現代文化同好会のあらまし

平方 四四

作者は本当に死んだのか?

台詞せりふから始まる小説ってどう思う?」

「悪くは無いと思う。実際読んでて台詞から始まったやつはほとんど合格点を超えているけど、頭打ちになっているような気もする。僕が好きな小説は大体地の文から」

「私はクソだと思う。描写力が無いことの証左だなあって思っちゃう」

「別に一文目で全て決まる訳ではないだろう?」

「小説の多くは事件を扱っている、勿論『事件』は広義の意味で。良い書き出しっていうのはその事件を仄めかすか、その事件に没入できるような描写だと思ってる」

「台詞ではそれができないと?」

「人の発話は描写には適さない。事件について語るのもかまそうとする意図が見えるから得意じゃない。意味ありげなことを言うのもリアリティが欠けているように見えちゃう」

「『完璧な文章などといった』――」

「それはみっつめ、そんなこと言う人見たことない。アメリカにはいるのかな?」

「君、村上春樹への当たりずっと強くない?」

「お偉いさんが言う跳躍する比喩とやらの魅力も微塵も理解できない、アメリカかぶれ、独我論から普遍性を論じている積もりな描写の連続」

「小説はレトリックに依拠した架空のジャーナリズムだっけ」

「そう! 情報の集まり。『S/Z』の手法はいかなる小説に適用できるのだよ」

 高校生が授業を受けるには良くできた構造の椅子を反対に跨り、前後にぎっこんばっこんさせながら萩原おぎわらは思いの丈をそのまま吐き出した。

 既に半開きになっている教室の引き戸が全開となり、浅野あさのは揚々と足を踏み入れた。有藤ありとうと荻原は「おっす」やら「んー」とやらで挨拶をし、浅野は黒板に「現代文化同好会」とゲバ文字のような筆致で書き始める。

「会話ちょっと聞こえたぞ、荻原の嫌がらせを兼ねて今日はサブカル作品に代表される物語の傾向から大衆の性向の変化について考えてみようか?」

「また会話するの? 会話が多い小説は嫌われるよ、特に序盤も序盤に差し込むのは、序盤は基本は情景描写、映画でも聞こえる音は最悪でも足音ぐらいにしておかなきゃ、まずね、作品からソシオロジー的な営みを行うことはナンセンスなの」

 荻原は話すのを拒んでいるように見えながら、いざ話すとなると饒舌を披露するのは二人のよく知るところだ。しかし会話せねば同好会としての活動は進行しないし、この空間は特筆すべき状況でもなかった。強いて書くなら、汗が噴き出すような猛暑は、少し和らいだと感ずる程度であろうか。

 同好会はそろそろ学園祭に向けて会誌を書かねばならない時期になっている。会員も余り多くはないが、代々執筆熱心な人が入会するものだから、歴代の会誌もかなりの厚さとなっており、今年の代も例外ではなさそうだ。何しろ、活動で交わされる雑談に近い議論からからインスピレーションを得たり、書き手がうまいからか、会話そのものが会誌の内容としてクォリティを持ったりもする。

「ジャーナリズム好きな荻原さんはファンタジー作品はどうやって分析するんだ?」

 満足な字が書けたと、浅野はチョークを黒板受けに放って荻原に尋ねた。彼女は人差し指を唇の横に当て少し考え、椅子の周期的な韻律の奏楽を辞めずこう答える。

「特に変化はないかな、作品そのもののテクストを丁寧に分析してゆく。だけど、浅野がやろうとしてる現実の人となりとの連関とか、そういうことは一切やらない」

 荻原に浅野はNHKで放送している『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』を勧めた。サブカルチャー作品を題材として、世相、とりわけ人々の欲望の移ろいを克明に描いている、とのことだ。荻原は余り興味を示さなかったが、有藤はどうやら番組を知っていて、多少見たことがあると言った。彼は続けて、

「特定のサブカル領域においてアンチテーゼ作品を創る、若しくは発表する個人/団体は、オタクの性向に危機を覚えることによって生じ、はまれば潮流をひっくり返す力を持つというのが今度の会誌の浅野の共通テーマだったよな」

「ジンテーゼがないとオタクも頽落する。昨今、殊にアニメは保守的になっているということを社会的視座から述べるべきだと思った。この弁証法を体系化することはできずとも、個々の事象を上げることはできる。『歴史観』を論ずることができるくらいオタクカルチャーは変遷してきたってことだ」

 浅野は有藤の隣の椅子に腰がけ、足で地面を押し、重心を後ろに持っていった。傾いた椅子が後ろにある机の前面で支えられる。彼はしきりに「オタクの頽落」やら「オタクがオタクでなくなっている」などと言って、オタクの現状を憂慮しており、過去の会誌も『ガガガ文庫が果たすラブコメ作品におけるパラダイムシフト』といった調子の批評が多い。彼いわくオタクカルチャーの分析は方法論が難しいが、より良い作品の創出のためには不可欠である、ということらしい。

「方法論は固まりつつある。どのように作品間の相違点を取捨するか、そしてその違いが社会の欲望とどのような連関があるか、作者が見る世界を、作者の思想を分析するに足る自分なりの方法が分かってきた」

 荻原が次に言うことは有藤にとって予測に容易いことだった。だから有藤は双方に先制打を放つ。

「作者の見る世界ははっきりと分からないかも――」

「そうだよ、作者は死んだんだ、分かるかい? 浅野くん?」

「話させてくれないかな?」

 荻原は横を向いて、不機嫌な様子で肩に触れるか触れないかの長さの髪をいじり始める。浅野は首を傾げ、こちらに耳を貸した。

「作者の思想信条のみを考えるのは偏見を生ずるかもしれない、だけど、作者を想定しない、もしくは背景を想定しないと明確な価値づけもできない。社会を占うという側面での作品の解釈、まして開拓されていないサブカル作品であれば、浅野が言う通り難しいが作品の創出や批評文化に大きく寄与すると思う」

 有藤は自分の思いを出力する。浅野は有藤の言葉をゆっくり噛みしめて、少し思察を挟んだ後、納得した様子で軽い相槌をして微笑んだ。徐々に継ぐ言葉のソースコードが有藤の中で自発的に生じ、少しだけ綺麗な形に整えてから実行する。

「価値という曖昧で、かつ権威的な批判は危ないような気もする。作品にある意義を『確定』できないというべきかもしれない。テクスト論は、分からないけど、偏見を取り払って『しかじかしれない』と評価するのは得意なんだけど。フランス現代思想がマルクスとニーチェを端緒にしていることが価値づけを苦手をしていることの起因?」

 揺らしていた椅子の向きが変わり、荻原は演奏を辞めいつものように人差し指を唇の横に当てた。迂闊な知識のみで一大思想を総覧するのは恥ずべきことだったかもしれない。

「作者を作品の中間者として捉える考え方は多くあって、読者もそうなんだけど。作者は読者を想定しているという前提の上議論した方が良いよねっていう」

 いつもより熟考して言葉をゆっくりと捻りだしているのが二人には容易に理解できた。言い終わると垂れている水を落とさないようにぎゅっと口を結び、返答を待っている様子だった。

「作品にはそれを受容する消費者の欠乏を埋めてあげる役割があると俺は確信している。欠乏が埋められた一人の人間がここにいる。つまり作品は大衆の欲望をのぞき見できるツールだと思っているんだ」

 有藤も大いに同意を示した。作品を主語に分析を重ねていけば、誰もが驚く探求となるだろうと、学園祭で彼の文章を読むのが待ち遠しくなった。ポケットにある飴を取り出して口に放り、舌の上で滑らす。次は浅野が話題に困っていそうだった。

「と、言ってもその作品自体にも幾つか欠乏はあるような気もする。内容という点でも、描写という点でも。何を以って欠乏とするかも明確ではないけど」

「浅野は具体的にどういうところに欠乏があると思うの?」

「特に描写で、これは主にツールに依存するのだけど、いわゆるノベライズとかコミカライズの難しさ、片方のツールで十分に表現できることがもう片方では上手に表現できないことはざらにあるだろう?」

 有藤は納得半分、疑問半分といった面持ちで自分の経験を照合し始める。複数のツールで同じ作品を見る経験も無かったからか、イメージのみが理解される形となり、浅野に詳しい説明を求めた。

「例えば俺がこうやって話してるさなか、有藤はいつものようにほとんど舐めていない飴をぼりぼり噛み砕き始めている。俺がもし何かを喋っているときに有藤がアクションを起こしても、小説とかだったら表現は難しい。二段組みにするのも手荒だし、『そのとき有藤は飴を噛み砕き始めていた』と書くのが良いのだけど、それにあわせて荻原はスマホ取りだして色々打ち込み始めたから、それも書き足すとなったらリズムも悪くなってしまう。もし映像なら、そういうのが上手くいく」

 確かに小説を書くとき同時に複数人を動かすのには苦労した経験は何回もあったなあと小説のディスアドバンテージとされる点について納得したように思えた。荻原についての描写を挟まれたことによって、読者の関心の一部分を荻原に引くこともできる。

「うぅん、学園祭の書くことがあまり思いつかなくてこうやってメモしているのだけど、どれも自分の書きたい事じゃないなあって思って書いては消している、有藤は何書くの?」

「二人みたいにとびぬけたものもないから書きたいと思ったことを一つずつ、幅広く書くことにしたよ」

「書きたいことがポンポン出てくることはすごいことだけどね」

 そこから三人は会誌の執筆を始めた。書くときはしばらく集中して会話も控えめになる。


 部活も終わりに差し掛かり、荻原が私の執筆をのぞいた。

「もしかして今日の活動、会誌に載せるの?」

「有意義な会だったし、僕の書きたいことの一つだから」

 私は喜々として結末をたった今書いている。ちょうど四千文字くらいのショートストーリイになるだろう。「作者」も「私」も未だ死んではいない。

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