第24話 二つ星
カラオケ、映画館、雑貨店。
あてどない足取りが記号的なルートを辿り、過ごしている時間と比例するように芽衣さんの笑顔が増えていく。降り注ぐ陽射しにも負けないぐらい、
胸がざわつくような、けれども、満たされていると感じる自分もいる。
仙台駅を
普段、こちら側に来ることがないので歩いてみたい。
芽衣さんの希望に従って歩くうち、澄み渡る空の端に茜が差す。飲み物を買いにと立ち寄ったはずのコンビニで、彼女は別のものに釘付けになっていた。
「芽衣さん? それ……」
派手なフォントに同じく派手な配色が目立つパッケージ。しゃがんでいる芽衣さんが手にしていたのは、この時期どこにでも売られているような手持ち花火のセットだった。
声を掛けると我に返り、照れくさそうに笑いながら、
「えへへ、ちょっと気になってしまいましたの。小さい頃はよく遊んでいたのに、最近はご無沙汰だなぁ、って」
「まあ……いつの間にか遊ばなくなりますよね。うちも似たような感じでした」
やはりどの家庭も似たようなものなのですね。なんてことのない言葉が耳を素通りしようとして、半分無意識で唇が動く。
「やります? その花火」
「へっ……? い、いいのですかっ!?」
「ちょうど近所に公園がありますし――ああでも、許可とるのが面倒なんでしたっけ。参りましたね……」
「いいえ、ご安心を!」とびきり頼もしい笑顔を浮かべて、「知り合いのボランティアの
自治体か、あるいは市の運営に
花火セットとライターを飲み物ごとカゴの中に放り込んで会計を済ませる。その間に無事に許可をもらえたらしく、もしかしたら帰りが遅くなるかもしれないと芽衣さんは親への連絡も済ませていた。
足を運んだ先にある公園はこじんまりとしていて、敷地内には滑り台と水飲み場、あとは申し訳程度にベンチが二つ置かれているだけ。
バケツに水を汲んできたりともろもろの準備を整える頃には、茜色の空が
花火を使い切れば、一緒にいられる時間は終わり。そう感じさせる空だった。
「――銀平さま。あの、大丈夫そうでしょうか……?」
「平気です。ちょっと、
ライターの火を差し出された手持ち花火に近付けて、
「わあぁぁっ……! 見てくださいませっ、色が少しずつ変わってきましたわ!」
「……本当だ。オレンジから水色に……あっ、スカートを焦がさないようにだけ気をつけて……!」
「大丈夫ですわっ! ――ほらっ、銀平さまもご一緒に!」
袋から適当な一本を渡されて火を点けると、今度は赤から緑に色を変える花火だった。その次は派手に弾けるように燃え上がる花火、まるで稲妻のように強い光を発する花火と、色彩もバラエティも豊かな一品の数々が俺たちを魅了する。
芽衣さんは言わずもがな、俺でさえ柄にもなく興奮を隠せなかった。
童心を刺激されるとでも言えばいいのか、つん、とした火薬の匂いを嗅ぐと、記憶の栓がゆるんでしまう。
手にした一本の花たちは、
幻影のように揺らめく光を見るたびに――気付けば視界の端が滲んでいる。触れて確かめるまでもなく、それは俺の涙だった。
「銀平さま――」
目元を手で
ありがとうございます、大丈夫ですからと言って背伸びする彼女を落ち着かせ、ひとつ咳払いをして息を整える。
「本当に大丈夫ですか? 目にゴミでも……」
「違うんです。ただ……」
目を伏せた先にあったのは、燃え尽きた花火の穂先だった。
「……小さい頃を思い出してました。両親と、花火で遊んでた日のことを」
無邪気にはしゃいでいた父親と幼い自分。それを優しく見守る母親の姿。七夕まつりから帰った後、毎年家族で行っていた恒例行事は、両親の死別を皮切りに心の奥底で眠っていた。
最後にやったのは――もう五、六年前になるだろうか。孤独の時間を数えると、熱いものがこみ上げそうになる。
「芽衣さんと同い年くらいの頃までです。この間みたいに七夕まつりがあった日は、帰りに花火を買って、一緒に遊んで……」
「今はもうしていないのですか?」
「いえ……できないんです」
燃え尽きた花火をバケツの水につけ、
「二人とも事故で、俺が高校に上がる前でした」
木々の葉のざわめきが風を知らせる。肌を撫でる感触はわずかに冷たくて、あおいだ空にはふたつの星が瞬いていた。夕闇の世界が俺たちを囲んでいる。
「芽衣さんに言ってないことが、まだひとつだけ。……俺、実は整形してるんです。顔が原因でいじめられてたので、それが嫌になって。でも結局、人生が劇的に変わる事なんてなかった。人を信じ切れない自分がいて、自分の事さえも信じられなくて……臆病な自分がいつも心の中にいる」
「……臆病な自分」
「ずっと守ってたんです、よそよそしい言葉遣いを染み込ませて。けれど……そのうえで、伝えたいことがあります」
震える拳を握り直す。目の前にいる彼女と過ごした時間、思い出、そしてかけがえのない、身勝手だけど純粋な――
「俺は……芽衣さんが好きだ」
いつしか芽生えていた想いの前に、心の鎧は無力だった。
七夕まつりのめぐり合わせか、救われた事に対する恩返しか。あるいは彼女の人柄、外見――心当たりはいくつもあって、しかし、そのどれもに否定の言葉を返せない。
自分を変えてくれた彼女の存在に、俺はどうしようもなく惹かれていたからだ。
芽衣さんの一番近くにいられる人間になりたいと思う。彼女を支えられる人間になりたいとも。
けれどすべてを打ち明けた上で、理想的な言葉が返ってくる保障なんてどこにもない。戦々恐々、遅れてきた不安に胸を締め付けられる。
判決を待つ罪人のような心地で沈黙を耐え忍んでいると、俺の予感は予想外の方向に的中した。
「――っ」
一歩踏み出してつま先立ちの姿勢になり、頬に手を添えられる。
そのまま芽衣さんは――俺に唇を重ねてくれた。
めまいを起こしそうなくらい甘い瞬間で、この世の何よりも柔らかくて、優しい感触に夢と現実を錯覚する。こんな時間がいつまでも続いてほしい。不覚にもそう思ってしまったのは、知らぬ間に贅沢になっていたからだろうか。
「……先を越されてしまいましたわ」
「え……?」
目を丸くしてまもなく、恥じらいを含んだ笑みが返される。
「どんなに辛い事があっても前を向き続けて生きてきた。……今さらになって申し訳ありませんが、先日体を張ってわたくしの事を守ってくれた時、すごく心強かったです。本当に怖かったので」
「……芽衣さん」
「いま分かりましたわ。たとえ見た目が変わっても、心の形は変わりません。だからそんな銀平さまの優しさに……わたくしは強く、惹かれたのだと思います」
上目遣いの瞳から視線を外せない。心臓を掴むような言葉に体の奥底が震えて、
「わたくしも、銀平さまのことが大好きですわ……!」
――頬を伝う一筋のしずく。
それが喜びの象徴であることは疑うまでもない。だけどその涙が、俺からも流れているのはなぜなのだろう。
答えはきっと単純で、心を見られるのが初めての経験だったからだ。
見た目が変わっても心の形は変わらない。俺の両親がくれたのは思い出だけではなく、
それに気付けたのは間違いなく、芽衣さんのおかげだった。
「花火、まだ残ってますね。線香花火」ふうっと息を吐き出し、精一杯の笑みを作る。「一番好きな花火だ」
「はい……! わたくしもですわ!」
八月下旬。
立ち上る線香の香りが夏の終わりを意識させる。儚げに散る花火を見守っていると、切り出された話に俺は耳を引かれた。
芽衣さんが抱いているという、夢の話に。
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