第21話 富の独占


 芽衣さんがどんな表情を浮かべているかはわからない。


 呆気あっけにとられているのかもしれないし、申し訳なさそうに目を伏せているのかもしれない。しかし、


『えっ――ええぇぇぇええぇえぇぇぇ~~~!?』


 鼓膜を破らんばかりに響いた絶叫はそのどちらでもなさそうだった。


 反射的にスマホから耳を離した瞬間、ぶつりと通話が途切れる。俺が誤操作をしてしまったのかと不安になったが、チャットのタイムラインを確認するに、通話を終わらせたのは芽衣さんだった。


 さすがに急ぎ過ぎたのだろうか。

 もっと、段階を踏んでから誘うべきだったのでは。


 顔を覗かせ始めた後悔の念を、天をあおぎながら噛み潰す。やはり先ほどの言葉はひっこめるべきだろうか。情けない逡巡しゅんじゅんが頭をよぎった時、手のひらのスマホが震動した。


『ス魔歩を落っことしてし舞いました』

『ふつつつつつかものですが』

『よろしくおねがいいたしますわわわ』


 目に飛び込んだのは誤字だらけの、たどたどしいメッセージ。だけれども、ていになりかけていた俺が息を吹き返すには十分だった。


 芽衣さんのあからさまな焦りをほぐすように、俺はまず気遣いの言葉を置いてから感謝を述べる。


 その後に返ってきたのは「おやっす」という一文だけだったが、おそらくおやすみなさいと伝えたかったのだろう。適当なスタンプを添えて会話を締めくくる。


 日をまたいで翌日の昼頃、昼休憩の時間を迎えるとチャットアプリにメッセージが届いていた。もはや言わずもがなというべきか、差出人は芽衣さんだった。


『昨晩は慌ててしまい、すみませんでした』

『あらためてその……お誘い頂いたおデートについて、なのですが』

『明日の予定はいかがでしょうか。お返事お待ちしておりますわ』


 果たしてデートという単語に“お”を付ける必要はあったのだろうか。昨夜の緊張が尾を引いているのか分からないが、初めて見る尊敬語の使い方に疑問符が止まらない。


 とはいえ、前向きな提案に返事を悩む必要はなかった。


「おやっさん」


 スマホをしまい、ちょうどいいタイミングを見計らって昼食中のおやっさんに声を掛ける。


「急で申し訳ないんですが……明日ってお休み、いただけます?」

「おう。もちろん」


 理由を述べる間もなく、即答だった。さらに大らかな笑みを作りながら、


「昨日、今日と無理を押して来てくれたんだ。なのにダメだなんて言ったら、カミさんからバチが当たるってもんよ」


 無理を押してとおやっさんはおもんぱかってくれたが、体に残る痛みはほとんど消えている。しかしその厚意を無下にしないよう、ただ真摯しんしにお礼を告げて仕事に戻った。


 待ち合わせ場所はどこにしましょうか、時刻は、行きたい場所は――帰宅して芽衣さんとすり合わせをするうちに、七夕まつり前日の記憶がよみがえってくる。


 当時、交際していた彼女とどこを巡るかの予定を立て、共に時間を過ごして幸せなまま一日を終える。ついぞそれは叶わなかったが、 あの祭りの日を境に俺の運命は変わった気がする。


 芽衣さんと出会わなければ、俺はどうなっていただろう。


 考えた先の未来は、脳裏に浮かんだ“富の独占”という言葉に塗りつぶされた。


「……本当にいいのか……」


 真っ暗な天井はただ、そこにあるだけ。


 俺よりもずっと濃い人間関係をもっていて、家柄にも恵まれ、芽衣さんを愛し、支えてくれる人たちが周りにいる。誰かの為に体を張れる勇気だって持っている。数多の富に囲まれた彼女に、本当に自分の気持ちを伝えても――


 正気のふりをした劣等感に、俺は目をつむった。




 仙台駅構内、ステンドグラス前という待ち合わせ場所は、以前水着を買いに行った時と変わらない。午前十時前のこの時間帯は人通りもいくらか落ち着いている。


 他に違う点があるとすれば、あの時とは着く順番が逆だったという事だ。


「あ……」


 待ち合わせ時刻の五分前、先週俺が立っていた場所にいる芽衣さんを見つける。青竹のように背筋をまっすぐと伸ばした佇まいは相変わらず、それ以上に普段と違う装いに俺は目をかれた。


 白を基調とした小紋こもん――分かりやすく言えば柄や模様が散りばめられた着物のこと――は繊細な葛柄くずがらで、袖口から覗くフリルはインナーに着たブラウスのものだろう。


 濃灰色のシフォンスカートは太めのベルトでまとめられ、黒のショートブーツ、細めのタイリボンなど、さながら大正時代のお嬢様のような雰囲気にモダンテイストがうまく融合している。まさしく和洋折衷せっちゅうの装いだ。 


「……おはようございます。芽衣さん」

「はっ――ひゃいっ!?」横から声をかけると肩を震わせながらこちらへ振り返り、「あ……ぎ、銀平さま? おはよう、ございますです、わ?」

「どうも。ええと……」


 会釈えしゃくを返し、俺はやや視線を外しながら唇を動かす。


「服装、似合ってますね。髪型も素敵だと思います」

「っ……! ありがとうございます! この服はおばあさまと一緒に選んだものでっ、銀平さまに見てもらうまで不安で……でも、でもとっても嬉しいですわっ!」


 面と向かって異性を褒めるのは、ほんの少しだけ照れくさい。だが晴れやかに咲いた笑顔の花が、ちっぽけな恥じらいを吹き飛ばしてくれる。


 肩甲骨にかかるぐらいの黒髪は美しくつやのあるストレートに。左右の耳上の毛はとって三つ編みにし、後ろに回してリボンでひとつにめられている。今日の芽衣さんを見た瞬間に俺はきっと、心を動かされていたのだと思う。


 素敵だという言葉に冗談やお世辞が入り込む余地などなかった。


 挨拶もそこそこに構内を出る。

 昨日、行きたい場所はと問いかけてみたが、芽衣さんは特に目的地を決めずに歩きたいと言っていた。だから今日は気の向くままに足を動かして、興味を惹かれたところに立ち寄ってみる。


 これがいわゆる、お散歩デートというものなのかもしれない。


「……芽衣さん、ひょっとして緊張してます?」

「へっ? どうしてですか?」

「いえ。さっき挨拶した時、声が上ずっていたので」


 俺の指摘に苦笑いを浮かべて、


「正直に白状すると……はい。お誘い頂くという経験がそもそも初めての経験でしたし、まだ浮足立っている感じがします」


 意外と言えば意外な返事に、言葉を返す。


「今まで面と向かって言いませんでしたが……芽衣さんは素材がよくて、人当たりも性格もいいですよね。だから親密な関係になる機会もあったんじゃないかって、勝手に思ってました」

「そ、そう言われると、なんだか照れてしまいますわね……えへへ」頬をほんのりと染めながら笑い、「ですが、ボランティア活動をしている影響もあるのかもしれません。お休みの予定が合わなくてお友達と遊べない、なんてこともありましたもの」

「なるほど。想像にかたくない理由ですね」


 街の空気を吸いながら歩いていると、俺たちは近くにあるアーケード街の敷居をまたいでいた。


 以前、水着を買いに行った帰りにも立ち寄った場所だが――記憶をたどる足取りが、俺たちをゲームセンターの前まで案内する。


 開け放しの入り口からはクレーンゲームの筐体きょうたいが見え、一方、芽衣さんの視線は店内中央にある上り階段に注がれていた。


「二階にはどんなゲームが置いてありますの?」

「対戦系の格闘ゲームとか、リズムゲームとか……俺もあまり行ったことはないですけど、クレーンゲームより難しいのが置いてあります」


 するとどういうわけか、芽衣さんは上品に手を合わせ、


「まあっ、それならお友達と遊んだことがありますわ!」

「え? ……それ、って、どっちのですか?」

「格闘ゲームの方ですわ! しかも戦績的にはほぼ圧勝――どうでしょう、銀平さま。ここで一戦、交えるというのは?」


 えらく強気な物言いではあったが、妙に自信満々な態度のおかげでハッタリか否かの判別がつきづらい。


 その口ぶりに違わず無類の強さを誇っている可能性もあるし、とはいえ個人的な所感を言ってしまえば、芽衣さんとゲームという単語のイメージがどうしても繋がらなかった。だが、負けてペナルティがあるわけでもないのだ。


 ここは勝ち負けにこだわらず、純粋に楽しむ程度の気持ちでのぞむのが正解だろう。


「……わかりました。お手柔らかにお願いします」

「ふっふっふ……手加減なしで来てくださいませ……!」


 のしのしと階段を上っていく姿に半信半疑が加速する。


 はたして芽衣さんの実力は――

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