第2章:ファッションの舞台へ
翌日、紬と柚子は高島のアトリエに向かった。高級ブティックが立ち並ぶ大阪の中心地にそびえ立つ、モダンなガラス張りの建物。その最上階に位置する高島美也子のアトリエは、まさにファッションの聖地と呼ぶにふさわしい空間だった。
エレベーターを降りると、そこには想像を超える華やかな世界が広がっていた。壁一面に並ぶ鮮やかな生地のサンプル、きらびやかなアクセサリー、そして忙しく行き交うスタッフたち。その光景に、紬は思わず声を上げた。
「うわぁ、すごい華やかや!」
紬の目は子供のように輝いている。その姿を見て、柚子は呆れたように言う。
「紬さん、はしゃぎすぎです。ちゃんと捜査に集中してくださいよ」
しかし、柚子の心の中でも、この非日常的な空間への興奮が静かに広がっていた。
高島が二人を出迎え、スタッフたちに紹介する。彼女は今日も洗練されたスーツに身を包み、完璧なメイクで微笑んでいた。
「こちらが新人モデルの紬さんと、新しいアシスタントの柚子さんです」
紬は堂々とポーズを決める。
その姿は、まるで生まれながらのモデルのようだった。
頭は脳筋でも、そのナイスバディは本物なのだった。
「ほな、よろしくお願いしまっせ!」
一方、柚子は緊張した面持ちで挨拶する。
彼女の声は少し震えていた。
「よ、よろしくお願いします」
アトリエの一角に設けられたラウンジスペース。クリームがかった白い革のソファが、楕円形に配置されている。その中心には、ガラス製の低いテーブル。テーブルの上には、色とりどりのマカロンが盛られた銀のトレイが置かれていた。
紬は、そのソファに優雅に腰掛けている。彼女の周りには、五、六人のモデルたちが集まっていた。紬が着ているのは、淡いピンク色のシフォンブラウスに、ハイウエストの白いワイドパンツ。首元には、さりげなくスカーフが巻かれている。その姿は、まるでここで働いているベテランモデルのようだ。
「ねえねえ、紬さん。本当に初めてなの? モデルの経験」
金髪のモデルが、好奇心いっぱいの表情で尋ねる。
「そうや。ワシ、普段は探偵なんや」
紬の答えに、モデルたちから驚きの声が上がる。
(えっ! 紬さん、まさかの自分からの身バレ!?)
遠くから驚愕する柚子をよそに、紬とモデルたちは楽し気に会話を続ける。
「探偵!? すごい! どんな事件を解決したの?」
別のモデル、切れ長の目をした女性が興味深そうに問いかける。
「そうやなぁ。最近やと、南の島での密室殺人とか、AIの暴走を止めたりとかかな」
紬の言葉に、モデルたちの目が輝く。
彼女たちの表情には、驚きと羨望が入り混じっている。
「すごーい! まるで映画みたい!」
「紬さん、カッコいい!」
歓声と称賛の声が上がる。
紬は少し照れくさそうに、でも嬉しそうに微笑む。
「いやいや、大したことないで。自分らだってすごいやん。こんな華やかな世界で働いて」
その言葉に、モデルたちの表情が和らぐ。彼女たちの目には、紬への親近感が浮かんでいる。
紬は、マカロンを一つ手に取り、優雅に一口かじる。
「お、
「ああ、それね。パリの有名なパティスリーからの取り寄せなの」
黒髪のモデルが答える。彼女の声には、少しばかりの自慢が混じっている。
「へぇ~、さすがやなぁ。ウチらの事務所なんて、いつもコンビニのお菓子ばっかりや」
紬の素直な感想に、モデルたちがクスクスと笑う。
その笑い声は、まるで小鳥のさえずりのように軽やかだ。
アトリエの一角に設けられたラウンジスペースは、まるでパリのサロンのような雰囲気を醸し出していた。クリーム色のシルクのカーテンが窓辺で優雅に揺れ、ベルベットのソファに腰かけた紬を中心に、モデルたちが花を咲かせるように集まっている。
「ねえ、紬さん。最近のスキンケアって、どんなのを使ってるの?」
切れ長の目をしたモデルが尋ねた。
紬は、まるで長年の美容のプロであるかのように、軽やかに答える。
「そうやなぁ、ワシはな、朝晩のダブル洗顔がマストやで。それと、美容液は惜しみなく使うんや。ケチケチしとったら、美は遠のくでぇ」
その言葉に、モデルたちが目を輝かせる。
「まあ! 紬さん、知識が豊富ね」
「それと、やっぱり食事も大事やで。バランスの取れた和食中心の食生活。これ、美肌の秘訣やで」
紬が続ける。
その口調は、まるで長年の経験から得た知恵を語るかのよう。
「和食? でも、カロリー制限とかって大変じゃない?」
金髪のモデルが首を傾げる。
紬は軽く笑う。
「いやいや、全然全然。むしろ、きちんと栄養は摂らなアカン。極端なダイエットは美の大敵や。ほら、あんたらもっと食べな、スカスカやで」
その言葉に、モデルたちがクスクスと笑う。
紬の関西弁が飛び出すたびに、彼女たちの目が新鮮な驚きで見開かれる。
「紬さん、ファッションの好みは?」
別のモデルが興味深そうに尋ねる。
「ワシはな、こう見えてもやっぱりクラシカルな感じが好きやねん。シャネルのツイードジャケットとか、エルメスのスカーフとか。でも、時々はアバンギャルドなんも取り入れるんや。バランスが大事やで」
紬の言葉に、モデルたちが感心したように頷く。
その眼差しには、紬への尊敬の色が浮かんでいる。
「それと、やっぱり和のテイストも大事にしとるわ。着物の美しさって、やっぱり格別やろ? 西洋の服飾とはまた違う、日本独特の美意識があるさかいな」
紬の言葉に、モデルたちの目が輝く。
「紬さん、着物も着られるの?」
「もちろんや。ウチのおばあちゃんが着付けの先生やってたからな。ちっちゃい時に叩き込まれたわ」
紬が懐かしそうに微笑む。その表情には、遠い記憶を辿るような柔らかさがあった。
「すごい! 今度、着物姿見せてください!」
モデルたちが口々に言う。
紬はにっこりと笑う。
「ええで、ええで。次のパーティーにでも、艶やかに決めて行ったるわ」
会話は更に続き、メイクの技術や最新のヘアスタイル、そして海外のファッションウィークの話題へと広がっていく。紬は、まるでこの世界に生まれ育ったかのように、軽やかに話題を展開させていく。
その光景を、少し離れた場所から柚子が見つめている。
彼女の表情には、呆れと感心が入り混じっている。
(紬さん、人と仲良くなるの早っ! あと美容&ファッション関係詳しっ!)
柚子の心の中でそんな言葉が浮かぶ。彼女の目には、紬への羨望の色が浮かんでいる。
ふと、柚子の目に紬の姿が、別の形で映る。
それは、艶やかな着物を纏った紬の姿。深い紅色の振袖に身を包み、黒髪を結い上げた紬が、和室で華やかに談笑している。その周りには、同じように着物姿の女性たちが集まっている。お茶の香りが漂い、障子越しに庭の緑が見える。
柚子は、その幻影に一瞬我を忘れる。
紬の姿に、どこか懐かしさを感じる。まるで、遠い過去の記憶が蘇ってきたかのように。
(紬さんって、もしかして前世は……)
そんな思いが、柚子の心をかすめる。しかし、すぐにその考えを振り払う。
(なに考えてるんだろう、私、どうかしてる……)
柚子は、自分の幻想に苦笑いを浮かべる。
そして、再び目の前の現実に意識を戻す。
紬は相変わらず、モデルたちと楽しそうに話をしている。その姿は、確かに現代的で華やかだ。しかし、柚子の目には、そこにかすかに古い時代の優雅さが重なって見えた。それは、紬の中に眠る、何か古い記憶の名残なのかもしれない。
◆
アトリエの中央に設けられた特設フィッティングルーム。三面鏡の前に立つ紬の姿が、華やかに輝いている。彼女の周りには、様々なドレスがハンガーラックに掛けられ、まるで虹のような色彩を放っている。
紬が次に選んだドレスは、エメラルドグリーンのベルベット素材のイブニングガウン。深い森を思わせる色合いが、紬の肌の白さを引き立てる。ドレスの背中には、大胆なカッティングが施されており、紬の引き締まった背筋が美しく露出している。ウエストには、ダイヤモンドのブローチが輝き、その光が部屋中に散りばめられたかのよう。
「うわぁ、紬さん! まるでハリウッド女優みたい!」
若手デザイナーの助手が、目を輝かせながら声を上げる。
「そうやろ? ワシは生まれついての
紬は得意げに言い、優雅にスピンする。
ドレスの裾が、まるで緑の波のように広がる。
次に紬が手に取ったのは、パステルピンクのチュールドレス。幾重にも重なったチュールが、まるで花びらのように繊細に揺れる。胸元には、スワロフスキーのクリスタルが散りばめられ、光を受けて虹色に輝いている。紬がそのドレスを身にまとうと、まるで妖精のような雰囲気に包まれる。
「まあ! 紬さん、本当に何でも似合うわね!」
ベテランモデルが感嘆の声を上げる。
その目には、わずかながら嫉妬の色も浮かんでいる。
「当たり前や! ワシは何でも完璧にこなすできる女なんや!」
紬の言葉に、周囲から笑い声が漏れる。
しかし、その笑いには賞賛の色が濃く滲んでいる。
さらに紬は、真っ白なウェディングドレスに袖を通す。純白のサテン地に、繊細なレースが重ねられたそのドレスは、まさに芸術品と呼ぶにふさわしい。ボディラインに沿ってぴったりとフィットし、トレーンは優雅に床を這う。紬がそのドレスを着ると、まるで天使が舞い降りたかのような雰囲気が漂う。
「紬さん……まるで本物の花嫁みたい」
メイクアップアーティストが、思わず声を漏らす。
その目には、感動の涙が浮かんでいる。
紬は満足げに微笑み、三面鏡の前でポーズを取る。
その姿は、まさにプロのモデルそのもの。
「どうや、柚子! ワシ全部似合うやろ! ワシこそが美の女神じゃあ!」
紬の声が、アトリエ中に響き渡る。
その声には、これ以上ない自信が満ち溢れている。
(美の女神はそんな下品なこと言わないですよ、紬さん!)
柚子の心の中で、ツッコミの声が響く。
しかし、その目には紬への感心と、わずかながらの羨望の色が浮かんでいる。
紬はさらに調子づき、ランウェイさながらの歩き方でアトリエを闊歩し始める。その姿は、まるでこの世界で長年キャリアを積んできたトップモデルのよう。紬の一挙手一投足に、モデルたちの視線が釘付けになる。
「ほら見てみ! ワシの歩き方、完璧やろ? これぞプロの技や!」
紬の言葉に、モデルたちから歓声が上がる。
中には、紬の歩き方を真似しようとする者も現れる。
柚子は、そんな紬の姿を見つめながら、複雑な思いに駆られる。確かに紬は美しい。そして、どんな衣装も完璧に着こなしてしまう。しかし、その美しさの中に、どこか危うさも感じる。まるで、この華やかな世界に飲み込まれそうになっている紬の姿が、柚子の目には映っていた。
(……まったく、遊びに来たんじゃないですからね、紬さん! ……でも、確かに似合ってる。紬さんって、本当に不思議……)
柚子の心の中で、呆れと感心が入り混じる。そして紬の姿に思わず見とれてしまう。
一方、柚子はアシスタントとして働き始めるが、ファッションの知識がないため苦戦する。
「柚子さん、そのプリーツスカートはハンガーにかけないで。シワになっちゃうわ」
「あ、すみません!」
柚子は慌てて謝り、スカートを丁寧に畳み始める。
「それから、この生地はデリケートだから、素手で触らないでね。グローブを使って」
次々と飛んでくる指示に、柚子は頭を抱えそうになる。ドレープ、ギャザー、タック……聞きなれない用語が飛び交う中、柚子は必死にメモを取り続ける。
紬は柚子の苦戦ぶりを見て、ケラケラと笑う。
「がんばりや、
(いつかコロス……)
柚子は怨嗟の籠もった視線を返すが、紬はまったく気に留めない。
やがてアトリエの華やかな雰囲気の中で、紬の表情が微妙に変化していく。彼女の目が、ゆっくりと周囲を見渡す。一見すると、単に会話を楽しんでいるように見えるが、その瞳の奥では特殊な能力が静かに作動し始めていた。
紬の意識が、周囲の人々の内なる声に焦点を合わせていく。まるで電波を受信するかのように、次々と心の声が紬の中に流れ込んでくる。
まず、紬の隣に座る若手デザイナーの助手の声が聞こえてきた。
(このショーを成功させて、一気にトップデザイナーの座を狙うわ。高島さんの後継者は、絶対に私よ)
その野心に満ちた思いに、紬は一瞬驚きの色を浮かべる。
表面上は謙虚そうに見えるこの助手が、こんなにも大胆な野望を抱いているとは。
次に、ベテランモデルの内なる声が響く。
(高島のデザイン、最近つまらないわね。そろそろ引退時期なんじゃないかしら。新しい才能を発掘しないと、このブランドも先が見えてるわ)
その冷徹な評価に、紬は眉をひそめる。
つい先ほどまで、高島を褒め称えていたこのモデルの本音に、紬は軽く吐き気を覚える。
そして、控えめな様子の若いスタッフの不安げな声が聞こえてくる。
(このショーが失敗したら、会社はどうなるんだろう……。私たちの仕事は……)
その純粋な心配に、紬は少しだけ心を痛める。
次々と聞こえてくる心の声。野心、嫉妬、不安、打算。表面上の華やかさとは裏腹に、人々の内面には様々な思惑が渦巻いている。紬の表情が、徐々に曇っていく。
「なんやこれ、みんな本音と建前が違いすぎるやないか……」
紬が小さく呟く。その声には、驚きと共に、少しばかりの失望が混じっている。
「やっぱりファッション業界って虚飾の世界やなあ」
紬の目が、遠くを見つめる。
そこには、この華やかな世界の裏側に潜む闇を見抜いた者特有の、複雑な思いが浮かんでいる。
しかし、すぐに紬は自分を奮い立たせるように首を振る。
(いや、どの世界にもこういうもんはあるやろ。ただ、ここまで極端やとは思わんかったわ)
紬の心の中で、新たな決意が芽生え始める。この世界の表と裏、その両面を見抜いた上で、真実を明らかにする。それこそが、探偵としての自分の役割なのだと。
紬は再び、軽やかな笑顔を浮かべる。しかし、その瞳の奥には、以前にはなかった深い洞察の色が宿っていた。彼女は、これまで以上に鋭い目で、この華やかな世界の真実を見極めようとしていたのだ。
◆
夜、紬と柚子はホテルの一室で情報交換をする。部屋には、二人が試着したドレスや小物が無造作に散らばっている。
「紬さん、何か分かりました?」
柚子が真剣な表情で尋ねる。
「ああ、このファッション業界、みんな虚栄心の塊やで。本音と建前が全然違う。まるで化けの皮被っとるみたいや」
「それで、犯人の目星は?」
「まだや。もうちょい様子見なあかんな」
柚子はため息をつく。彼女の表情には、この華やかな世界への戸惑いが浮かんでいる。
「はぁ、私、こういう華やかな世界、苦手なんですよね……基本、裏方体質なんで」
紬は柚子の肩を叩く。その手つきには、普段とは違う優しさが感じられた。
「大丈夫や。あんたのほうが、この辺のうわべだけのスカスカモデルよりよっぽど中身があるで」
柚子は少し照れた様子で微笑む。その表情には、紬への信頼と感謝の気持ちが滲んでいた。
「もう、紬さんったら……褒めても何も出ませんからね!」
こうして、ファッションショー当日まであと5日。紬と柚子の潜入捜査は、さらに深まっていくのだった。部屋の窓からは、夜の大阪の街並みが見える。その光景は、まるで二人が踏み込んだファッションの世界のように、華やかで、そして何か危険な香りを漂わせていた。
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