第29話 この世に1人ぼっちの人は1人もいない

 昨日は久し振りに姉に会った。姉とは割と住んでる場所も近いが、姉とは会う用事も特に無かったから。


 妹とは割と連絡を取るけど、姉とはほぼ連絡を取り合った事がない。でも俺が本当にメンタルがやばくなった時、姉に長文で相談したら返してくれた。仲が悪いというわけではない。きょうだいなんて、一般的に考えたら親密に連絡を取り合ってる方が珍しいだろう。


 俺も自分の腕にタバコの火を押し付けまくった時期があるけど、姉の自傷は俺なんかとは次元が違った。姉は顔以外の切れるところをほとんど全てズタズタに切っていて、よく部屋を血まみれにしていたし、俺もそういう場面の姉を何度も見た事があった。だから知人や友達が血を流しても、あまり感情が動かなかったりする。麻痺しているのだと思う。


 でも逆に言えば俺は自傷に対する偏見が1ミリもないという事でもある。


 でも姉は30歳になって少し落ち着いてきたのか、傷跡がやっと白くなってきていた。新しい傷が増えていないということは、ここしばらく体を切っていないということだ。それでも最近も入院してたし、不安定である事に違いは無いのだが、姉が少しでも平穏に生活できたら良いと弟から見て思っている。


 姉は15歳の時から激しい躁鬱とずっと戦っている。人生の半分以上だ。


 でも大人になればなるほど症状は緩和するとされているそうだ。寛解はしなかったとしても、大人になるにつれて病気とうまく付き合えるようになる傾向はあると思う。色んな精神科医や専門家がそう言ってる。


 俺が高校に行けなくなって自分の部屋に閉じこもってた時期、姉が俺の部屋をノックして入ってきて、色々話してくれたり相談に乗ってくれたりした。


 俺は子供の頃からそういう姉の繊細で優しい姿を知っているから、躁状態の姉や鬱状態の姉が本当の姉の姿ではないことを知っている。


 俺もそうだが、鬱や発達障害について勉強して詳しくなっていくたびに、「自分」が無くなっていってしまったような感覚に陥った。もしかしたら俺の方から病気や障害に自分の性格を寄せていっているのかもしれないという疑念を抱いた。


 ガキの頃の何も知らなかった俺は、剽軽な性格で周りの人を笑わせる事が大好きだった。芸人に憧れてノートにコントや漫才のネタをたくさん書いていた。


 おそらく俺の原点というか、源流はそこにあるんだと思う。別に根っこは暗い方ではない。もちろん人見知りはかなり強い性格だったが、最近でも好きだと思った人にはすぐ好きだと言うし、前回ここに投稿した麻雀の文みたいに、俺は暗い文や気持ちだけを表にするわけじゃない。


(好きだと思った人に好きだと伝えるようになったのは、俺の大事な友達が自殺してしまってからだ。生きてるうちに伝えないと何も届かないから、その人が生きてるうちに速攻で伝えるようになった。自殺じゃないとしても、明日・1週間後・1年後に事故や事件に巻き込まれて俺の好きな人が死んでしまう可能性もある。だから俺の思った事はその場で全部伝える。全部出す!!)


 大人になるにつれて自分が普通の存在じゃない事を分からされたり、病名として突きつけられてしまった時、俺はとても暗い事ばかり考えるようになってしまった。


 でも俺の本当の性格は別に暗くはない。


 発達障害や精神疾患を抱えてるうちに、俺は本当の自分の性格を忘れてしまっていた。


 病気や障害に対して、自分の人格や性格まで当て嵌めてしまうのは、あまり良くないような気がしてる。病気と障害に本当の自分の心まで乗っ取られる必要は無い。


 どうしても病気や障害を抱えていると、周りや世間に対しての劣等感に覆われたりするし、思考もどんどん暗く狭いものになりがちになる。俺もそうだった。


 でも俺は今も面白いものが好きだし、笑うのも好きだし、笑わせるのも好きだ。(俺にユーモアセンスがあるかどうかは別として)


 大人になるにつれて現実を知りまくっていくし、否応なく知らされ続けていくが、その度に暗い気持ちを抱える必要なんて無いと思うようになった。


 ネットを見てれば同じような苦しみや痛みを知った仲間が沢山いるし、そいつらだって本当は少しでも楽しく笑いながら生きたいと思っているはずなのだ。


 無理して明るくなろうとする必要ないが、病気になる前、障害が発覚する前の自分がどういう性格の人間だったのかを思い返すのは大切だと思う。


 友達から、「●●さんが病気じゃなかったらどんな人だったんだろうと思う事があります。野球と音楽が好きな明るい男の人だったのかな」みたいな事を言われた事がある。(うろ覚え)


 俺は野球と音楽と酒とエロい事とギターとゲームとアニメと漫画と映画と動物と麻雀が好き。面白い事も好き。くだらない事も好き。


 しばらく前は泣く回数の方が圧倒的に生活の中で多かったが、今は圧倒的に笑う回数の方が多い。


 俺も正直、ASDという発達障害や鬱がなかった世界線の俺がどういう人間だったのか気になっている。


 でも現実には、パラレルワールドが仮に存在していても絶対に観測できないわけで、つまり俺という人間を語る上では障害と病気は切っても切り離せないのだ。


 俺や、俺の家族の事については、ここには書きたくない事もいっぱいある。なのでそういう事は俺の心の中だけに留めておく。一家心中とか、そういう話になった事もあるが、そんな事を書いて何の意味がある。


 一つ言えるのは、俺含めて、俺の家族みんなが色んなどん底を乗り越えて、少しずつ前に進めているという事だ。


 少なくとも、一番底は脱したと思う。あれ以上辛いことは多分もうこれからの人生で起きない。


 もちろんたまに脳と心が不安定になって辛くなる事もあるけど、もっと遥かに辛い事も経験したから、どうでもよかった。


 人によってみんな生まれ育った環境や家庭や思想や歴史は違うし、人それぞれ人生の中で1番辛かった時期や年齢は違う。俺の場合は、そういう辛い時期は10代後半から25歳までで全部味わい尽くしたと思っている。


 でも今も後遺症というか、「死」が俺の脳に密接に絡みついていて、首を吊りたくなる事もある。でも大丈夫。俺みたいに楽をしたり手を抜いたりする方法を知ってる奴は絶対に死なないから。死にたいと思うだけで行動には起こしませんよ俺は。


 それに死んだら絶対俺の場合は後悔すると思うんだよな。生きてたらそのうち彼女ができて付き合えるかもしれないし。


 5年後、10年後の自分がどうなるかなんて神にも分からない。だから今が辛くてもとりあえず生きてみるっていう精神が大事だ。いつどこでどんな人と出会えるかも全くの未知だし、イレギュラーだって何度も起きる。


 動きの少ない人生でも、バタフライエフェクトみたいな事は何度だって起こるし、風が吹けば巡り巡って桶屋は儲かる。どこで何が起きて、何が自分の人生に密接に絡んでくるか、誰にも分からないし、予想がつかない。だから人生は生き延びる価値がある。


 未来は想像できない。だからとりあえず生きてみようと俺は思ってるけど、「今この瞬間」が物凄く辛い人にとっては、「とりあえず生きてみろ」という俺の言葉は何の意味も無いと思う。


 俺は死ぬ勇気もなかったからダラダラ生きてしまった。だけど、10年前に想像していた俺とは全く違う人間になっていたし、全く想像してなかった経験もできたし、色んな人に知り合えた。


 生き残っておっさんやおばさんになるのも悪いことじゃないし、むしろ良いことなんだなと今は思う。


 10代の頃の俺は、若い時に死ぬ事に価値を見出していた。だけど27歳の今となっては、夭折するくらいならダラダラ生き続けた方がよっぽどマシじゃね? と思う。


 そういう感じで考え方や価値観も生きれば生きるほど当たり前のように移り変わっていくものだから、「とりあえず生きてみる」っていう精神は大事だと思う。


 俺は「頑張って生きろ」とは絶対に言わない。「とりあえず生きてみな」とだけ言う。


 頑張らずに、海の中を漂うクラゲみたいにぼーっと海流に揺られて生きてるだけでも、絶対に自分が予想してない未来が待ってるから、だからみんなとりあえず生きててほしい。


 今その部屋に1人ぼっちだとしても、絶対あなたは1人じゃないからな。


 1人で孤独を感じながら生きてる人は沢山いるし、誰とも繋がれないまま生きてる人も沢山いる。誰とも繋がれない奴同士で少しでも繋がったならば、もうそれはちゃんとした仲間だ。目には見えないが、世界中の1人ぼっちの部屋は接続されている。


 根拠は全く無いですが俺もあなたも絶対に人生なんとかなるから、大船に乗った気持ちで適当に頑張らずに生きていよう。絶対大丈夫。あなたも俺も死ぬ必要は1ミリもありません。




 次回に続く

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