第5話 白旗
偶然という名のめぐり合わせは、かくも早く起こるものだろうか。
駅近くのカフェなんていつ、誰であろうと足を運ぶ。それでも対面にいる彼女とは昨日あったばかりで、驚くなという方が無理だった。あまりにも再会が早すぎる。
俺は頭の中で己を
「……ご注文はお決まりでしょうか」
「へっ? あっ、はい……! ではチャイティーラテと――」
並んでいる客に気付いてくれたのだろう。ちらりと後ろを
昨日の浴衣姿とは打って変わり、芽衣さんは私服の装いだった。
白のブラウスに丈の長い、和柄のロングスカート。指通りのよさそうななめらかな質感を備えた黒髪は、花をあしらったヘアゴムでおさげのようにして結ばれている。髪の長さはセミロング程度だろうか。浴衣を着ていた時は
「ギン」
オーダーをこなして三人を見送ると、おやっさんが親指を立ててバックヤードの方を指さす。
「在庫の確認、頼めるか。ついでにゴミも捨ててくれると助かるんだが」
「わかりました――あ、じゃあここ、ちょっとお願いします」
「おう。悪いな」
すれ違うように離席から戻ってきた新人のアルバイトに教えた事の確認をする。頼もしい事にすぐ「大丈夫です」と返事が返ってきたので、俺は安心してこの場を任せた。
在庫の確認と整理を手早く済ませ、丸々と太ったゴミ袋を片手に外へ出る。店裏の路地に置かれたゴミ箱は鍵付きの代物なので、手間がかかって面倒くさい。だが、こうでもしないと夜中にホームレスが
弱々しい雨を見上げれば、目についたのは無機質なカメラレンズ。
念のため、店の袖看板に隠れるような位置に監視カメラを置いているが、昼間のこいつに飾り以上の意味はない。
「――ありがとうございました、店長。ご注文お伺いします」
さすがに客の前でまでおやっさんと呼ぶわけにはいかない。接客のバトンを引き継いで伺いを立てると、女性客の視線がぼうっとしたものに切り替わる。
「お客様、ご注文は?」
「あっ……ああ、すみません。アイスコーヒーと、それから……チョコスコーンで」
何かに見とれてしまった時の反応はこの上なくわかりやすく、その対象が自分であればなおさらだった。マスクで顔の半分を隠しても、想像力が都合よく造形を補ってしまう。
注文を受け取った女性客が着いた席の近くでは、芽衣さんたちが座っていた。
四人席のテーブルに広げられていたのはノートに文房具、問題集と、遠目に見ても勉強会に来たのであろうことがわかった。今は夏休み中だと言っていたし、課題を片付けに来たのかもしれない。
もしまたどこかで会うことがあったら、その時は聞いていただきたいお話が――ふと重なってしまった視線から、俺は逃げるように目をそらした。
彼女が話したい内容について考えるうち、気付けば夕方の退勤時刻が迫っていた。
「お疲れさまでした。お先、失礼します」
居住まいの良い人間というのは、それだけで存在感を放つもので。
俺が荷物をまとめて出てくると、芽衣さんはとうに冷め切っているであろうチャイを優雅に
――このまま黙って帰るべきだろうか。
何か面倒な事に巻き込まれるかもしれない。脳裏をよぎったのは根拠のない予感であったが、向こうには既に俺の存在を認知されているのだ。他人のフリをして貫き通せるとは思えなかった。
「あの。芽衣さん、ですよね」
腹をくくって声をかけると、彼女の
「はい! 芽衣さんですわ」
「先ほど――といっても二時間くらい前ですが――は、すみませんでした。仕事中に話し込むのもどうかと、そっけない態度をとってしまって」
芽衣さんは苦笑いを浮かべながら、
「むしろ、わたくしの方こそ取り乱してしまって申し訳ありませんでしたわ。こんなに早く再会できるとは思っていなかったので……」
どうやらその点についてはお互い様だったらしい。偶然会った人同士がなんの取り決めもなしに会う確率なんて、そうそう高いものではないだろう。
所感はさておき、ここにいては俺が落ち着かなかった。自分の職場で異性と話すところを見られるのは、なんだか少し居心地が悪い。
「店、出ましょうか」
それから、と続けて荷物の入ったリュックを背負い直し、頭の隅であたためていた事柄を問いかける。
「俺に聞いて欲しい話って、いったい?」
「ふっふっふ……よくぞ聞いてくださいましたわ。何を隠そう、今日はそのために来たのですから!」
「来たも何も、全部偶然だったと思いますが」
俺の突っ込みなどどこ吹く風、芽衣さんはテーブルに手をついてやたらゆっくりと立ち上がり、
「銀平さまは奉仕活動――ボランティアに興味はございませんかっ!?」
――ああ、なるほどと、俺は静かに合点した。
奉仕活動、慈善事業、宗教勧誘。
個人的な意見で申し訳ないが、内訳に差異はあれど、いずれもそこはかとなく怪しいニュアンスを含んでいる。
であれば初対面の人間を誘うのは得策ではなく、二度目以降の相手ならあるいは――そう考えての行動なら、大幅に
持ち掛けるのが下手というか、それ以前の問題な気がしてならなかった。
「……すみません」
「へっ? あっ――!?」
芽衣さんには悪いが、妙な
俺は彼女の思うツボになる前に頭を下げ、そそくさと自動ドアをくぐり抜ける。雨はいつの間にか止んでいた。
「ぎ、銀平さまぁ! 待ってくださいませぇ~~~!」
「いえ、あのッ、本当にすみません」
「せめてお話だけでもっ!」
「間に合ってます」
「そんな新聞勧誘を断るみたいにっ!?」
「芽衣さんの話に乗ったら俺、変な洗剤とか買わされるんですよね。それを知り合いに売りつけて、そのまた知り合いにも売りつけるよう言われて……」
「まあっ! 銀平さま、わたくし以外にもお友達が出来たのですかっ!?」
「今のはものの例えで――ッ!?」
足がもつれてしまったのは、歩道のタイルのせいだろうか。
情けない格好の影に、手を差し伸べる影があった。
「立てますか?」
「……大丈夫です。一人で、立てますから」
立ち上がって、服に付いた砂埃を払う。芽衣さんはやれやれといった様子の笑みを浮かべ、ヘアゴムで結っていた髪をほどき始めた。
広がった黒髪は天使の羽のようで、光に照らされながらするりと肩を撫でる。彼女は陽だまりのような笑みをたたえて、
「ではその代わりに、わたくしの話を聞いてくださいませ!」
「……折れませんね。俺が手をとらなかったから?」
「そうです――というのは冗談で、純粋にお願いしたいのです」
「お願い?」
「銀平さまの優しさと誠実さを見込んで、ぜひ」
お世辞か、それとも耳心地のいい言葉を呟いて気を引こうとしているのか。そんな邪推が入り込む余地もないほど、強い意志を感じさせるまなざしが俺を見ていた。
見ず知らずの人間を助け、あまつさえ話に耳を貸してくれたから――背中を押す風に、わずかに心が揺れ動く。
「……近くにファミレスがあります。話なら、そこで」
懐に入る事を許してしまう。それはきっと、白旗を上げる行為に等しかった。
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