第8話 彼女は生粋の


「お待たせしましたわ、銀平さまっ!」


 そう言って芽衣さんは、しとやかに会釈えしゃくを添えてみせた。


 ハーフアップの黒髪は赤いリボンでとめられ、一見した彼女の印象はいかにもお嬢様然としているというか、どことなく深窓の令嬢を思わせる。


 七夕まつりの時は編み込みのカチューシャに、先日カフェで勉強会をしていた時はおさげの髪型で――装いとあわせて、芽衣さんの髪型はころころと変わる。


 だからどうしたと言われればそれまでだが、目にしてきた装いすべてが似合っているのはたぶん、本人の素材がいいからだろう。俺は彼女がもう片方の手に持っていた日傘を一瞥いちべつし、手を差し出す。


かばん、持ちます。両手がふさがってるとわずらわしいでしょうし」


 芽衣さんは足元から舐めるように俺を見つめて、


「芽衣さん……?」

「あ……いえ、素敵な装いだなと思ったので」品のいい柔らかな笑みが浮かぶ。「お気遣いありがとうございます。鞄、お願いいたしますわ」


 アルバイトがある日は基本、地味めだが不格好には見えない服装になるよう努めている。しかし芽衣さんと買い物に行く今日はというと、さすがに身なりの水準を上げていた。


 五分袖のシャツは深い青色をベースに、赤や青のバラが控えめ、かつ鮮やかに散りばめられた総柄。黒のワイドパンツははかまのようなシルエットで、腰紐こしひもや歩くたびにひらひらと揺れる布地が和の風情をただよわせる。いずれも通気性がいいので、暑い日でも着心地が良い。


 手にした日傘も裏地に骨組みが目立つ、和傘のデザイン。今は閉じているが、これを開いて歩けばそれなりにみやびやかな雰囲気を纏えるので気に入っている。


 たとえ知り合い程度の間柄でも、女性の隣を歩くときは恥ずかしくない装いで――別れた彼女との交際でつちかわれた経験は、こんなところでも活かされていた。


「なんだか、わたくしだけ制服でいるのが恥ずかしくなってしまいますわ」


 喋りながら駅近くのショッピングモールへと向かう。苦笑いを浮かべる芽衣さんに俺はいえ、と相槌あいづちを打ち、


「よく似合っていると思います。髪型も……でも、どうして今日は制服を?」

「午前中は学校の図書当番がありましたの。夏休み期間中でも、学校に来るときは制服を着てくる決まりになっているので」

「ああ……なるほど。ちょっと懐かしいですね」


 高校を卒業して経過した二年という月日は、近いようで遠い気がした。


 夏休み、文化祭、期末ごとのテストなど、振り返れば思い出せる出来事は少なくない。ただ楽しい思い出があるかと聞かれればそうではなく、孤独に過ごしていた記憶が色気のない風景のように胸を通り過ぎていく。


 ショッピングモールに着いてエスカレーターに運ばれていると、俺はふとこの間のやり取りを思い出した。


「驚きましたよ。いきなり水着を買いに行こうとか言って……」

「えへへ……探してみたら、わたくしもちょうどいいのが無かったので。せっかくだから誘ってみました」


 俺はフロアの床を踏みながら、


「でも正直、助かりました。俺も水着なんて持ってませんでしたから」


 たどり着いたのはファッションフロアで、方々に服を着せられたマネキンやバッグ、くつなどが規則正しく並んでいる。夏期ということもあり、特に薄手の服や帽子なども一押しされているようだが、今日の目当ては水着だった。


 ざっとフロア内を見回して、大々的に水着を取り扱っているとわかる一角いっかくに足を運ぶ。


 あくまでインナーとして着るのだから、あまり派手な水着ではいけない。とはいえそれを意識しなくてはならないのは、豊富な女性用水着から一着を選ばなくてはならない、芽衣さんの方であろう。


「男性用は……明らかにラインナップが弱いですね」


 一見いっけんして分かる程度に、男性用の水着はバリエーションに乏しい。これは選ぶのにあまり時間はかからないだろうと思い、先に芽衣さんのを選びましょうかと提案する。


 ともすると、少し時間がかかってしまうだろうか。そんな俺の懸念は、あっけなく吹き飛ばされた。


「いえ、わたくしはもう決めましたので大丈夫ですわ」


 直後の言葉に俺は耳を疑いながら、


「は……? 決めたって、まだ来たばっかりですよ。遠慮せず、もっとよく見てからでも」

「安心してくださいませ、よく見た上で決めましたの! ――ほら、この水着です」


 白地に水玉模様、多少のフリルがあしらわれたトップスと黒のショートパンツ。芽衣さんはハンガーに掛けられた一着の水着を取ってみせる。


「触ってみるとたぶん分かりやすいのですが……ああ、やっぱり生地の素材が他とは違いますわ。ストレッチが効いているので動きを妨げませんし、なによりデザインが可愛らしくって!」

「……たしかに。でも、フリルが邪魔になりません?」

「許容範囲ですわ。あちらにある水着のように大ぶりなものだといけませんが……こちらは派手過ぎず、控えめにあしらわれていますから。外に着るシャツもゆとりがあるので、くすぐったい感じはしない筈ですわ」


 ――驚いた。


 語気に確信が満ちていたのもそうだが、まだ入店して二、三分も経っていない。

 だというのにここまで具体的な理由を述べられると、こちらとしてはぐうの音も出なかった。見極めがうまい、というよりは審美眼に優れているのだろうか。


 カゴの中に水着を放り込むと、芽衣さんは俺のまなざしに気付いたのか照れくさそうな笑みを作る。それから気恥ずかしそうな口ぶりで、


「……そ、その……家業的にどうしても見てしまうと言いますか……」

「家業?」


 はい、とうなずいてからさらに続ける。


「家が昭和の頃から代々続いている、いわゆる老舗しにせの呉服店なんですの。小さい頃からいろんなものを見て目を養いなさいと、おばあさまに言われていたので」

「……おのずと目がくようなった?」

「はい。わたくしの立ち居振る舞いや所作も、おばあさまと両親のしつけ賜物たまものですわ」


 自分に合う水着をすぐに見極められた理由。どことなく品があり、仕草のひとつひとつがたおやかで、堂に入っていた理由。芽衣さんの家柄を耳にすればなるほど、疑いの余地がなくなっていく。


 目の前で微笑む彼女はお嬢様のような――ではなく、正真正銘、生粋きっすいのお嬢様だった。

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