第14話 心花


 公園内の撤去作業を終えた翌日の昼頃。俺と芽衣さんはユミさんに誘われて、ガレットとクレープの店に来ていた。


 クレープはともかく、ガレットという単語は初めて聞く。


 最初は何なのか分からなかったが、どうやらクレープ状にしたそば粉の生地にハムや卵、野菜をのせたフランスの料理らしい。ナイフで切り分けたり、フォークを使って具材ごと生地を巻いていく所作には多少の慣れが要る。


 しかし味については格別の一言だった。


 もっちりとした食感に生ハムの塩気、トマトの酸味がうまく調和して、何度口に運んでも飽きがこない。舌鼓したつづみを打つ俺たちにユミさんはこころよく笑いかけながら、


「二人とも二日間、本っ当にお疲れさま! 芽衣ちゃんにはいつも助けられてるし、ギンちゃんもけっこう話題になってたよ。何、変な水鉄砲の構え教えてたらしいじゃないのよ」

「いや、あれは子供が勝手に真似しただけというか……でもお役に立てたのなら嬉しいです。お昼まで頂いて」

「いいのよ、これぐらい! ってかキミたちさぁ――」


 やや前のめりになって、ユミさんはわざとらしく声をひそめる。


「……ぶっちゃけ、どういう関係なの?」

「どっ――ぎぎぎっ、銀平さまとはっ、そういう関係ではありませんわっ!?」

「うろたえるの早っ! ドラマだったらもう、アレよ! 芽衣ちゃんクロだって疑われて捕まってるわよもう!」

「芽衣さんとはたまたま街で知り合いました。その縁がきっかけでボランティアに……という流れの付き合いで」

「そんでギンちゃんは淡々としすぎッ! 慣れてんのこういう状況?」

「……芽衣さん、他に頼みたいものは?」

「話題の切り替えが下手すぎますわ!? ですがあの、ストロベリーパフェをひとつ……」


 あの、ユミさん。もう少し声のボリュームを――オーダーを取りに来た店員にたしなめられ、俺たちは口を揃えて「すいません」をとなえた。


 食後のデザートまで完食した後は、お土産を買うのにちょうどよさそうな店を見て回る。俺はバイト先のスタッフの為に、芽衣さんは家族と友人の為に。幸いにも地元の名産品などに詳しいユミさんがいてくれたおかげで、さほど悩まずに目星をつける事ができた。


 ひょんな事から知り合ってしまった女の子と、ボランティアにいそしんで共に時間を過ごしている。


 事柄だけを抜き出せば、ユミさんの好きそうなドラマのあらすじとしても通りそうである。益体やくたいもないことを考えていると、ほどなくして遠くの道路にバスが見えた。仙台行きの、帰りのバスだ。


「――二日間お世話になりましたわ。お元気で、ユミおばさま!」

「……お世話になりました。ユミさん」


 率先して礼を言う芽衣さんにならって頭を下げる。ユミさんは普段よりももうひと回り、砕けた笑顔を浮かべて、


「機会があったらまたよろしくぅ! ……マスク、今日は全然してなかったね」

「いけませんか?」

「逆よ、逆! ね、芽衣ちゃん?」

「はいっ! とっても素敵ですわ!」


 していなかった、というのは正確ではない。今朝、ポケットから取り出した時には紐が切れていて、ホテルのゴミ箱に捨てたから付けられなかっただけ。


 そんな子供じみた言い訳をさておいて、俺は素直にありがとうの言葉を返した。


 芽衣さんが窓側で俺が通路側。バスに乗り込むと潮の匂いが引いていき、流れてゆく景色が手を振るユミさんを置き去りにする。午後の優しい日差しのせいか、食後だからか。じわじわとした眠気にまぶたが重くなり始める。


「銀平さま? ……眠いのですか?」


 何度か目をこすっていたからだろう。外を眺めていた芽衣さんが気に掛けてくれる。


「……そう、ですね。芽衣さんは?」

「わたくしは全然。景色を眺めながらぼーっとしていただけですわ」少しだけうつむき、おずおずとした様子で、「……眠りたくなったら、どうぞ。遠慮せず寄りかかっていただいて構いませんわ」


 ありがとうございますと呟いて、背もたれに預けていた体重が徐々に横へずれていく。まぶたの裏には陽射しと日影が交互に落ち、トンネルに入ったのか暗闇が長く続いている。


 布越しに感じる心地よい体温が、すぐに眠りをもたらした。





 バスに乗る時は、いつでも窓側の席を選んでいました。


 流れる風景はまるでパノラマ写真を見ているようで、飽きなくて、楽しい。そう思うようになったのは小さい頃、両親に旅行に連れられた時。ですが中学二年生の頃にボランティアを始めてからは、より大切な時間になった気がします。


 緑豊かな山々や、きらきらと輝く水平線。見える景色の向こう側に昨日と今日、笑っていた人たちの顔を思い出して、振り返って――


 追憶ついおくの中には今、眠りに落ちている方の顔もありました。


「……おつかれさまですわ。銀平さま」


 銀平さまと話す時はいつもわたくしが見上げるような格好になってしまう。互いに座っている今もそれは変わりませんでした。


 ただ小さな寝息に耳をくすぐられ、子供のように無垢むくな寝顔にほんの少し、鼓動が早くなる。


 彫刻のように整った端正たんせいな顔立ち――ユミおばさまは俳優の誰かに似ているとおっしゃられておりましたが、間近で見るとそれがよく理解できました。


 ――普段は落ち着いた感じですのに、寝顔はこんなに可愛らしいなんて。


 お友達から聞いた話によれば、誰かと一緒にいる時に寝られるのはその人を信頼しているからだそうです。銀平さまが、わたくしのことを信頼している。


 そう思うにはまだ、心の距離が遠いように感じられました。


 初めて出会った七夕まつりの帰り道、友達がいないと自ら語っていた銀平さま。ユミコさまという方からいじめを受けて以降、心の壁が高くなったとも話してくださいました。


 ですが思うに、本当の傷はまだ打ち明けてはいないのではないでしょうか。


 もっと深刻な傷を抱えているけれど、人に話すのははばかられる。だからあえて、別の傷をさらけだす事で意識を逸らそうとしている。


 そうすれば本当に触れられたくない部分からは守れるから。


「……どこまで手を伸ばせるのでしょう」


 わたくし達の関係はきっと、銀平さまの優しさの上に成り立っている。


 この方が纏っている言葉の鎧、心の壁。本当の傷を別の傷で守っているように見える銀平さまの姿は、わたくしには痛々しく見えてしまう。


 ――自分のする行いが、今度こそ。自己満足で終わりませんように。


 奉仕活動を通じて開いた心の花を、今一度強く抱きなおす。

 窓越しにしたたる雫を見れば、空には暗い雲が立ち込めていました。

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