第13話 恐竜の背中


 休憩中にも思っていたことだが、俺は子供の扱いがどうにも苦手だ。もっとていに下手くそと言ってもいい。


 打算が通じなくて感情的、次に何をしでかすか分からない幼児の相手は想像以上にスタミナを使う。カフェでの接客経験がきない事など百も承知だったが、接しているうちに彼らが別の生き物のように思えてくる。


 だが自分にも、これほど無邪気な時期があったのだろうか。


「ギンちゃんさ、ガキンチョ相手にする時は敬語外しちゃいなよ」


 休憩時間の終わり際、ユミさんから貰ったアドバイスが頭をよぎる。マスクの次は言葉の鎧。俺が子供の相手をするとなったら、外すべきものは二つあるらしい。


 息を吐き出し、目の前の子供たちをざっと見やる。これはそういう訓練だ。心持ちを切り替えて、つとめて自然体に見えるように――


「……あー、今からルール説明するから。ちょっとだけ時間ちょうだい。一分で終わるから……はいはい。そこの子、静かに――」


 子供と接するときはなるべくフランクで、分け隔てのない人物を演じよう。そうして塗り固めた即席の仮面は、思いのほか馴染んでくれたようだった。


 口調が柔らかくなったおかげか、子供たちの聞き分けがよくなる。のみならず、親が子供を注意する回数も減り、弛緩しかんした雰囲気のまま遊びの段階へ踏み出せる。最初は半信半疑であったものの俺は内心、驚いた。


 これは後でユミさんに礼を言わなければならないだろう。


「変な構え方するおにーちゃん! 一緒にあそぼー!」

「……それ言ったの誰か教えてくれたら、オレンジジュースあげるよ」

「かっちゃん! あっちにいる子~!」

「ばッ――!?」


 俺に対する人物像まで変わったのかは定かではないが、子供から遊びに誘われることも増えた。


 女の子にジュースを渡し、かっちゃん――よく見れば午前中、俺に水鉄砲を発射してきた日焼けした男の子だった――に数発、水の弾丸を見舞ってやる。彼も俺の構えを真似していたが、ひそかに気に入っていたのだろうか。


 監督役を務めながら子供と触れ合っていると、時間はあっという間に過ぎてゆく。

 昼間は盛況ぶりを見せていた公園も次第に人がいなくなり、残っているのはまばらな親子連れとボランティアスタッフだけ。


 鈴を転がすような笑い声が聞こえたのは、空がだいだい色に染まる頃だった。


「あっははっ……! 銀平さまっ、体がびしょびしょですわよ……!」

「結構やられま――っくし……!」


 ラッシュガード越しに感じる冷たさにくしゃみをあおられる。俺は軽くそでを振るって鼻をこすり、


「……子供が一番体力ありますね。結構、水をかけられました」

「タオルを持ってきたので使ってくださいませ。あとは片付けをして終わりですわ」


 ――からっぽになった水鉄砲ともこれでお別れか。


 着替えを終えて後片付けの作業に入る。ビニール製の遊具や柵など、簡単に片付くものを優先的に。テントや休憩所など大掛かりなものの撤去は明日の朝に行うらしく、最後にゴミ拾いを済ませて解散となった。


 やわらいだ空気にいくつもの「おつかれさま」が溶け、時刻を確認すれば午後六時半。


 日没を迎えた空は、徐々に暗さを増し始めていた。




 ユミさんを含めたボランティアスタッフの人達にお礼の挨拶をして回り、芽衣さんが予約をとっていたホテルへと向かう。


 外観はオーソドックスなビジネスホテルといった風貌ふうぼうだが、エントランスやロビー、部屋の内装などからはそこはかとない高級感が漂い、居心地はすこぶる快適だった。


 反面、相応の値段がしたのではと小心しょうしんな気質が顔をのぞかせる。


 家がお金持ちであろう芽衣さんからすれば大した額でもないのかもしれない。それでも改めて礼を言っておくべきだろう。


 明日の朝にでもと考えていた段取りとは裏腹に、再会の機会はいち早く訪れた。


「……芽衣さん?」


 夕食後、コンビニへ行こうとしていた時だった。


 ロビーの一角に設けられた休憩スペース。ふとそこで、誰かと通話している芽衣さんの姿が視界に映る。向こうも俺の存在に気付いたようで小さく微笑み、そばへと歩くころには話が終わっていた。


「こんばんは、銀平さま」芽衣さんはぺこりとお辞儀して、「いかがですか? お母様がおすすめしてくれたホテルなのですが……」

「快適です。こんなにいい所に泊めてくれて、ありがとうございます」


 一瞬、聞くべきかどうか迷ってから、


「通話、芽衣さんのお母さんからですか?」

「はい。その、今日の報告と言いますか……ユミさん達に迷惑をかけていないか、ちゃんとボランティアが出来ていたか心配してくださいましたの。ちょっぴり過保護ですわよね」


 どこか気恥ずかしそうな笑みに俺は首を振る。


「いい事だと思います。それだけ大切に想われている証拠ですから」


 きょとんと丸くなった瞳を見て、俺は自分の語気にシリアスなトーンが滲んでいたことに気が付く。


 俺はちょっと、飲み物でも買いに行こうかとコンビニまで――取り繕うように話題を変えると、今度は瞳に輝きが灯った。


「よ、よよ、夜のコンビニへ行くのですかっ!? わたくしもお供致します!」

「構いませんが……いいんですか? 夜の外出は禁止されてたり」

「だからこそです! ……この時間帯、めったな事では外に出る機会がなくて。なので今日は特別ッ! 特別、なのですわっ!」

「わ、わかりましたので顔を近づけないでください……鼻息がかかってます……!」


 門限のある家庭であればなるほど、夜間に出歩くという体験は貴重なのだろう。興奮気味の芽衣さんの手綱たづなを握りつつ、俺たちはホテルの外へと踏み出した。


 街灯はひどく心細く、ここにはぎらついた看板も、背の高いビル群もない。田舎町なのだから当たり前だ。


 代わりに見えたのは大きな山の輪郭だった。起伏にんだジグザグのシルエットが夜空との境界線を主張し、じっと見続けていると怪獣の背中のように思えてくる。


 子供の頃に見ていたら化け物かなにかと勘違いすることいだろう。


「あちらの山は、まるで恐竜の背中のようですわね!」

「……そうですね」遠くを指さす芽衣さんを見ながら、「俺には怪獣に見えました」

「かいじゅう?」

「ええ。小さい頃に見てた、テレビの影響かもしれません」


 巨人に変身するヒーローが山のように大きな怪獣と対峙する。幼心おさなごころに残っていた記憶が、現実にフィクションの輪郭を与えてくれた。


 コンビニの店内は人が少なく、俺たちの他には眠そうな店員がいるだけだった。


 芽衣さんは雑誌コーナーから諸々の商品が置かれている棚まで、物珍しそうに隅々まで見渡している。さすがにコンビニを利用するのが初めてという訳ではなさそうだったが、単に浮かれているだけなのかもしれない。


 ほしいものがあったら、遠慮せずカゴに入れてください。

 そう言って芽衣さんが持ってきたのは半額シールの貼られた食品ばかりだったので、予感はいよいよ確信に変わった。明日の朝にでも食べるのだろうか。


「今日の午後は敬語が外れていましたわね。普段はわたくしにさえ敬語ですのに」


 レジ袋をげた帰り道、会話の種が転がってくる。


「子供が相手の時はそうした方がいいと教わったので……実際、効果はありました」

「ユミおばさまですわね。子供の相手をするのが得意ですから」

「もうお見通しなんですね。芽衣さんとも付き合いが長いって聞きましたけど」

「……銀平さまは」


 通り過ぎる街灯の光が、彼女の横顔を弱々しく照らす。


「遠慮、しているのでしょうか。誰に対しても敬語を崩さないので、壁があるように感じてしまいます」


 こんな指摘を、当たらずとも遠からずと呼ぶのだろうか。


 遠慮というのはずいぶん優しい言い方で、本音を言えば心が傷付かないようにするための――臆病な鎧でしかないのかもしれない。敬語という言葉には、他人との距離を置ける力がある。


 自分がそれに甘えているのは、偽りようのない事実だった。


「心の壁が高くなってしまったみたいで、外れないんです。頑張らないと、頑張っても難しいんですが、どうしても……」

「……原因はやはり」

「“いじめ”でしょうね。でもまあ……生きていけてますから」


 ――俺は人間が嫌いだ。


 だけど芽衣さんに対しては、確固たる心の壁もわずかに脆弱ぜいじゃくさを見せ始める。でなければ、思い出したくもない過去を話せてしまう筈がない。


「誤解しないでくださいませね。無理に変えてほしいと言っているのではなくて……ただ」


 芽衣さんはふ、と相好そうごうを崩し、


「子供に囲まれながら遊んでいる銀平さまは……楽しそうで、素敵に見えましたわ」


 鼻をくすぐる潮の匂いに、半分の月がのぼる空。


 その言葉に、また心の壁が弱くなりそうだった。

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