第2話 ババ抜き
祭りの空気はとかく、人との距離を近くさせやすい。
俺がこの子の助けになろうと思ったのも、あるいはそんな勘違いのせいなのかもしれない。
「……まず、お友達に連絡してみてはどうでしょう」
「へっ?」
まさか助け舟を出されるとは思っていなかったのだろう。小動物的な返事はさておき、俺は適当な相槌を置いて話を続ける。
「スマホは持ってますよね? 無ければ近くにある、お祭りのスタッフさんがいるテントに向かいましょう。たぶん貸してもらえますし……あるいは、迷子のお知らせみたいにアナウンス――」
「い、いえ! それはさすがに大丈夫ですわっ!」手に
俺と彼女――
声のあどけなさも手伝って、俺から見た真田さんの印象は必要以上にいとけない。
「――お待たせしましたわっ!」
液晶から柔らかな笑みが持ち上がり、
「二人とも駅で待ってくれているみたいですわ」
「駅……ずいぶん先に行ってるんですね」
「バスで行ってしまったみたいなので、そのぶん早く着いたのだと思います。ただ……ドアが閉まる前に、わたくしがいない事には気付いてほしかったですわね」
浮かべられた苦笑いに「この人混みですからね」と周囲に目をやる。祭り時な事もあってか今いる公園は特に混雑しており、くわえて彼女の背の低さが災いしてしまったのであろう。
公園の時計台を見れば、時刻は午後七時過ぎ。
差し出がましいかと思いつつ、俺は顎の下に引っかけていたマスクを鼻にかけて提案する。
「良かったら、付き添いましょうか。ちょうど帰るところだったので」
「まあっ、良いのですか? ですが帰り道は……」
「いえ、東口――仙台駅の近くに住んでるので。一人で歩かせるのも危ないですから」
見ず知らずの人間にこんな誘いをされる方が危険だろう。
脳裏をよぎる正論に今だけは見ないフリをする。ぞろぞろと駅へ向かい始めた人たちを見ていると無事にたどり着けるのか不安だったし、どうにも男性が女性に声をかける場面がしきりに目立っていた。
このご時世、警察に声を掛けられてあらぬ疑いをかけられる事もあるのだろう。だがそうなったところで泥を被るのは俺一人、
――困っている人を見かけたら手を差し伸べてあげなさい。
記憶の中の父がささやく。報われるかも分からない言葉に感謝したのは、意外にもすぐの事だった。
「では、エスコートをお願いしてもよろしいでしょうか」
「……いいんですか?」
「安心してくださいませ。もし疑われそうになった時は、わたくしが誤解を解いてさしあげますわ!」
理解があるのは話が進みやすいという事以上に、安心感をもたらしてくれる。
この子は人を疑うことを知らないのだろうか。内心に生まれかけていた毒気の
駅までの道のりは歩いていけば約十五分。
バスや地下鉄を利用する手もあるにはあるが、どうせ帰宅する人々で混んでいる気がする。であれば、地道に歩いた方が賢明だろう。隣を歩いている限りははぐれる心配もあるまい。
沈黙を埋めるために投げかけた「今日は学校休みなんですか」という質問に、今は夏休み期間中なのですと返事がされる。
真田さんは小首を傾げながら、
「ええと、お名前は……」
「ああ、銀平です。
「ワニ……銀……」
噛みしめるよう呟いてから彼女はうなずき、
「では、”銀平さま”と呼ばせていただきますわ! よろしくお願いしますわね、銀平さまっ!」
「……わかりました。じゃあ俺は」
「わたくしの事は気軽に下の名前で構いませんわ。そちらで呼ばれる事の方が多いので」
「……先ほどからどうも、ご丁寧にありがとうございます。芽衣さん」
「ふふん、くるしゅうないですわ!」
初対面でいきなり下の名前、しかも“さま”付けで呼ばれるという経験は初めてだった。なんともこそばゆい感じがするというか、たとえようのない感覚がぞわりと背筋を駆け抜ける。
芽衣さんの言葉遣いには淀みがなく、恥じらいも感じられない。
背筋は青竹のようにまっすぐ伸び、顎を引いて歩く姿勢が自ずと浴衣を映えさせる。
「友達と来たってことは、学校の友達?」
ふと口をついて出た疑問に芽衣さんは笑い返す。
「ええ。わたくし、今年から高校生で……二人とは入学した時に仲良くなりましたの。今日はもっと仲を深めるためにと、お祭りに――」
芽衣さん、と声をかける頃には遅かった。何かを見つけた彼女は反射的に行き先を切り替え、膝を折ってそれらを拾いだす。
芽衣さんが拾っていたのは、誰かが道端に捨てたゴミだった。
焼きそばのソースが付着したプラスチック容器に、折れた割りばし、空き缶と、その口からはみ出ているタバコの吸い殻――中途半端に手が加えられているのは、持ち主なりにゴミを処理してやったという自己満足のあらわれだろうか。
言わずもがな彼女の指先は汚れていき、それでもためらう素振りさえ見せずゴミをひとまとめにしてしまう。近くにあったゴミ箱へ放り込むと、彼女ははっと息を吐き出した。
「よし、これで綺麗になりましたわね!」手際よく両手を払い、「お待たせしてすみませんでした。参りましょう、銀平さま」
「ちょ、ちょっと待ってください――ああ、ありました」
俺は出店で肉巻きおにぎりを買った時にもらったウェットティッシュを思い出し、そのまま歩いていこうとする芽衣さんを引き止める。これを使えば手に付着した汚れぐらいは落とせるだろう。
座れる場所が見当たらないので俺がひざまづき、彼女の手をとる。細くしなやかな指先は、思いのほか少し冷たい。
「なんで急にあんなことを……」
「えへへ……いつもの癖で、つい体が動いてしまうんですの」
「癖って……汚れますよ、手」
呆れている事を読み取ってか、芽衣さんは弱々しい笑みを浮かべて、
「仕方ありませんわ。ゴミを拾えば手が汚れる、それは当たり前のことですから」
唐突に格言めいた事を言いだせば、多少なりとも奇を
即席で思いついたわけでもなく、気取った答えを返そうと口にしたふうでもない――理由に見当もつかないまま、俺は役目を終えたティッシュを捨てた。
「銀平さまは優しい方なのですね。なんだか見所がある気がしますわ」
再び駅への道のりを歩いている時、落ちてきた言葉から目を逸らした。会話の主導権が自分に移り変わろうとしていたからだ。
「よく言われるのではありませんか? お知り合いや友人の方から」
「どうでしょう。実はすごく悪い人かもしれませんよ」
「と言いますと、例えばどのような?」
「……そうですね」
一瞬の
「女の子を泣かせたり、ひどい目に遭わせたり……浮気するような甲斐性なしかもしれません」
これ以上、俺のことを掘り下げてくれるな。
水面下の意思表示が伝わるはずもなく、未だ消化のできていない自分にやるせない感情が降り積もる。この短時間では土台無理な話ではあるのだが、いま出てくるのはトラウマか、人には言えないセンシティブな記憶ばかりなのだ。
頭の中ではどの話題がマシかを決める、むなしいババ抜きが始まっていた。
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