第3話 弛緩性シンパシー


 自分が思うより、俺は大人ではないのだろう。


 いじめを受けた暗い記憶。交際していた彼女と別れた時の切なさは、かさぶたになるまでまだ時間がかかりそうで。どちらの傷も傷のまま、へらへらと語り草に出来るほど俺は頑丈ではなかった。


 俺は人間が嫌いだ。


 堆積たいせきしたゴミがやがて山となるように、心にはぐくまれた不信の芽はトラウマを糧に根付いてしまった。だけど生きている限り、人は人とのつながりを断ち切れない。過去さえ忘れられない。


 人は孤独に勝てるほど、強くできてはいないから。


「すみません」


 何に対して謝っているのか自分でも分からなかった。会話のパスを返せなかったことか、あるいは薄黄色うすきいろの瞳に映る己自身に対してなのか。決着のつかないババ抜きを終えてこぼれた言葉は、あっけなく祭りの喧騒に消えてゆく。


 赤信号につかまった。待ち時間を示すメーターはやたらゆっくりと感じられたが、横断歩道を越えれば駅まではもうすぐだった。


 芽衣さんを友達のもとまで送り届ければ付き添いは終わる。気まずさを含んだ沈黙からも解放される。

 まさか初対面の女の子に、重苦しい身の上を話すわけにはいかないだろう。


 このまま終点へ流されるばかりだと思っていたのは、どうやら俺だけのようだった。


「話したくない事は、話さないままでいいと思いますわ。わたくし達は会ったばかりなのですから」


 ふっと笑い、いつくしむようなまなざしが向かいの人波を見つめている。


「ただ……そうですわね。銀平さまは、人がお好きですか?」

「人? ……なんですか、急に」


 考えるまでもなく答えは決まっていた。しかしそれ以上に質問の意図が読めず、心を見透かしたかのような問いかけに俺は内心、身構えてしまう。


 束の間の閉口が生み出す沈黙さえ、彼女にとっては答えのひとつに見えたらしい。


「わたくしは好きですわ。でも、そうじゃない方もいます。乱暴を働いたり、マナーを守れない方だったり」

「たとえば、ゴミを捨てるような?」

「正解ですわ! では人の事情を根掘り葉掘り探るような方の事は、銀平さまはお好きですか?」

「……嫌いですね。特に今は、されたくありません」


 吐露とろした感情に芽衣さんは微笑んで、


「ふふっ。共通の話題がひとつ出来ましたわね」

「嫌いな人の話題ですよ? お互いの」

「わたくしもあまりしたいお話ではありませんが……話題は話題ですから!」


 ――俺は少し、気を張り過ぎていたのかもしれない。


 立て続けに起きたアクシデントのせいで、繊細な思考におちいっていた自分に気がつく。と同時に、彼女が歩み寄ってくれている事にも気付くのが遅れてしまった。


 その心遣いがありがたくも申し訳なく、俺はお礼を伝えるつもりで言葉を返す。いつまでも下を向いていられるほど、自分は子供でもないだろう。


「……わかりました。でももう少し、他愛ないことから話しませんか?」

「もちろんですわっ! ええと、じゃあ――」


 誕生日は七月二十四日で、先月二十歳を迎えた事。好きな食べ物は混ぜそば、油そば。


 学歴は高卒で、今はアルバイトをしながら生活していること――ひとつずつつまびらかになっていく俺の素性に、芽衣さんは瞳を輝かせて反応してくれた。


 先ほど彼女は今年高校生になったばかりだと言っていたが、そう考えると俺たちは実に五歳差という事になる。大きくも見えるし小さくも見える、絶妙な数字。


 一方で、芽衣さんの爛漫らんまんさに救われている部分も大いにあった。裏表を感じさせず、明け透けな人柄がわかるからこそ、安心して話せる自分がいる。


「嫌いな人がいると言っても、俺より人嫌いは激しくないですよね。芽衣さん」

「そうだと思いますわ。お友達も家族も、周りにいるのはみんないい人たちばかりですから」

「なるほど」


 俺はマスクの鼻を持ち上げて、


「友達のいない俺とは大違いですね」

「えっ――えぇぇ~~~っ!? おおお、お友達がいない方なんて初めて見ましたわっ!?」

「……芽衣さん」

「なりますっ! わたくしが銀平さまのお友達になって差し上げますわっ!」

「芽衣さん、ちょっと。声のボリュームを落としていただけると……」


 とんでもなく失礼なリアクションをされた事は言うに及ばず、すっとんきょうな声が奇異の視線を引き寄せる。


 皆さん見てください。ここに友達のいない、寂しい人間が歩いています。


 もちろんそのような意図を込めて叫んだわけではないのだろうが、声高に叫ばれてしまうと顔を上げるのもはばかられる。もはやちょっとした羞恥しゅうちプレイだ。


 青信号が奏でる擬音のメロディーに救われて、横断歩道を渡り切る。


 駅前の通りはごった返しているというほどではなかったが、人の往来が多いので気を抜くとはぐれてしまいそうになる。俺はどうぞと差し出してくれた彼女の手を握りながら、方々に視線を巡らせた。


「お友達の特徴は?」

「青い浴衣と、黄色い浴衣。二人で駅前のベンチに座っていると」

「ありがとうございま――あっ」


 聞いたそばから特徴に合致する人影を見つけ、芽衣さんに目配せして確認をとる。晴れやかな首肯が間を置かずして返ってきた。


「本当に助かりましたわ、銀平さま。付き添いがあったおかげでスムーズに合流できました」

「いえ……こちらこそ、友達になってくれてありがとうございます」

「っふふ、わたくしでよければお安い御用ですわ!」


 茶化すか、茶化されるかするだろうなと思っていただけに、素直に胸を張られた時は反応に困ってしまった。


 彼女の振る舞いに嘘はない。

 話した時間は短けれど、それぐらいのことはなんとなく理解できる。


 用が済んだあとは、きびすを返して家路につくだけだった。


 軽い挨拶を二、三、交わし、じゃあ俺はこれでとその場を立ち去る。すると手放したはずのぬくもりが、もう一度俺の手を握り返してきた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいませ! もし、もしまたどこかで会うことがあったら……その時は聞いていただきたいお話がありますの!」

「……なんですか。告白前とか、今生こんじょうの別れの時に呟くセリフみたいなこと言って」

「理由は聞かないでくださいませっ!」

「何も言っていませんが」

「初対面で話すのはどうしてもはばかられる内容なので……ただ銀平さまのような方なら、きっと……わたくしは信じておりますわ!」


 言葉の端々から熱意や信頼はにじみ出ているのだが、いまひとつ具体性に欠けるおかげで疑問符が止まらない。


 この流れで「俺に気があるのでは」と思い込めるほど幸せな脳みそはしていないし、それこそ愛の告白などではないのだろう。では何が思い浮かぶのかと自分に問い直せば、やはり皆目見当もつかなかった。


 他意と呼べるほどの感情もないが、念のためたずねてみた方がいいのだろうか。


「スマホで連絡先を交換すれば、いつでも会えると思いますが……」

「それが……充電、切れてしまったみたいで」力なくスマホの入った巾着袋を振ってみせ、「だから次に会う時は、偶然に頼るしかありませんわ」


 夜空の星はぽつぽつと頼りなく、視界の奥では芽衣さんを見つけた友人たちがこちらに手を振っている。


 彼女はたおやかに手を振り返し、花のように淡い笑みを開かせる。それが別れの合図だった。


「また会いましょう。銀平さま」


 八月上旬。


 ひとり駅を離れれば、薄まった街明かりがぼんやりと天の川を見せてくれる。祭りの熱気冷めやらぬこの道を、幼い俺は両親と手をつなぎながら帰っていた。


 今はもういない、両親と。

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ブタの一生は醜く続く だいこん @dadadaikon

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