第9話 真実と大蛇
間違いなら間違いだと言ってほしい。
わたしの思い過ごしならどんなにいいか。
頼むから反論してほしい。
――プスッ。
「え?」
僅かな痛みを感じて自分の腕を見ると、小さな針が刺さっている。
そしてそれに気づくとほぼ同時に。
わたしはその場に倒れこんだ。
「……驚いた。気づかれるなんてね。君は本当に頭がいいんだね」
必死に体を動かそうとしたけど、金縛りのように動かない。
針に何か塗られていた?
「ごめんなさい、騙してしまって。でもこうするしかなかったの」
「君の言う通りだ。俺たちは確かに、君をここに連れてくるために策を弄した。すまないとは思っている。だが……」
わたしの体を巨漢さんが持ち上げた。
彼らはわたしを抱え、先に進む。
「なん、で、こんな、ことを?」
辛うじて動く舌で、わたしは問う。
「僕たちの仲間を、助けるためだ」
「仲間を助けるためなら、俺たちは鬼にでも修羅にでもなる。だからここまでの非道も行おうと決めたのだ」
訳が分からない。
仲間を助けることが、なんでわたしをここに連れてくることにつながるのか。
「僕たちには、もう1人仲間がいる。その仲間は、僕たちのパーティにはもったいないくらい強くてね。だけど数日前、盗賊にさらわれた人たちを助ける任務の時、盗賊から最後に逆襲を食らって、毒を受けてしまったんだ」
「それはとても希少で、そして強力な毒だったの。だから解毒剤は高価で、わたしたちくらいの傭兵じゃあ何ヶ月もコツコツ貯め続けてようやく買えるか、くらいの代物でね。でも仲間は、放っておいたら1週間を待たずに死ぬと言われた」
「だから俺たちはこの任務を受けたんだ。キリング・サーペントの卵は、最高級の珍味と言われ、1つだけでも凄まじい値が付く。卵1つ持ち帰れば、仲間を助けることができる」
この依頼を受けた背景を聞かされても、わたしにはここに連れてこられた意味が分からない。
脳まで麻痺が及んでいるのか、それとも私自身が考えることを拒否しているのか。
「だが1つ問題があった。キリング・サーペントはここらの魔物としてはあり得ないくらいに強い、プロクラスの傭兵でも死亡率3割を超える凶暴な魔物だ。僕たち程度じゃ絶対に勝てない。加えて、蛇のピット器官のせいで、卵に近づくとほぼ間違いなく感知される。僕たちなんて丸呑みされて終わりだ。どうしようかと頭を悩ませているときに、君のことを見つけた。黒髪で、人々に忌み嫌われ、天涯孤独の状態だった君を。そして同時に思い出した、キリング・サーペントの習性を」
ここまで聞けば、わたしもなんとなく悟ってしまう。
震えたくても震えられない体を、わたしは必死に動かそうともがく。
「キリング・サーペントは……若い肉が大好物なんだ。卵を放って貪ろうとするほどに」
「―――!!」
つまり、彼らは。
わたしを餌にして、その隙に卵を持っていくつもりなんだ。
奴隷として売られ、身寄りも無く、いなくなっても誰も困らない、おまけにこの世界で最も忌まれる黒髪のわたしなら餌に最適と踏んで。
「本当にごめん。僕たちは地獄に落ちるだろうね。けど、そうなったとしても、僕たちは仲間を助けるって決めたんだ」
「恨んでくれて構わないわ」
「……すまない」
彼らは善人だ。
だけど、だからといって一切の悪行をしないわけじゃない。
そしてこれが、彼らなりに出した答えなんだろう。
仲間のために誰かを犠牲にする決意をした。
わたしという、おそらくこの世界で1番犠牲にしやすい人間が目の前に現れたことで、決意してしまった。
物語なら、この3人が力と知恵と勇気を駆使して蛇に挑み、辛くも勝利して卵を持ち帰って仲間を助ける、そんな素敵な結末が用意されているんだろう。
だけどこれは現実。そんな奇跡は起こらない。
明確な実力差がある敵に対して戦おうとするのは、勇気ではなく無謀だ。
わたしを犠牲にしなければ、彼らの仲間は助からない。
その理屈自体は理解できる。
だけど。
「いや、だ……」
そんなの嫌だ。
折角あの絶望的な前世から逃げられたのに。
折角奴隷として生きなければならない人生から逃げられたのに。
わたしの自由たった数日で終わって、第二の人生は蛇に食べられて終わり?
ふざけるな。前世でも今世でも人生を縛られ続けて、ようやく得た自由はたったの数日?
じゃあわたしは、一体何のために産まれてきた。
第2の人生は、こんなに呆気なく、たった1人の顔も知らない人間を助けるための生贄として終わりなのか?
「ざ、けるな……!」
だけど、意思に反して体は動かない。
そうしてもがこうとしてもがけない状況の中でも、彼らは歩みを止めない。
「このあたりだ」
傭兵たちは足を止め、前方を行く赤髮の男があちこちに灯り代わりに火の魔法を放った。
そして、目の前にそれは現れた。
「うおっ!?」
「ひっ……!」
キリング・サーペント。
そう呼ばれていた魔物は、じっとこちらを見つめていた。
その皮膚は黄色と黒のまだら模様。瞳が赤く光り、チロチロとその舌をちらつかせている。
全長はおそらく20メートル近く、わたしなんて簡単に丸呑みにできそうだ。
「シュウウゥゥ」
「で、でけえ……!」
「落ち着け!俺たちの目的は卵だ、こいつじゃない!」
今にも襲いかかってきそうな蛇だったが、一ヵ所に目を止め、動かなくなった。
そう、わたしに目を止めたのだ。
「彼女を降ろすんだ」
「ね、ねえ。やっぱりやめたほうが」
「じゃあ、どうやってあいつを助けるんだ!」
「うう……」
「僕は見ず知らずの子供より、アイツの命の方が大切だ。お前らはどうなんだ」
巨漢と女は一瞬躊躇したが、最後にはわたしを降ろした。
そして、わたしにもう一本針を刺す。
「麻痺毒の解毒剤だ。運が良ければ逃げられるかもしれない。……本当にすまない」
そう言い捨て、傭兵たちは卵の方へと向かってしまった。
だけど、そんな傭兵には目もくれず、キリング・サーペントとやらはわたしを見据えている。
涎を垂らし、心なしか笑っているようにも見えた。
「ひっ……」
「シュウウゥゥ」
嫌だ。食べられたくない。
もう体は動く。これなら―――
「シャアアアアアァァァア!」
「きゃああ!」
蛇は予想よりはるかに速い速度でわたしを食べようとしてきた。
辛うじて、本当に辛うじて躱したけど、即座に蛇は体を曲げてこっちに向かってくる。
「ひぃっ!」
小さい体を利用して、岩の隙間に隠れる。
けどキリング・サーペントはお構いなしに向かってきて、近くの岩を破壊しながらわたしに襲い掛かってきた。
あごの下をくぐり抜けて逃げる。けどその時、蛇の涎が指に少しかかった。
「いっ……!?」
左手の小指からあり得ないほどの痛みが走った。
痛みには慣れていたから歩みを止めずにいられたけど、苦痛で涙が出てきた。
見ると、小指は腐食したようにドロドロに溶け、今にも落ちそうだった。
「ど、毒……」
「シャアアアアァァアア」
涙で視界が滲み、それでも尚走った。
だけど、当然の如くすぐに追いつかれる。
「シャァア!」
「あがっ!」
蛇の腹にたたきつけられ、ポキポキとどこかの骨が折れる音がして、体中に激痛が走る。
悲鳴を上げたくても、肺が圧迫されて上手く息が出来ず、声が出ない。
「い、痛い……痛い……!」
「シュルルルル」
蛇は喜ぶような声を上げ、わたしを離した。
もうマトモに動けないとわかっているんだろう。
視線を上に向けると、そこには傭兵たちがいた。
大きな卵を3人で持ち上げ、必死に逃げている。
一瞬、赤髪の男と目が合った。
だけど男は申し訳なさそうな顔をするだけで、歩みを止めることはなかった。
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