第4話
相模国大庭御厨大庭屋敷。広大な大庭御厨を統治する大庭景親が住むこの屋敷に御霊は景親に引き取られる形で住んでいた。
「ほれほれ、もっと力をいれんかっ」
そして庭では景親の弟の景久が大庭御厨の子供達を相手に相撲をとっていた。もう老齢の域になる大庭四兄弟の景久であったが、何人もの子供達を相手に同時にかかられても笑いながら投げ飛ばしていた。
最後の一人を投げ飛ばした後、景久は庭の隅で見ていた御霊に声をかけてくる。
「ほれ、御霊もこい。お主も少しは相撲をとれ」
「は、はい」
正直に言って御霊は相撲が苦手だ。同年代の子供達と比べても貧弱で小さな身体、とてもではないが相撲には向いていなかった。御霊は他の子供達と相撲をとっても簡単に投げ飛ばされてしまう。
だが、御霊は景久にもとても世話になっている。だから断れなかった。
小さな身体だが、鍛えられた上半身をむき出しにして景久の前に御霊は立とうとする。
すると肩に手を置かれた。
「よせよせ御霊。景久の相手などする必要ないぞ」
「景俊様」
そう言って声をかけてきたのは髭を撫で、片手に弓矢を持っていた景俊であった。
そんな景俊に景久は声をかける。
「おう、景俊。獲物はとれたか?」
「儂が弓を外すわけなかろう。喜べ猪だ。童共、お主らの分もあるからたくさん食えよ」
景俊の言葉に屋敷に集まっていた子供達から歓声がでる。
景久も景俊も頻繁に景親の屋敷に集まった子供達の面倒をみている。
そして景俊がやってきたことで子供達は相撲の態勢から弓の鍛錬の準備をする。御霊も子供達と一緒に弓の鍛錬の準備をする。
相撲とは逆に御霊は弓は好きだ。何せ身体が小さくても相手を倒せる。矢に神通力を込めれば遠距離から天魔を倒すことが可能だ。
他の子供と一緒に御霊は弓を引く。そして放った矢は巻き藁から大きく外れた。
それをみて御霊は首を傾げる。
「当たりません……」
「それは御霊の癖のせいよ」
「癖、ですか?」
御霊の後ろに立っていた景俊の言葉に御霊は首を傾げる。それをみて景俊は優しく微笑みながら言葉を続ける。
「御霊は矢を放つ時に力がこもっているのだろうな。だから放つ瞬間に先がぶれる。少しのぶれでも弓矢は的に当たるまでの間に大きなズレとなる。弓を放つ瞬間まで意識して射ってみよ」
「はい」
景俊の言葉に御霊は言われたことを意識して弓を構える。そして放った矢は巻き藁の隅にあたった。
それを見て嬉しそうに御霊は景俊をみる。
「景俊様っ。当たりました」
「うむ、その調子で続けよ」
「はいっ」
御霊の言葉に景俊は頷くと他の子供達を指導する。
そしてその光景を汗を拭いながらみていた景久がぼやく。
「御霊は弓の鍛錬は熱心だな。相撲はそうでもないんだが」
「あ、いえ……その、すみません……」
景久の言葉に御霊が言い淀むと屋敷からでてきた景親が呆れながら声をかけてくる。
「景久、御霊を困らせるではない」
「だがなぁ、景親兄者。儂は御霊にも強くなって欲しいのよ」
「強さとはそれぞれ……それに御霊には陰陽師よ。武士の強さばかり鍛えてもいかんだろう」
「だから景親兄者は文字等を御霊に教えているわけか」
「その通り」
そんな会話をしながら景親は景久の隣に腰をかける。
「儂と兄者が礼儀作法も教えている」
すると景久は声を落として景親に話しかける。
「御霊をいずれ郎党に取り立てるつもりか?」
景久の言葉に景親はニヤリと笑って頷く。それをみて景久は空を見上げる。
「くっそぉ、御霊だったら景親兄者を選ぶに決まってるなぁっ。儂と景俊も御霊を郎党に取り立てようと思っておったのになぁっ」
「……まぁ、郎党でとどめるつもりもないがな」
「お爺様」
そしてそこにやってきたのは一人の少女。年頃は御霊と同じくらいだ。
「どうした、お琴」
「景俊お爺様の捕ってきた猪が大きすぎてとても消費しきれません、とおばあさまが」
その言葉に景親は眼に手を当てて空を仰ぎ、景久がからからと笑う。
「またか……」
「かっかっかっ。獲物が大きくなるのだけは江ノ島の龍神に感謝せねばならんなぁ」
大庭御厨は海に面しているために海の幸は豊富にとれて、猪などの肉も豊富である。さらに江ノ島に住む龍神の神通力の影響で獲物は大きく、味がいい。そのために京の平家や公家からも大庭御厨の食物を献上するように景親はよく言われる。
確かに貢物としても便利であるが、大庭屋敷で消費するのは大変である。
「仕方あるまい。また大庭御厨の民にふるまうとしよう。お琴、それを家内に」
「あ、御霊っ。弓の鍛錬ですか」
「あ、お琴様。は、はい。その通りです」
「……」
「これは自分で行くしかないなぁ、景親兄者」
景久のニヤニヤとした表情と一緒に吐き出された言葉に景親はため息を一度吐くと立ち上がり歩き去る。
自分を世話してくれている恩人を使用人のような扱いになっていることに気づかず、御霊はお琴の対応に困る。
早くに両親を病で亡くしたお琴、そして天魔によって家族を皆殺しにされた御霊。二人の共通点は同年代であり、景親に引き取られたということであった。
そして人見知りをする御霊であったが、色々と周囲を振り回すお琴と接するうちに仲良くなっていた。
「あ、駄目ですお琴様っ。危ないですよっ」
「大丈夫よ、御霊。私も武勇で知られる大庭の娘ですっ。弓くらい扱えます」
「駄目に決まってるだろうが」
「ああっ。景俊お爺様っ」
そこにやってきた景俊によってお琴は弓矢を取り上げられてしまう。そして景俊はお琴に言い聞かせるように口を開く。
「確かに大庭党の娘であるならば弓の扱いに長けているべきだが、そなたはまだまだ小娘」
「も~、景俊お爺様、景能お爺様みたいなことばかり言うんですから」
「し、しかし、そこがお琴様のいいところではないかと……」
「いかんぞ、御霊。ここらへんをきちんとしておかねば儂の娘のようになってしまう」
景俊の娘は大庭御厨でも有名な女傑だ。三浦党との戦の時に鎧兜に刀を持って従軍したのも一度や二度ではない。今は婿をとり子供もでき、出陣することはなくなったが、頻繁に猟に出かけては景俊に叱られるという話は大庭御厨の民であれば誰しもが知るところである。
「いいではないか、景俊。大庭党の人間として武勇に優れているに越したことはあるまい」
「景久、お主は他人事だと思っておるな」
「事実、他人事であるからな」
大庭四兄弟の中で景久は家族がいない。妻を早くに亡くし、三浦党との戦いで息子も戦死して家族を亡くしたのだ。兄である景能や景親から養子をとれと言われているが、本人にその気はなく、ふらふらと郎党をつれて景親の屋敷にやってきては屋敷に集まっている子供達に相撲を教えていた。
「景能様だっ」
子供の声に全員の視線が屋敷の入り口に向かう。そこには好々爺の笑みを浮かべ、膝から先の右足がないにも関わらず器用に馬に乗っている大庭四兄弟の長兄・景能がいた。
景能は片足で馬から降りると集まってくる子供達をかき分けて御霊のところに向かう。
「御霊、きちんと鍛錬しておるか?」
「はい、景能様」
御霊の言葉に景能は嬉しそうに頷く。
「そうかそうか。では儂の馬にのってみるがよい。馬術の鍛錬じゃ」
「御霊に馬術の鍛錬は早かろう、兄者」
そう言って止めたのは戻ってきた景親であった。その言葉に景能は反論する。
「何を言うか、景親。もし為朝殿のような豪傑に狙われた時、馬術が巧みでなければ生き残ることができんぞ」
「為朝殿のようなお人がそう頻繁にでてきてたまるか」
為朝は剛勇無双で全国に名前を知られた武士だ。その昔、景能と景親は戦場においてこの男と対峙した。百発百中で知られる為朝の矢を受けて生き残った者はただ一人を除いていない。
為朝の矢を受けて生き残った武士、それこそが景能であった。
しかし、為朝の矢を受けて膝から先の右足を亡くした景能は大庭党を景親へと任せ、大庭御厨内の懐島にて隠居生活を送っていた。
その景能だが大庭御厨にて陰陽師として働く御霊を好意的にみており、折を見て武士としての鍛錬をさせようとしていた。
「坂東武士に馬術は必ず必要であろう、景親」
「それについては同意であるが、兄者の馬は悍馬であろう。御霊には乗りこなせまい」
「安心せい、この馬は御霊に懐いている」
その言葉の通り御霊が景能の馬に近づくと馬は顔を御霊に近づけて顔を擦りつける。それをみて景親は驚いた表情をみせた。
「なんと、兄者以外にはまったく懐かないのにな」
「あるいは陰陽師としての力かもしれんな」
景能の言葉に景親がなるほどと頷く。そして景能は馬の手綱を景親の郎党に預けると、杖をつきながら器用に歩く。
「景時はどうした?」
「夕餉までにはくるだろう」
「よしっ、ではそれまで相撲の鍛錬をするぞ御霊っ」
「御霊ならば弓のほうがよかろう」
「何を言うか景久、景俊。坂東武士であるならば馬術だ」
「お主ら御霊を困らせるでないわ」
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