第12話 問うまでもなく

「リュカさん……!?」

「シルヴィー!」


 冷酷な表情で男たちを蹴りつけていたリュカが、いつもの笑顔でシルヴィーを見つめる。

 そのギャップに、どきん、と心臓が跳ねた。


「大丈夫? 怖かったよね?」


 そう言って、リュカはそっとシルヴィーの手を握った。


「手、震えてる」

「……それは」

「ごめんね、遅くなっちゃって」


 申し訳なさそうに言うと、リュカはシルヴィーの頭をそっと撫でた。大きな手のひらを感じて、瞳に涙がたまってしまう。


 怖かった。

 私、ものすごく怖かったわ。


 もしリュカがきてくれていなかったら、どうなっていたのだろう。想像するだけで、恐怖で身体が震えてしまう。


「大丈夫だから、シルヴィー」


 力強く抱き締められ、リュカの胸に顔をうずめる。

 リュカは優しい手つきで、そっとシルヴィーの背中を撫でてくれた。


「落ち着くまで、俺がこうしててあげる」


 耳元で囁かれる。リュカの甘い声が、身体中に染みわたった。





「というわけで、シルヴィーをお連れしました」


 リュカの話を聞いて、ミレーユは目を丸くした。そして次に、ごめんね! と勢いよく頭を下げる。


「私がシルヴィーにおつかいなんて頼んだから……!」

「いえ! ミレーユさんのせいじゃないですよ!」


 慌てて否定しても、私の責任だわ……とミレーユは落ち込んでしまった。そんなミレーユの背中を、パトリシアが優しくさすっている。


 あの後、リュカに店まで送ってもらったのだ。


「悪いのは、俺の嫁に手を出したあのクズ共です」


 ミレーユに向かって、リュカがはっきりと断言した。その瞳には、未だに彼らに対する怒りの炎が宿っている。

 リュカに気絶させられた男たちは現在、ギルドで拘束されている。冒険者ギルドには警察のような役割もあって、特に冒険者の狼藉に厳しい。


 おそらく今回の件で、彼らは数週間、冒険者ギルドで仕事を受けられなくなるはずだ。


「でも、シルヴィーが心配なので、これからは一人でおつかいは頼まないでください」

「ええ、約束するわ」


 ミレーユが頷くと、リュカも安心したように頷いた。


「じゃあシルヴィー、またね」

「えっ?」

「……俺に帰ってほしくないの?」


 期待に満ちた眼差しで見つめられ、とっさに何も言えなくなってしまう。

 別れの言葉に驚いたことに、明確な理由があったわけじゃない。でも……。


 もう帰っちゃうのって、私、そう思っちゃったわ……。


「でもごめん。俺、明日朝早くから仕事なんだ」

「……そうなんですか」

「うん。シルヴィーのために、またお金稼いでくる」


 無理なんてしなくていい。お金なんて、そんなになくていい。


 でもそれ、どういう立場で伝えるの?

 リュカさんは私のお客さんで、私はキャストなのに。


 コンカフェ嬢が客と個人的な関係を持つのは禁止されている。前世で働いていたメイドカフェで、それがバレてクビになった子もいる。


 だけどここには、そんな決まりはない。


「あ、あの、なら……店のすぐ外までですけど、お送りします」

「いいの?」

「はい」


 ミレーユに軽く頭を下げ、二人で店の外に出る。既に外は暗くて、空では真ん丸な月が輝いていた。

 リュカは明日の朝早くから仕事だというのに、遅くなってしまった。


「……リュカさん。本当に、ありがとうございました。リュカさんがきてくれてなかったら、私……」


 思い出しただけで身体が震えてしまう。そんなシルヴィーの手を優しく握り、大丈夫だよ、とリュカが微笑んだ。


「シルヴィーには、誰にも手出しさせない。シルヴィーが俺の嫁なんだって、ちゃんとみんなに伝えておくから」

「リュカさん……」

「最近、冒険者としてそれなりに有名になったんだ。だから、俺の嫁ってことにしとけば安心だよ」


 出会った頃のリュカさんは、貧乏な冒険者でしかなかったのに。

 いつの間にか遠い存在になってしまったみたいで、なんだか寂しい。


「もちろん、本当に俺の嫁になるのが一番おすすめだけど」


 そう付け足して、リュカは悪戯っぽく笑った。子供のような笑顔でありながら、シルヴィーを見つめる赤い瞳は真剣だ。


「おやすみ、シルヴィー」

「……おやすみなさい、リュカさん」


 大きく手を振って、リュカが去っていく。だんだんと遠ざかっていく背中を見ながら、なぜか不安に襲われた。


 このまま、リュカさんが遠くに行っちゃうんじゃないかって。


「リュカさん!」


 思わず叫んでしまった。驚いた顔でリュカが振り返る。


「けっ、怪我に気をつけてくださいね! 安全第一で、それから、もし怪我をした場合はすぐに私に連絡してください。看病しますから!」


 叫びながら、頬が赤くなっていくのが分かった。夜じゃなかったら、きっとリュカにもバレていただろう。


「ありがとう、シルヴィー! 明日も絶対、店に行くからね!」


 もう一度手を振って、今度こそ本当にリュカが去っていく。

 完全にリュカの姿が見えなくなった後、シルヴィーはその場に座り込んだ。


「……どうしよう」


 帰ってほしくないと思ってしまった。リュカが有名な冒険者になったことを、寂しいと思ってしまった。

 なぜ? なんて、自分に問うまでもない。


「私、リュカさんのこと、好きになっちゃったんだ……」

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