第12話 泥中の蓮


「銀平さまにはこちらを差し上げますわ」


 そう言って芽衣さんは、俺に片手で持てるサイズの水鉄砲を渡してくれた。


 彼女が手にしていたのは両手で持つタイプの大型水鉄砲で、プールの受付中、これをテーブルの下に忍ばせると語っていた。言うまでもなく子供のいたずら対策だろう。それにしては火力――いや、水力が過剰な気がしないでもないが、気にしないでおく。


 しかしむしろ、芽衣さんの手にした水鉄砲こそが今の俺には必要だったのかもしれない。


「……以上が、水鉄砲合戦のルールになります。わかりま――」

「あのマスクのお兄ちゃん、なんて言ったの~?」

「しらね~~~!」


 話を聞く番になると、じっとしていられないのが子供のさがだ。


 ひそひそ話に手いじり、うわそら。声が大きいのも当たり前で、騒がしい相槌あいづちにどっと笑いが巻き起こり、俺の存在を置き去りにする。気分はまるで新任の保育士のようだった。


 そんな彼らも一度ひとたび遊びの場に繰り出せば、等身大の無邪気さをあらわにする。


「では、よーい――」


 スタート、という掛け声の代わりにホイッスルを高らかに吹き鳴らす。するとせきを切ったように子供たちと親が一緒になって水鉄砲を撃ち始め、透明な軌跡が宙を飛び交う。


 爽やかな悲鳴ごと祝福するかのように、太陽は夏らしい陽射しを注がせていた。


 遊びのルールを説明した後は、こうして審判役を務めながら見守るだけ。それがこの持ち場を任された俺の仕事だった。


 水鉄砲合戦用のコートは簡易的な柵とラインテープ、三角コーンで形成されており、子供たちからの人気も上々。俺以外にもボランティアスタッフ――大半が社会人や地元の中高生らしい――が何名かいるため、少なくとも首が回らなくなることはない。


 難点があるとすれば、やはり子供の相手に慣れないことと、


「つ――っ!?」

「……へっへぇ」


 ――こんなふうに、たまに“いたずら”をしてくる子供がいること。


 流れ弾が飛んできただけならまだしも、それがであった場合、やるべき事はひとつだった。芽衣さんから既に発砲の許可は下りている。


 俺はほお越しのひやりとした感触を振り払い、ラッシュガードのポケットから素早く水鉄砲を抜いて、構える。グリップを握る右手に力を込め、さらに左手で右手を包むようにおさえつけて射撃精度の安定化を図る。


 最近遊んだサバイバルホラーアクションゲームの猿真似に過ぎないが、こんがりと肌の焼けた男の子をひるませるには十分だった。


「えっ、ええっ!? 何そのかっ、ひぃ!? あっははははっ!」

「……スタッフに水を掛けると反撃されます。迂闊うかつに手を出しちゃ駄目ですよ」


 脇腹を集中的に狙ってやると笑い声が逃げていく。


 注意事項が伝わっていなかったことに驚きはない。子供というのはそういうものだからと、年上のスタッフの人が教えてくれたからだ。


「あ、おつかれさまです鰐淵さ――なんですかその構え?」

「え? あっ……いえ、なんでもありません……!」


 すぐさま姿勢を直す俺の仕草が滑稽こっけいに映ったのか、学生のスタッフは口元を隠しながら笑いをこぼす。


「別にっ、子供を注意してたんだなって分かりますから、いいですよ」彼女はちらりと腕時計を一瞥いちべつして、「ユミさんからの連絡で、あと十分ぐらいしたら休憩するように。水分補給も忘れずにって……それじゃあ伝えましたので」


 礼儀正しく一礼を添える彼女に感謝して、俺はほど近くにある大型のビニールプールの方を見る。


 そこには受付を担当していたはずの芽衣さんが、惜しみない笑顔を浮かべながら子供達と水遊びに興じる姿があった。おそらく職務放棄をして遊んでいる、という訳ではないのだろう。


 受付のスタッフが苛立いらだっているようには見えないし、芽衣さんが誰かに誘われ、成り行きのまま子供達の相手をしていると考えた方が辻褄つじつまは合いそうだ。本人の性格的にもこころよく引き受けそうなイメージがある。


 ポニーテールの黒髪を躍らせながら、芽衣さんは水と、周りに咲く笑顔の花たちとたわむれているかのようで――


「隙ありっ!」

「リベンジだ、マスクのにーちゃん!」


 俺は今一度、好戦的な子供たちに銃口を向ける。


 休憩までの十分間は、ひどくアグレッシブな時間に変わっていた。




 念入りにしていた筈のファンデーションも、冷水の雨あられにさらされればいともたやすく剥がれ落ちる。


 テント内で昼食をとり、残りの休憩時間を利用してすぐにメイクの手直しをする。ひと区切りついたところでメイクポーチをリュックの中に放り込むと、


「――よっ、お疲れさんっ!」

「うわっ!?」


 ぴたり、頬に触れる冷たい感触に体がはねた。


「ぶっ、っははははっ! ギンちゃん、驚き方かぁんわいいねぇ!」

「びっくりさせないでください……! メイクし直したばっかりなんですから……」


 ユミさんが当ててきたのは缶ジュースで、氷水にかっていたせいかかなり冷えている。


 それを受け取ると彼女はごめんごめんと言ってまた笑い出し、手近にあったパイプ椅子に腰かけた。肩を震わせて笑いをこらえている様子を、どうしても細い目で見てしまう。


「マスク、外したままの方がいいわよ~? 顔見せてた方が子供も安心するしさ」

「つまりユミさんは、このまま行けと?」

「んもう、そう! 圧倒的にそう! せっかくんだから、もったいぶらずに出していきなよギンちゃんは!」

「……それはどうも」


 ありがとうございます、とまでは言えなかった。心にもない言葉を言うのは、いつ、誰が相手でもむなしくなる。


 けれどわざわざ「俺は鰐淵銀平です。顔を整形しているので配慮してくれると助かります」なんて、初対面の人間に伝えるのも馬鹿げているだろう。仮に大きな怪我や病気をわずらっていたとしても、俺は同じことを考えるはずだ。


 芽衣さんの見せてくれた片腕をなくした男の子の写真が、不意に脳裏をよぎる。


 俺は感情の波を悟られないよう気を付けながら、手にしていたマスクをポケットに突っ込んだ。


「芽衣さんとは長いんですか? 仲もよさそうに見えますが」

「んん? あ~、まぁね」


 腕を組んだユミさんは天井を見つめて、


「芽衣ちゃんが中学二年の時からだから……あぁ、もう三年になるんだ。うち――あたしじゃなくて岩手のボランティア団体の方ね――と仙台の方でも繋がりがあるからさ。そん時ダメもとでヘルプだしてみたら、来てくれたのがあの子だった。だから、そこから何度かね」

「何度か……?」


 そ、と言って手にしていた缶ジュースを開封する。炭酸のはじける音がかすかに立ち上った。


「あの子ん老舗しにせの呉服店やってるの、知ってる?」

「まあ……つい最近、本人から」

「そっか。……四国に本店構えてて、関東、次に東北にまで進出してる店のお嬢様なんだから、まあフツーに考えてお金持ちよね。だから金銭的な心配はいらないんだと思う。一応、イヤミとかじゃないよ? それでうちが助かってるんだから」


 後半の内容に関しては初耳だったのだが、話の腰を折りたくないので触れずにおく。


「……分かってます。でも、どうして急にそんな話を?」

「いやあ……言ったらなんだけど、結構泥臭いトコもあるからさ? この活動。だからオバチャン、たまに考えちゃうのよね――」


 椅子から立ち上がり、ユミさんはぐっと伸びをしてから息を吐き出す。


「なんであんな子がボランティアしてるんだろう、って」


 人を助けるのに理由なんていらないからでしょう。


 そんな漫画の主人公みたいなセリフが、どうしてだろう。俺には落ちてきた疑問に対する答えになるとは思えなかった。


 芽衣さんがボランティアを、人助けをする理由。今まで気にもしてこなかった事柄だが、付き合いが長ければこそ気になるものなのだろうか。


「……分かりません。俺にも」


 知り合って間もない俺には、上澄みさえ理解できているのかどうかすら怪しい。自分は芽衣さんの事を、まだ何も知らないのかもしれない。


 けれど分からないままでいい人だとは、不思議な事に思えなくなっていた。

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