
だが、景親が掴んでもなお引きずり込む力は強い。
「御霊、竿を離せっ」
景親の言葉に竿を離そうとする御霊であったが、何故か竿を離すことができない。それをみて景親はさらに焦って言い募る。
「御霊っ」
「は、離せませんっ」
「なにっ」
景親の怒声に御霊は自分の思ったことを叫ぶ。
「これはきっと巴様ですっ。これを離してしまっては巴様の魂が救われなくなってしまいますっ」
確信はない。だが、それでも御霊はこの引きずり込んでくる力は巴だと思った。まだ浄土にいけていない巴の魂が殺した相手である御霊を殺そうと海に引きずり込もうとしているのだ、と。
それを聞いて景親も真剣な表情を浮かべる。
「ならば御霊っ、己の身体に神通力を込めよっ。魂の正気を保てっ。巴の魂を救うのだと思うのだっ」
景親の言葉に頷いて御霊は神通力を身体中に巡らせ、覚悟を決める。
自分が巴の魂を救うのだ、と。
すると不思議なことにあれほど強い力でひいていたのが弱まった。幼い頃から両親と一緒に漁にでていた御霊はそれを見逃さずに一気に釣り上げる。
「やあぁぁぁぁっ」
御霊は叫びと共に思いっきり竿を振り上げる。そして水の中からそれが現れた。
純白の鱗をもった巨大な龍。
龍は空高く上がりながら大きく咆哮すると、御霊に一度笑いかけてから天へと昇っていく。
御霊は腰が抜けて船に座り込みながらそれを見送る。
雲を割り、天へと消え去っていった龍。
「巴様……?」
御霊の茫然とした呟きに天から再び咆哮が返ってくる。その咆哮はまるで御霊に礼を言っているようであった。
御霊と景親は唖然とした表情で天をみつめる。陸でも突如現れた龍で人が集まってきていた。
そして先に正気に戻った景親は威儀を正す。
「御霊」
「は、はいっ」
景親の言葉で正気に戻った御霊も慌てて威儀を正す。そして驚愕した。
景親が御霊に頭を下げたのだ。
「巴の魂を救ってくれたことに」
その言葉に景親も先ほどの龍は巴の魂であると思っていることに御霊は気づいた。
「そして謝罪を」
「え?」
続いた言葉に御霊は呆けた声をだしてしまう。だが、景親は頭を下げたまま言葉を続ける。
「儂らはお主の力を試した。我ら鎌倉党の仇敵である江ノ島の龍神を祓うことができるのか。その力を図るために江ノ島の龍神に魅入られた孫姪である巴をお主に殺させた」
景親の真意を御霊は黙ってきく。景親も御霊に言い聞かせるように、そして自分の罪を告白するように言い紡ぐ。
「儂らは喜んだ。それはお主が巴を殺すことができた。これは江ノ島の龍神も殺すことができると考えたからだ。お主が人を殺した……しかも兄上の孫を殺したことで傷つくこともわかっていた。だが、殺させた。全ては大庭御厨の平穏のためと思ってな」
そこまで言うと景親は顔あげ、まっすぐに御霊を見つめる。その澄んだまっすぐな瞳を御霊も見つめ返す。
「だが、違ったのだ」
そう言うと景親は深く頭を下げる。
「お主は……いや、貴方様は天魔達から人の世をもたらすために天が遣わした神子であったのです。龍と化した巴の魂を救った貴方をみて私は確信しました」
『貴方様は人の世に平穏をもたらしてくれる方なのです』
景親の言葉を御霊は茫然と聞いている。現実感がないと言ったほうがいい。
しばしの無言、そして御霊は口を開く。
「景親様」
「は」
御霊の言葉に景親は頭を下げる状態を崩すことなく返事をする。それに御霊が慌てる。
「景親様、頭を下げないでください。私は景親様に救われた者です」
御霊の言葉にも景親は微動だにせずに頭を下げ続けている。それをみて慌てながらも御霊は言葉を続ける。
「景親様達が私を試したということ。私は気にしていません。私は景親様に救われた身、景親様のお役にたてるならこれに勝る喜びはありません」
そこまで言うと御霊は困った様子で首を傾げる。
「しかし、突然『人の世をもたらすために天が遣わした神子』と言われても困ります。私は片瀬村の漁民の子です。人の世と言われても私は大庭御厨が私の世なのです。ですから……」
そして御霊は覚悟を決めた表情をしながら言葉を続ける。
「大庭御厨の平穏のため。そして景親様達のためにこの力、振るっていくつもりです」
御霊の言葉に景親は頭を下げながら一言だけ呟いた。
「感謝を」
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