第25話 声

 恋をしている19歳の少女がいた。彼女は自身が通っている美容室の22歳の美容師の事が好きだったが、彼女自身が精神障害者で手帳持ちである事に引け目を感じて、好意を伝える事はできなかった。普通の恋愛に憧れていた。彼女の言う普通の恋愛とは、一緒に水族館にデートに行ったり一緒に花火大会に行ったりする事だった。「私は普通の女の子じゃないから、恋愛なんて望んじゃいけない」と心のどこかで思っている。「外に出て発作が出たらどうしよう」とか「頓服薬を飲むと眠くなるから相手に迷惑をかけるかな……」と不安な事は沢山ある。実らない恋として終わらせるべきなのか、相手に気持ちを伝えるべきなのか、迷っている。バレンタインが近くなってきたから、勇気を出して市販のチョコを渡した。彼は喜んでくれた。でも夜中になるとずっと色んなことをぐるぐる考えている。たまに彼女は1人でベッドの中で泣くことがある。


 ◆


 災害によって妻と息子を亡くした初老の男は、夜になると毎日1人でメシを食っている。幸せだった日々を思い出しては1人で誰にも涙を見せずに泣いている。なにげなく点けたテレビの中から聞こえる笑い声が、全てを失った自分への当てつけのように感じてしまい、男はテレビをすぐ消した。そして会社帰りに買ったスーパーの半額弁当を無表情で口に運んだ。妻と息子の声を思い出そうとしても、もうはっきりとは思い出せなくて、男は静かに泣いた。そういえばネットで聞いた事がある。人が一番最初に忘れてしまうのは「声」だと。


 ◆


 これらは俺が今考えた妄想のストーリー。


 ◆


 世の中には色んな境遇の人がいる。「人間が想像できることは全て実現可能」という言葉を聞いた事がある。それに似たような感じで、俺が頭で想像する全ての事象はこの日本のどこかで絶対に起きている。


 YouTubeで、色んなドキュメントを数えきれないほど見た。


 あるいは知人や友人の過去の話を聞いた。


 友達と電話した時、友達の過去の話を聞いて俺は泣いたらしい。でもそのとき酒に酔いまくってたから、俺の記憶には無い。その事をその人に正直に伝えたが、その人は「私の記憶には残ってるから」と言ってくれた。


 シラフで大切な話を聞く事ができなくて、とても申し訳なかった。


 ◆


 大人になって、泣く回数は減ったけど、その代わり笑う回数も減った。全ての悲しみをゴミ箱に捨てたつもりが、喜びまで同時に捨ててしまったようだ。


 頭が、前頭葉が腐っていくのを日々感じている。想像力は死んでないと思うが、創造力は死んだ。この世に色んな悲しみがある事は承知の上で、全てどうでもよくなった。


 鏡の前で笑う練習をしてみるが目が笑っていない。目が笑ってない人は信用できないって言われた事がある。


 もう少し涼しくなったら富山の友達の墓参りに行きたい。墓を綺麗にする。その人が好きだったブラックニッカというウイスキーを供える。墓前で一緒に酒を飲みたい。そいつは俺より年下だったが既に両親を亡くしていて、精神障害年金と姉からの援助で生きていた。猫を1匹飼っていたが、亡くなってしまった。syrup16gが好きだった。俺は初めて俺と同じくらいsyrup16gが大好きな奴に出会った。syrup16gの最新アルバムが出る前にそいつは死んでしまったから、アルバムも墓に供える。最高のアルバムだったから天国で聴いてほしい。


 俺が精神科に入院してる時、ブロスタという対戦型のスマホゲームに俺を誘ってくれた。そいつは自殺したというか、躁鬱病に殺されたと俺は思っている。


 そいつも何度か精神科に入院していた。


 墓参りなんて生きてる人間(俺)の自己満足に過ぎない。酒を供える事も、友達が大好きだったバンドのアルバムを供える事も、意味が無いかも知れない。俺が自己満足したいから、墓参りしたいだけ。


 TwitterのDMのやり取りや、LINEのやり取りを何年経っても消さずにいる。もう永遠に既読は付かない。何万往復も会話を繰り返した。鬱陶しくなるくらい毎日ずっと送られてきた。失って初めて大切さに気付くっていう感覚はこういう事なんだと思った。毎日酒でお互い馬鹿になって、そんな日々がこれからもずっと続くと心のどこかで思っていた。


 出逢えば出逢うほど、別れの回数も増える。


 人間は2度死ぬ。1度目は心臓が止まった時。2度目は全ての生者から存在や記憶を忘れられてしまった時。


 なので俺がそいつを忘れない限り、そいつは少なくとも2度目の死を迎える事はありません。


 そいつはよく俺に「●●は生きろよ」と言っていたが、俺にキレた時は「死ね!」とよく言ってきた。ちなみにそいつの性別は女だ。謎のカリスマ性があった。根は優しい奴だった。


 よくエーペックスとかロケットリーグとかボイチャしながら酒飲みながら遊んだ。エーペックスもロケットリーグも1チーム3人だから、そいつと俺と共通の友達を1人入れて3人で深夜から昼まで遊んでいた。


 俺がタバコを勧めたら、そいつはタバコを吸い始めた。アル中とニコチン中毒の二重苦を負わせてしまった。


 俺も俺自身に死ねと思う事がよくあるが、死ぬ気も生きる気も湧いてこなくなった。


 恥ずかしい話、めっちゃ死にたくなると俺は妹とか母親に「死にたい」とLINEしてしまう。姉は躁鬱だから、そういうLINEは送らないようにしてる。


 俺もそっち(あの世)に行きたいと思うけど、一応まだ俺の存在を認識してくれて、少なからず好きだとか嫌いだとか、そういう感情を俺に抱いてくれる人もいるから、それが生きる理由になっている。好きの反対は嫌いではなく無関心だと言ったのはマザーテレサだったか。本当にどうでもいいなら、完全に記憶の中から消えてしまう。


 思い出そうとすれば俺も思い出せるけど、好きじゃなくなった人のことは普段はずっと忘れている。


 俺はブラックニッカ、というかウイスキー全般が嫌い。ラムとウォッカが好きだが、強い酒を飲みまくってるとすぐ離脱症状が起こるから、ストロング系缶チューハイしか飲めない。


 酒の離脱症状は、酒を飲みまくってる事で起こるケースも多い。少なくとも俺は五回は離脱してるが、全部酒を飲みまくって記憶を無くした時に起こしている。


 酒による離脱症状は筆舌に尽くし難いほど苦しくて辛いから、アル中の人は本当に覚悟してください。回数を重ねれば重ねるほどマジで死に近づきます。ほぼ全ての精神疾患の強い症状や身体の不調が全部まとめて襲いかかってきます。俺は文字通り発狂して、泣いたり叫んだり壊れたりした。


 ◆


 俺は一時期、躁鬱の薬を処方されていた。病院を変えたら単なる鬱だと診断された。


 躁鬱の二型の診断を受けたことがあった。


 離人症の症状が起きてた時期もあった。


 統合失調症の陽性症状が起きた事もある。


 強迫性障害の症状は出た事ない。アパートの鍵閉めたっけな。と不安になっても、まあいいかと受け流す。


 だからなんだ。


 たかが脳というピンクのぷよぷよの物体にここまで俺の人生が振り回されるとは思っていなかった。脳に対して怒りを感じた事もあるが、みんなそんなもんかもしれない。


 地震が起こった時に地面やプレートにキレても仕方ないのと同じで、脳にキレても仕方ない。俺は脳に支配されている。


 ◆、


 俺の知人が強迫性障害の人がいて、その人はシャワーを1度に3時間くらい浴びるらしい。ひどい時は半日以上ずっと体を洗うそうだ。


 大変だ。


 精神疾患は心の病気ではなく脳の病気なので、根性で何とかなるわけではない。


 認知の歪みを自覚することや、認知行動療法も大事だけど、まずそこに至るまでにはちゃんと通院して薬を飲んで、ストレスの発生源から離れる必要がある。


 俺も認知の歪みのチェックシートを受けてみたら、めちゃくちゃ認知の歪みがあった。


 ◆


 THE BACK HORNの「美しい名前」を久しぶりに聴きながらシャケのおにぎりを食ってたら涙が流れてきた。


 めちゃくちゃ良い歌なのでおすすめ。


 実話が元になってる曲だ。イントロが心臓の鼓動のように感じる。


 友人が意識不明になって病院にいる時、その友人の家族が必死に手を握って諦めずに何度も名前を呼んでいる光景を見て、「この事は歌にしないといけない」と思って作られた歌です。作詞作曲はギターの菅波栄純。


 THE BACK HORNの曲は、命を燃やしている感じがある。


 ◆


 ついでに明太子のおにぎりも食った。


 最近よくネットやメディアで「おにぎり専門店」っていうのを見かける。たくさんの行列が出来ていて数時間待ちらしい。たかがおにぎりにそんな価値あるか? と俺は正直思ってしまう。おにぎりなんてスーパーのやつでよくね?


 あと、しばらく前に唐揚げ専門店が流行ったけど、もう既に唐揚げ業界は斜陽らしい。


 タピオカも一瞬でブームが終わったな。


 特に最近のエンタメとか音楽は一瞬で消費されていくイメージが強い。


 若い子がTikTokとかで一瞬にしてあらゆるコンテンツを食い散らかして消費していく印象。


 俺はTikTokとかインスタとか全くやってない。そもそも旅行に行かないし、高価なごはんも全然食ってないし、行動的な性格でもないから、投稿する内容が無い。内容が無いよう。


 現代は、コンテンツの流行り廃りがとても激しいと思う。


 あとネットと現実の境界線がどんどん希薄になっていって、いにしえのネット文化はもはや死んだ。


 社会不適合者の居場所が、リア充(死語)に食い荒らされて、もう現実とネットの区別がほとんど無い。


 ネットの動画や配信で収益化できるようになったのが、よくなかったと思いますが、俺自身、常に流動する時代に対応していかないと老害と呼ばれる存在と化す。


 でも変わらないものもきっと沢山ある。


 ◆


 さよなら、と言ってあなたは俺の前から去った。


 悲しくない。元気でいてね。ずっと健康で居ろよ。周りを大切にする以上に自分の心と体を大事に労わって下さい。


 別れの言葉や理由をくれただけ、誠意を感じる。


 ◆


 コメントで、米津玄師さんの「がらくた」っていう曲を教えてくれた方がいて、聴いてみたら、歌詞がめちゃくちゃ良くて思わず泣いてしまった。


 教えてくれて感謝する。超良い曲。


 ちなみに米津玄師は俺と同じASDという発達障害を持っていることを公言している。ちなみに二十歳の時に診断されたそうだが、俺も二十歳で診断された。


 俺は米津玄師のように大成功を残す事はないと思うが、自分に似た境遇の人が音楽界で表立って活躍してるという事実だけで救われるような思いになる。


 夢は叶う確率より叶わない確率の方がかなり高い。


 俺は特に人生や命をかけて叶えたい夢がない。気まぐれに働いたり働かなかったりして、ずっと今のように一人暮らしできたら良いかなと思う。それ以上は荷が重い。


 でも難しいんだよな。足るを知って自分の分を弁えて何も挑戦しないのが幸せな人生だとは思わないし、限界を超えて無理に頑張ってまた脳が壊れるのも怖い。


 とりあえず、少しだけ希望を持って生きていきたい。


 クソどうでもいい事ばかりだが、どうでもよくない事も少しだけある。


「諦めてる」っていうのが俺の思想の1番最初にあるから、これが厄介である。どうせ何も上手くいかないと思いながら行動したところで上手くいくわけない。諦める理由を探して、そのまま諦めて終わるだけだ。


 奇跡は起こそうとしてる奴にしか起こらない。なんとか街の喧騒の一部になろうとしない限り、俺は死ぬまで永久に1人だ。


 相手に痛みを与えたり、自分が痛みを感じたりするくらいならずっと1人でいいと思う気持ちもあるが、それと同じくらい1人が寂しい気持ちもあるから、俺はまだ死ねない。多くの二律背反や矛盾の中で生きてる。




 次回に続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る