第8話 ただの設定……なのに
「ね、シルヴィー。なにを買うの? 俺、いくらでも持つよ。岩でも銅像でもドラゴンでも!」
「そんなものは買いません」
「そうなの? でも俺、本当に何でも持つから」
どうしよう。ミレーユさんに頼まれたのは胡椒と塩だけ。重い物なんて頼まれてないわ。
なにかなかったかしら? 重くて、必要なもの。
「あ!」
「シルヴィー? どうしたの?」
「鍋です。大きな鍋を買わなきゃいけないんです」
客が増えたことで、もっと一気に料理ができたらいいのに、とミレーユが言っていた。頼まれたわけではないものの、買って帰れば喜んでくれるだろう。
「そうなんだ。分かった。どれだけ大きくても持つから」
「あくまでも、ミレーユさんが使えるサイズですよ」
「鍋、どこで買う? この時間なら、広場に行商がきてるかな」
冒険者たちで賑わうこの街には、各地から多くの行商がやってくる。行商たちは街の中央にある大きな広場に商品を広げ、昼から夕方にかけて販売するのだ。
「……リュカさん。その前に、どこかで昼食をとりませんか?」
「えっ!? いいの!? 食べたい! 俺、なんでも奢るから!」
「ありがとうございます。でも、高いお店じゃなくていいですから」
「うん!」
嬉しいなあ、やったあ、とリュカが何度も何度も呟く。目の前でここまではしゃがれると、あまりに照れくさくて居心地が悪い。
リュカさん、私のどこをそんなに気に入ってくれたのかしら。
初めて会ったあの日から、雛鳥が親を慕うように、一途に思い続けてくれている。
その勢いに気圧されている部分もあるけれど、悪い気がしないのも事実だ。
「シルヴィー、早く早く!」
満面の笑みで、リュカがシルヴィーの手を引く。
無邪気な態度に、思わずシルヴィーの頬が緩んだ。
◆
二人が入ったのは、冒険者ギルド近くにあるレストランだ。主な客が冒険者なため、ボリュームのある肉料理がメインである。
しかし栄養バランスを重視する客も多いのか、サラダや魚料理もかなり充実している。
「シルヴィー、いっぱい食べていいからね。なんでも」
「ありがとう」
「俺もお腹空いちゃったから、いっぱい食べちゃお」
言葉通り、リュカは大量の料理を注文した。運ばれてきた巨大な肉の塊を見て、リュカは瞳を輝かせる。
しかし、なかなか食べ始めない。
「リュカさん、どうしたんです?」
「……あー、えっと、その」
ちら、とリュカはテーブルの上のナイフとフォークに視線を向けた。何の変哲もない普通の物だが、なにか気になることでもあるのだろうか。
「……シルヴィー、あのね」
「はい」
「俺、ナイフ、あんまり上手に使えないんだ。ほら、フルールでは、スプーンばっかり使ってたでしょ」
「確かに、言われてみれば」
最近はフルールでリュカが食事をすることも多かったが、注文していた料理はどれもスプーンで食べられる物だ。
というか、フルールで提供している料理の大半がそうである。
「……食事のマナーが悪い男なんて、シルヴィーは嫌?」
捨てられた子犬のような眼差しで見つめられ、シルヴィーの心臓が勢いよく跳ねた。
ああもうこの人、どこまで私の母性を刺激すれば気が済むのよ……!?
「気にしませんよ。それに、苦手意識があるなら、これから覚えていけばいいじゃないですか」
「シルヴィー! さすが俺の嫁!」
「……だから、それは設定ですからね?」
リュカは急に黙り込んだ。相変わらずの反応だ。
「まったく。……ナイフの扱いなんて気にしませんから、冷めないうちに食べましょう」
「うん!」
確かに、リュカのナイフの使い方はあまり上手とは言えない。まるで子供みたいだ。
とはいえ、美味しそうに肉を頬張るリュカの笑顔を見ていたら、テーブルマナーなんて気にならない。
お腹空いてきたし、私もいっぱい食べちゃおう。
◆
「……ねえ、シルヴィー」
料理を食べ終わり、リュカがゆっくりとナイフをテーブルに置く。
「なんですか?」
「じいちゃんが前に言ってたんだ。誰かに好きになってほしいなら、自分の話をちゃんとしないと駄目だって」
「それはそうですね」
「だから、今日は俺の話を聞いてもらおうと思って」
そう言って微笑んだリュカはいつもより大人びて見えた。
リュカさんって、いろんな顔があるのね……。
「実は俺、じいちゃんとは血が繋がってないんだ。じいちゃんに拾われる前は一人ぼっちだった」
「……そんな」
「でも、ある時じいちゃんが俺を拾ってくれて。じいちゃんと旅するうちに、俺に冒険者向きのスキルがあるって分かったんだ」
てっきり、血の繋がった祖父だと思っていた。
リュカに、そんな過去があったなんて。
「俺は冒険者なんて興味なかったけど、じいちゃんに喜んでほしかったし、褒められて悪い気はしなかったから、そのまま冒険者になった」
「……その、冒険者向きのスキルって?」
「魔力の無効化。どんな魔物も、俺の前じゃ魔術は使えない。まあ、物理攻撃には効かないんだけどね」
魔物の魔力を無効化できれば、かなり有利に戦いを進められるだろう。
でも、単純に力の強い魔物も多い。そんな魔物が相手なら、楽に勝てるわけじゃないはずだ。
ドラゴンを倒すのだって、きっと、大変だったわよね……。
「じいちゃん、昔から俺によく言ってたんだ。絶対結婚しろって。じいちゃんはたぶん、俺より先にいなくなっちゃうからって」
そりゃあそうだよね、と笑ったリュカがとても寂しそうに見えて、心が騒いだ。
「だから俺、嬉しいんだ。シルヴィーみたいな可愛い奥さんができて……じいちゃん以外にも、俺の家族ができて」
ただの設定です。
その言葉を口にすることができない。
「ねえシルヴィー。あの日、俺に声をかけてくれてありがとう」
リュカがにっこりと笑う。その笑顔は甘くて、温かくて、そして……泣きたくなるくらい、綺麗だった。
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