第2話 とある少女の最期

 人を貶せる人間は幸福だ。


 わたしは、人の悪口を聞くたびに、心からそう思っていた。


『母親がウザい』とか。『あいつのせいでゲームに負けた』とか。『兄弟がむかつくから死ねばいい』とか。


 そうやって、暴言を吐いてゲラゲラ笑えている同級生の話が耳に入ってくるたびに、わたしは彼らを羨ましいと思っていた。

 わたしには、そんなことできないから。



 結構暗い感じの小説とかでありがちの、家庭崩壊。わたしを取り巻く環境はまさにそれだ。

 ……いや、わたしが生まれる前から、父と母は家族ではなかったのかもしれない。


 父は昔、小さな会社の社長だった。好色で、面食いで、遊びで女性に手を出すなんて日常茶飯事。そんな男だったらしい。

 その毒牙にかかった女性の中の一人が、子を孕んだために、父はやむなく結婚した。その女性がわたしの母であり、生まれたのがわたしだった。


 数年は普通だった。父はわたしを見てくれず、母もわたしのことを腫れ物扱いしていたけど、お金はあったからわたしは住むにも食べるにも困らなかった。

 しかしある日、父の会社の不祥事が明るみになり、株は大暴落。会社は倒産し、我が家は多額の借金を背負った。


 父は酒浸りになり、八つ当たりのようにわたしに暴力を振るい始めた。

 母もまた、父を愛していたために逃げられず、結果的にわたしの虐待を始めた。

 両親のストレス発散のためのサンドバックのような存在。それが今のわたしだ。


 悪夢のような日々が始まってから早7年。14歳になった今でも、わたしへの虐待は続いている。

 もはや反抗する気なんか、とうの昔に削がれていた。死んでほしいとすら思わなくなった。思うのは純粋な恐怖だけ。

 今は学校に通わせてもらってるけど、それは義務教育だからだろう。

 中学を卒業したら、きっと高校になんて通わせてもらえず、どこかで働かせられる。

 ここにいる同級生たちが、進学して、楽しい青春を送る間、私は低賃金で働く羽目になる。

 けど、従わないとぶたれるから。何年たったって、痛いものは痛いから、父の言うことは聞かなければならない。




 私は、人を貶せる人間が羨ましい。

 だって、貶せるだけ余裕があるってことなんだから。

 毎日何不自由なく暮らして、親にちゃんと養ってもらえているからこそ、人の悪口が言えるんだから。


 羨ましい。わたしにはもう、両親を貶すような度胸なんて、ない。




 ***




 今の住まいのアパートに到着すると、わたしたちの部屋の扉が開いていた。


 ………ああ、またか。


 きっと、借金取りが押し入ったんだろう。もう期限はとっくの昔に過ぎていたはずだ。




 どこかで時間をつぶしたいけれど、下校時間が過ぎたらすぐに帰って来いって言われてるし、そもそも時間をつぶすところがない。近くに公園とかはないし、喫茶店やお店に入るお金なんて持ってない。

 やむを得ず、わたしは玄関に近づいた。




「ただいま………」


「おう、帰ったのか。待ってたぜ」




 帰ってすぐに、おかしいと気づいた。


 父が、母が、笑っている。


 普通は何でもないはずのことが、わたしはたまらなく恐ろしかった。




 部屋にいたのは、案の定、父と母だけじゃなかった。

 どう見ても堅気じゃない姿をした男が3人。そしてその人たちもまた、にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。


「………な、なんでしょうか?」


 わたしの口からやっと出た問い。

 しかしそれには誰も答えてくれず、代わりに知らない男たちが不躾に、嘗め回すような視線でわたしを見てきた。


「へえ。あんたみたいな男にゃもったいない別嬪じゃねえの。本当にもらっていいのか?」


「ああ。どうせ今後まっとうに働かせたって、稼げる額はたかが知れてるからな」


「早くこうすればよかったのよ。食費とかもバカにならないのよ?まったく、あなたの決断の遅さで、どれほど無駄なお金が出て行ったことか………」


「そういうなよ、だからこうやって決めただろ?で、金は契約通りに貰えるんだろうな?」


「ああ、約束は守ってやるよ。まあ借金の返済分で大半が消えるが、この顔ならその残った額だけでも十分だろうよ」




 何の話か、わたしは理解したくなかった。


 でも、なんとなく理解できてしまった。


 それでも誰かに否定してほしくて、わたしは聞いてしまった。




「あの、その。何のお話、でしょうか」


「ん?今の会話で理解できなかったのか?頭の弱えガキだな」




「お前今、親に売られたんだよ」




 足元が、崩れていく感じがした。


「借金の返済に、お前の体を使っていいってよ。酷い話だぜ、14のうちから娘に身売りしろって言ってんだぜ?俺が言うのもんなんだがよ、人の心はねえのか?」


「はあ?俺はそいつの親だぜ?子どもが親のために尽くすなんて、当たり前のことだろうが」


「そうよ。金も稼げず、ただ飯食らって、学校に行かせるためにもいろいろ買わなきゃならない。ただの穀潰しを、ここに置いておく価値なんてないわ。ねえあなた」


「………やべえ親だな。同情するぜ、ガキ。だがまあこっちも仕事だ、悪く思うなよ」




 いつの間にか、家の出口はふさがれていた。

 助けを求めるように辺りを見回しても、なにもない。わたしは、これから売られる。


「い、いや、だ………」


「嫌でもやるんだよ」



 父親からの冷たい一言。


 わたしはその瞬間、とある感情を抱いた。

 今日、学校にいるまでは、羨んでいた感情。ただお金を作る道具となりつつある今だからこそ、それが芽生えたのかもしれない。


 怒り。憎しみ。嫌悪。


 いくつもの負の感情が、わたしの中に渦巻き、私は反射的に動いていた。

 憎しみの対象である両親に向かって………ではない。

 貧弱な私がこの人たちに与えられる傷なんて、たかが知れてる。

 だから、私が向かったのは………キッチンだった。


「お、おい。何する気だ?」


 父親の声に耳を貸さず、わたしは1本だけあった包丁を取り出した。


「おい、おい!何してんだよ!?お、俺を殺す気か?ここまで育ててやったのは誰だと思ってるんだよ!?」


「そ、そうよ!中絶費用とかいろいろかかるからわざわざ生んであげたのに!産んだらそれ以上の金をむしり取って!ちょっとくらい親孝行して………」


 どこまでも自分勝手な両親と、どうなるのかと面白そうに見ている借金取り。

 でも、わたしはこの親だった人たちを、殺そうとなんてしない。


 この人たちには、生き地獄を味わってもらう。

 わたしは、包丁を握りしめて。




 刺した。




「………は?」




 痛い。でも我慢しなきゃ。

 包丁を引き抜き、次は心臓を刺す。その次は首に包丁を押し当てて、かき切る。


「お、おい!お前何してっ………や、やめさせろ!!」


 借金取りが群がって、包丁が奪われたけど、もう遅い。

 わたしはもう死ぬ。自分の体だからわかる。


 わたしが死ねば、両親にとっての『金のなる木』が無くなり、今度こそ両親は借金を返済するすべがなくなる。


 なにせ借金は膨大だ。万が一、2人が改心して真面目に死ぬ気で働き始めたとしても、稼ぎは全部、借金の利子で消えるだろう。


「………ざまあみろ」


 わたしは、放心している両親に向かって、かすれる声でそう言い放ってやった。

 そして最後に、僅かな間だけ存在した楽しい思い出が頭を駆け巡り。

 わたしの意識は途絶えた。

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