―――1———



 その朝、姫埜は魘されていた。

 主治医曰く、悪夢は服用している睡眠薬の副作用だという。


「睡眠を促す薬の副作用が、悪夢って、笑えんな」


 なんだか、おかしくなって、診察室で一頻り笑ったのが最近のことだった。

 長年診察してくれている駒村医師には、「笑うとこか?」と不思議がられたが、なぜだかとても面白かった。


 ―――なんだか、こう、『生きていることへの罰』、みたいで。


 吐き捨てるように姫埜が言うと、主治医の駒村医師は頭を抱えた。



「うぅ……眞ちゃん……」


 今日の悪夢は、幼馴染で、元婚約者の最期の記憶に嫌な効果が付いていた。

 ああ、嫌だ。一度でも気が滅入るのに、ここのところ、毎日こうだ。

 うっ、と胸を潰された感覚で目が覚めた。


「ぅにゃ~ん」


「……なんや、モカか」


 愛猫のラグドール、メスで5才のモカが姫埜の胸元に乗って顔を覗き込んでいた。

 そして、ちょうどアラームが鳴った。

 仕事がいつもより遅い時間からだったので、アラームもその時間に設定していた。

 いつもモカにご飯をあげる時間だ。


「うにゃ~ん!!」


「も~、あんたの腹時計は正確やなぁ。ほれ、はよどいて~な」


「にゃ!!」


 モカは大好きな飼い主の姫埜にひと撫でしてもらってから、ひらり、と軽やかに飼い主のベッドから飛び降りた。

 そして、寝不足だが、朝が来てしまったので起床した姫埜をちらちら見ながら広いリビングに先に行き、ご飯のお皿の前で待ちぼうけをする。


「はいはい、たんとお食べな」


 モカのご飯は所謂、カリカリタイプのやつだ。

 姫埜が寝巻のままリビングにやってきて、量を測ってモカに差し出すと、モカはうにゃうにゃ言いながら美味しそうに食べだした。


 モカと戯れているときが、姫埜にとって一番の癒しだ。


 昨年10月に三十路に突入した姫埜だが、独身女が動物を飼うと婚期を逃す、というのはなんだか分かる気がする。

 ……姫埜が結婚しない理由は、”最初の男”以上の男に出逢えないから、でもあるが。


 それから、姫埜も軽く朝食を食べ、仕事に行く支度をする。

 姫埜は、主にアパレル系のショップを経営する女社長である。

 経営者でもあるが、デザイナーでもあり、経営している会社は一つではないので、やや多忙だが、このくらい忙しいくらいのほうが姫埜はいいのだ。

 余計なことを考えなくて済むから。

 駒村医師には、「ワーカーホリックも大概にしぃや」と言われているが、無視している。


 仕事をして、忙しくしていないと、ふと思い出すのだ。


 あの人の最期を―――……。


「……眞ちゃん、いってくるね」


 ”最初の男”が生きていたころの彼の元気な笑顔の写真に行ってきますをする。


 姫埜は、”最初の男”が生きていた頃、「志保」という名前だった。

 今、彼女は、「淡島姫埜」と名乗っているが、本名は「狼谷志保」という。

 彼女曰く、狼谷志保は、”最初の男”、淡島眞一が死んだときに、一緒に死んだ、らしい。

 家族や、彼女をよく知る駒村医師なんかは、その主張に少しの困惑はしたが、すぐに彼女の言い分を汲み取った。

 それくらい、彼女にとって、「淡島眞一」という”最初の男”は大切で愛おしい存在だったのだ。


「モカ、お留守番、よろしくな」


「にゃ!!」


 元気にお返事するモカの顎元を撫でてから、姫埜は仕事に出かけて行った。

 モカはしばらく玄関の扉の前で行儀よくお座りをしていたが、大好きな飼い主の気配が遠のいた頃に、ふと立ち上がり、お気に入りのキャットタワーの頂上で寝始めた。



 その日の仕事が終わったのは夜10時前だった。

 モカの昼兼夜ご飯は、あらかじめお皿に入れているから、好きな時に食べているだろう。

 でも、早くモカを抱きしめたいなぁと、愛猫に思いを更けていた時だった。


「オネーサン、なあ、オネーサン」


「……??」


 ここで立ち止まったが運の尽き。


 そして、姫埜は運命の出逢いを、してしまったのだった。

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