第8話

「御霊、よく来てくれた」

「は」

 景能の言葉に御霊は頭を下げる。

 懐島の景能屋敷広間。景能は右足を前に放り出すように座っており、その対面には景親が座っている。御霊は景親の従者の位置で頭を下げていた。

「民が良い魚を持ってきてくれた。夕餉は楽しみにしておるといい」

「はっ、ありがとうございます」

 好々爺然した景能の言葉に御霊は恐縮して頭を下げる。御霊が神通力を持って天魔を祓っていることは大庭御厨に住む者ならば誰でも知っていることだ。そのために御霊が大庭四兄弟の屋敷を訪れることを知った民は新鮮な幸を持ってきて領主達に歓待するように頼むのだ。

「ふむ、御霊はいくつになった?」

「十三でございます」

「む? そうなると景季と同じ年か?」

「いえ、景季様のほうが三つ上でございます」

「ほう、御霊。景季と義兄弟の契りを結んでいるのだろう? 兄と呼ばなくて良いのか?」

「か、景親様っ」

 景親の言葉に御霊が焦って弁明すると、景親と景能は面白そうに笑った。

 揶揄われていたことに気づいた御霊は顔を真っ赤にして縮こまってしまう。

 それをみて景親と景能は益々笑った。

「兄者が揶揄うから御霊が拗ねてしもうたわ」

「何を言うか、最初に言い出したのは景親であろうに」

 そうして二人で大笑いする。

 御霊は二人が笑いが止まるのを待って不満そうに口を開く。

「して、景能様。私が討つべき天魔はどちらに?」

 御霊の言葉に景能の視線が細まり、真剣な表情になる。

「御霊は『憑き者』を知っておるか?」

「『憑き者』ですか?」

 景能の言葉に御霊は首を傾げる。すると景親が説明するように口を開いた。

「『憑き者』とは鬼や天狗などの神々に魅入られ、その力を行使できる者のことだ」

「鬼や天狗の力を行使できるですってっ」

 景親の言葉に御霊は驚いて思わず立ち上がってしまう。

 鬼や天狗のような天魔は人間よりその力は強大だ。たまに景久のように自己鍛錬で身体を鍛えぬき、天魔と力の比べあいができる人物もいるが、当然のようにそうでてくるものでもない。

「そ、それでしたらその方に天魔調伏を手伝っていただければっ」

「天魔の力……中でも特に強力な鬼や天狗の力だ。人間が無事で済むと思うか?」

 景親の言葉に御霊は思わず息をのむ。

 そして景能がゆっくりと口を開いた。

「憑かれたのは儂の孫娘である巴じゃ。だが、景親が言った通り人の身……しかも幼子の身体で天魔の力が耐えられるわけもない。憑かれてからずっと眠りきりじゃ」

「し、しかし……懐島の周辺から天魔の気配は感じません」

「憑かれてすぐに景親の伝手を使って都から腕の良い陰陽師を呼んで封印しておる。力を感じないのは当然であろうな」

 景能の淡々とした言葉に御霊は驚いて言葉もでない。

 すると景能は御霊に向かって頭を下げた。

「頼む。あの娘を……巴を、あの憎き龍神から解放してやってくれ」

 景能の言葉に御霊は巴と呼ばれる景能の孫娘に憑いたのが江ノ島の龍神であることに気づき茫然とする。

 しかし、すぐに正気に戻ると飛び跳ねるように庭にでてそこで額を擦り付ける。

「無理でございますっ。私には大恩ある景能様のお孫様を討つことはできませぬっ」

「お主の性格はよく知っておる。だが、重ねて頼む。あの娘を解放してやってくれ」

「無理でございますっ」

 御霊は泣いていた。それは大恩のある景能の身内を討つ恐怖であり、初めて人を殺すということへの恐怖感であった。

 泣いている御霊を見て景親も口を開いた。

「儂からも頼む、御霊。あの娘を殺してやってくれ」

「っ」

 思わず御霊は景親をみる。

 そして景能と景親も泣いていることに気づいた。

 涙を拭うこともせずに景能は言葉を続ける。

「もう十年以上じゃ……儂はあの娘を小さな寺のお堂に閉じ込めておる。頼む、あの娘をあそこから解放してくれ」

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