第8話 ただの設定……なのに

「ね、シルヴィー。なにを買うの? 俺、いくらでも持つよ。岩でも銅像でもドラゴンでも!」

「そんなものは買いません」

「そうなの? でも俺、本当に何でも持つから」


 どうしよう。ミレーユさんに頼まれたのは胡椒と塩だけ。重い物なんて頼まれてないわ。

 なにかなかったかしら? 重くて、必要なもの。


「あ!」

「シルヴィー? どうしたの?」

「鍋です。大きな鍋を買わなきゃいけないんです」


 客が増えたことで、もっと一気に料理ができたらいいのに、とミレーユが言っていた。頼まれたわけではないものの、買って帰れば喜んでくれるだろう。


「そうなんだ。分かった。どれだけ大きくても持つから」

「あくまでも、ミレーユさんが使えるサイズですよ」

「鍋、どこで買う? この時間なら、広場に行商がきてるかな」


 冒険者たちで賑わうこの街には、各地から多くの行商がやってくる。行商たちは街の中央にある大きな広場に商品を広げ、昼から夕方にかけて販売するのだ。


「……リュカさん。その前に、どこかで昼食をとりませんか?」

「えっ!? いいの!? 食べたい! 俺、なんでも奢るから!」

「ありがとうございます。でも、高いお店じゃなくていいですから」

「うん!」


 嬉しいなあ、やったあ、とリュカが何度も何度も呟く。目の前でここまではしゃがれると、あまりに照れくさくて居心地が悪い。


 リュカさん、私のどこをそんなに気に入ってくれたのかしら。


 初めて会ったあの日から、雛鳥が親を慕うように、一途に思い続けてくれている。

 その勢いに気圧されている部分もあるけれど、悪い気がしないのも事実だ。


「シルヴィー、早く早く!」


 満面の笑みで、リュカがシルヴィーの手を引く。

 無邪気な態度に、思わずシルヴィーの頬が緩んだ。





 二人が入ったのは、冒険者ギルド近くにあるレストランだ。主な客が冒険者なため、ボリュームのある肉料理がメインである。

 しかし栄養バランスを重視する客も多いのか、サラダや魚料理もかなり充実している。


「シルヴィー、いっぱい食べていいからね。なんでも」

「ありがとう」

「俺もお腹空いちゃったから、いっぱい食べちゃお」


 言葉通り、リュカは大量の料理を注文した。運ばれてきた巨大な肉の塊を見て、リュカは瞳を輝かせる。

 しかし、なかなか食べ始めない。


「リュカさん、どうしたんです?」

「……あー、えっと、その」


 ちら、とリュカはテーブルの上のナイフとフォークに視線を向けた。何の変哲もない普通の物だが、なにか気になることでもあるのだろうか。


「……シルヴィー、あのね」

「はい」

「俺、ナイフ、あんまり上手に使えないんだ。ほら、フルールでは、スプーンばっかり使ってたでしょ」

「確かに、言われてみれば」


 最近はフルールでリュカが食事をすることも多かったが、注文していた料理はどれもスプーンで食べられる物だ。

 というか、フルールで提供している料理の大半がそうである。


「……食事のマナーが悪い男なんて、シルヴィーは嫌?」


 捨てられた子犬のような眼差しで見つめられ、シルヴィーの心臓が勢いよく跳ねた。


 ああもうこの人、どこまで私の母性を刺激すれば気が済むのよ……!?


「気にしませんよ。それに、苦手意識があるなら、これから覚えていけばいいじゃないですか」

「シルヴィー! さすが俺の嫁!」

「……だから、それは設定ですからね?」


 リュカは急に黙り込んだ。相変わらずの反応だ。


「まったく。……ナイフの扱いなんて気にしませんから、冷めないうちに食べましょう」

「うん!」


 確かに、リュカのナイフの使い方はあまり上手とは言えない。まるで子供みたいだ。

 とはいえ、美味しそうに肉を頬張るリュカの笑顔を見ていたら、テーブルマナーなんて気にならない。


 お腹空いてきたし、私もいっぱい食べちゃおう。





「……ねえ、シルヴィー」


 料理を食べ終わり、リュカがゆっくりとナイフをテーブルに置く。


「なんですか?」

「じいちゃんが前に言ってたんだ。誰かに好きになってほしいなら、自分の話をちゃんとしないと駄目だって」

「それはそうですね」

「だから、今日は俺の話を聞いてもらおうと思って」


 そう言って微笑んだリュカはいつもより大人びて見えた。


 リュカさんって、いろんな顔があるのね……。


「実は俺、じいちゃんとは血が繋がってないんだ。じいちゃんに拾われる前は一人ぼっちだった」

「……そんな」

「でも、ある時じいちゃんが俺を拾ってくれて。じいちゃんと旅するうちに、俺に冒険者向きのスキルがあるって分かったんだ」


 てっきり、血の繋がった祖父だと思っていた。

 リュカに、そんな過去があったなんて。


「俺は冒険者なんて興味なかったけど、じいちゃんに喜んでほしかったし、褒められて悪い気はしなかったから、そのまま冒険者になった」

「……その、冒険者向きのスキルって?」

「魔力の無効化。どんな魔物も、俺の前じゃ魔術は使えない。まあ、物理攻撃には効かないんだけどね」


 魔物の魔力を無効化できれば、かなり有利に戦いを進められるだろう。

 でも、単純に力の強い魔物も多い。そんな魔物が相手なら、楽に勝てるわけじゃないはずだ。


 ドラゴンを倒すのだって、きっと、大変だったわよね……。


「じいちゃん、昔から俺によく言ってたんだ。絶対結婚しろって。じいちゃんはたぶん、俺より先にいなくなっちゃうからって」


 そりゃあそうだよね、と笑ったリュカがとても寂しそうに見えて、心が騒いだ。


「だから俺、嬉しいんだ。シルヴィーみたいな可愛い奥さんができて……じいちゃん以外にも、俺の家族ができて」


 ただの設定です。


 その言葉を口にすることができない。


「ねえシルヴィー。あの日、俺に声をかけてくれてありがとう」


 リュカがにっこりと笑う。その笑顔は甘くて、温かくて、そして……泣きたくなるくらい、綺麗だった。

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