第7話 準備要項、待ち合わせ


「……ただいま」


 返ってくる声はもちろんない。


 この部屋に住んでいるのは俺と、遺影となった両親だけ。それでも子供の頃に根付いた習慣というのは抜けないもので、りずに言葉を投げてしまう。


 ファミレスを出た後、芽衣さんを駅まで見送った俺はスーパーに寄って食材を買った。


 はなから自炊しようというつもりではなかったが、どうせ芽衣さんからの連絡を待つ必要があった。暇つぶしがてらカレーでも作ろうかと思い立ち、適当な音楽を流しながら調理の手を進めてゆく。


 ちょうど鍋に蓋をしたタイミングで、キッチンのスマホが震えだした。


『夜分遅くに失礼致します』

『夕方話していたボランティアについてですが、詳細な内容や注意事項をまとめて送りました』

『お手隙の際に目を通していただけると助かりますわっ!』


 チャットの文面であろうと芽衣さんは己の口調を貫く所存らしい。


 くわえて丁寧な前置きまで添えてあるが、今はまだ七時過ぎである。夜分遅くにと、ことわりを入れるような時間帯には早いのではないだろうか。


 画面を下にスクロールすれば、夕方話していたボランティアの詳細な内容が記載されている。俺はガスコンロから上る青い炎を一瞥いちべつし、キッチンの壁に寄りかかった。


「返事は……読んでからでいい」


 ――『岩手県開催! 夏休みの子供向け水遊び大会』。


 目に飛び込んできた表題はおそらくイベント名だろう。日程は来週末の土日。土曜日がイベント当日で、後ろの日曜は悪天候時の予備日兼、会場の片付けの為に設けられている。やるべき事は子供の見守りから水鉄砲など遊具の準備、それから具合の悪い人がいないかに気を配ったりするなど、仕事のイメージは比較的浮かびやすい。


 ただ――来るであろう子供の年齢層は、十歳未満の幼児らしい。


 高くても小学校低学年、とはいえすぐ脳内に浮かんだのは五、六歳程度の子供たちで、そうなると園児が大半になるだろう。抑えがきかないというか、かなりわんぱくな年頃の彼らを俺が相手に出来るのだろうか。


 カフェでの接客経験はあまり役立ちそうにない。

 一方、来週の土日は休みのシフトなのでスケジュール上の問題はなかった。この間欠員が出た際のヘルプに出たため、その埋め合わせにと貰った休みだ。


 当日は高速バスで現地に向かうこと。一泊二日の宿はあらかじめ芽衣さんが手配してくれること。


 必要な持ち物はサンダル、タオルと――


『あ、持ち物の欄にも書きましたが』


 新着のメッセージに強制的に画面がスクロールされる。


『当日はスタッフ用のシャツを着て、その下に着る水着が必要になりますわ』

『濡れると大変なので……』

『予定が会う日を見つけて、一緒に買いに行きましょうねっ!』


「えっ――は……?」


 思わず文面を二度見する。若干理解が追い付かなかったが、何を、とかねば分からないほど鈍感ではなかった。俺が、芽衣さんと、水着を一緒に買いに行く。


 鍋からは白い湯気が吹きこぼれていた。




 夕飯を済ませて空腹を満たすと、霧散むさんしかけていた冷静さが戻ってくる。


 十数分にもおよぶ既読無視を許せるかは人によるだろうが、少なくとも芽衣さんは広い心の持ち主人間だった。食事中に送られていた「お食事中でしたらすみません。お返事は後でも結構ですわ」という心遣いに俺は人知れず感謝する。


 だが先のメッセージに対する戸惑いは、何度咀嚼そしゃくを重ねても簡単に飲み込めるものではなかった。


 仮にただ二人で出かけようという誘いであればまだしも、水着を買いに行くというのはさすがに――迷いはそのまま文面に表れた。


『芽衣さん』

『水着は一人でも買えると思いますが』

『へっ?』

『ま、まあ、それはそうですけれども……』

『分かってるなら、一緒に行く必要はないのでは?』


 俺の返信から二、三分ほどの間が空いてから、


親睦しんぼくを深めたくて提案してみたのですが』

『おせっかい、だったしょうか?』

『おせっかいというか、予想外に甲斐甲斐かいがいしかったので……』

『なんですか、芽衣さんは俺の母親かなにかなんですか?』


 仲が悪いとは感じていないが、かといって良いかと聞かれれば、自分の中ではまだ一歩足りない気がする。


 間髪入れずに返信すると苦笑いを浮かべた顔のスタンプが送られ、


『ですがちょっぴり親近感が湧きましたわ』

『優しい方なんですのね。銀平さまのお母さま』


 画面越しのやり取りである事に感謝しながら、俺は両親の遺影を一瞥いちべつする。


『そうですね』

『俺が知ってる人の中で、たぶん一番』


 反射的に母親という単語を混ぜてしまったが、親の話にまで話題が飛躍してしまうことは避けたかった。


 ところで、と下手くそな相槌を打ってから適当な話を振ってみる。その間にカレンダーを眺めながら直近のシフトに目を通した。


 ――昨日も今日も一緒にいたのに、戸惑うなんて今更だろう。


 月曜、火曜――ほぼボランティア目前の日取りとなってしまうが、来週の木曜日であれば一日予定が空いている。そのむねを芽衣さんに伝えてみると「午後からでもよろしいでしょうか」と確認されたので、二つ返事で了承した。何か予定が入っているのだろう。


 待ち合わせ場所は仙台駅構内にあるステンドグラス前、時間は午後二時を目途に集合。迎えた当日は八月にしては珍しい、やや気温の落ち着いた日だった。


 肌を滑る心地よい風とは裏腹に、陽射しだけはやたらときつくて鬱陶うっとうしい。俺はスマートフォンと財布、それから普段愛用している日傘だけを持って待ち合わせ場所にたどり着く。


 芽衣さんは、まだ着いていないようだった。


『和風の日傘持ってて、いつもの黒いマスクしてる人がいたら俺です』

『ゆっくりでいいですから、道中お気をつけて』


 メッセージはないものの、代わりについた“既読”の表示が何よりの返信だった。


 つん、と通り過ぎる汗と加齢臭の混ざった匂い、かと思えば香水の匂いまですぐ傍を横切って、マスク越しに咳払いをしてしまう。夏場はこういう匂いが増えるから苦手だ。特別鼻が敏感なわけでもないが、すすんで嗅ぎたいという人間もまれなものだろう。


 マスクの鼻をつまんでかけ直す。SNSに流れる雑多な情報を流し見していると、ほどなくしてやってきた彼女を見つけられた。


「……芽衣さん?」


 白をベースにしたブラウスには紺色のえりが付き、プリーツスカートも同じく紺色。すそからのぞく細い足は黒のタイツで包まれており、胸元にある大きなリボンが見映えする。まるで学校の制服のような装いだが、事実そうなのだろう。


 ローファーを軽快に鳴らしながら、芽衣さんはキャメル色のスクールバッグをたずさえていた。

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