第3話 厄介な客(※ただしイケメン)
「ねえ君。名前は? 俺の妻ってことだよね? 俺のこと好きってこと? ねえ」
早口でまくしたてながら、イケメンが顔を寄せてくる。待って! と叫んでみても、イケメンは話すのをやめない。
「だって君、俺のこと旦那さまって言ったよね。そういうことでしょ? ねえってば。聞いてるの?」
もちろん聞いているわ。だけど、貴方が喋り続けてるから、いっこうに口を挟めないのよ!
どうしたものかとシルヴィーが困っていると、初老の男がイケメンの背中を勢いよく叩いた。
「いい加減にするんじゃ、リュカ。困っとるじゃろう」
「……でもじいちゃん、この子、俺の嫁だって」
「そういう店なんじゃろう。行くぞ、リュカ。わしらには無駄遣いをする金はないんじゃから」
おそらく老人は、シルヴィーを妓楼の客引きかなにかだと勘違いしているのだろう。
さすがに訂正しなければ、とシルヴィーが口を開くより先に、イケメン……リュカが首を横に振った。
「違うよ、じいちゃん。この子は俺の嫁」
「……リュカ?」
「俺のこと旦那さまって言ったし」
きらきらとした瞳でイケメンに見つめられ、名前は? と何度も聞かれる。無視するわけにもいかず、シルヴィー、と名乗ってしまった。
「シルヴィー。いい名前だね」
「それはどうも……?」
「それで、俺たち初対面のはずだけど、結婚してたんだ」
そんなわけないでしょ! と思わず叫びそうになったが、リュカは真剣な顔をしている。
もしかしてこのイケメン、とんでもない厄介客なんじゃ……。
「……お客様。あくまでそれは、お店の設定です」
毅然とした態度で事実を伝えてみたのだが、リュカは返事すらしない。あの、とか、その、と声をかけてみても無駄だ。
しかし綺麗な瞳は、ひたすらにシルヴィーを見つめている。
もしかして。
「……旦那さま?」
「なに? シルヴィー」
リュカが満面の笑みを浮かべる。
シルヴィーと老人は、ほとんど同時に溜息を吐いたのだった。
◆
「おかえりなさい……って、シルヴィー。旦那さまを連れてきてくれたの?」
リュカたちを連れて店へ入ると、店内はそこそこ賑わっていた。いつの間にか、それなりに客が入っていたようだ。
「はい。旦那さま、こちらはルネです。当店では、好きな店員を選んでお話できる仕組みになっておりますので」
「……どういうこと? 俺は君の夫なんだから、君以外を選ぶわけなくない?」
真面目な顔でそんなことを言われると、こちらが間違っているような気がしてくる。
店についてはきちんと説明した。その上で、リュカはここにやってきた。
店のシステムは理解しているはずだ……たぶん。
「それよりさあ、夫が帰ってきたのに、よそ見ばっかりしないでよ」
不貞腐れたように言って、リュカがシルヴィーの手を引っ張ろうとする。とっさによけると、リュカはわざとらしく頬を膨らませた。
「旦那さま。おさわりは禁止ですよ?」
「……分かってるってば」
「それはよかったです。では、お席に案内しますね」
少々面倒だが、客は客だ。それに、厄介な客の対応には慣れている。
「では旦那さま。食べたい物が決まったら呼んでくださいね」
メニューを置いて立ち去ろうとすると、待って、と呼び止められた。
「俺の妻なのに、俺のことおいていくの?」
「家事がまだ終わってないの。ごめんなさい」
他の客の相手があるから、とは言えない。リュカの前では、リュカの妻として振る舞わなければならないのだから。
「……どうすれば、もっと俺と話してくれるの?」
寂しそうな瞳で見つめられると、つい隣に座りたくなってしまう。言動は完全に厄介な客でしかないのに、顔がいいというのは狡い。
「そうですね。旦那さまがたくさんお食事を楽しんでくれるなら、私も長く一緒にいられますよ?」
シルヴィーがそう返した瞬間、ぼったくりじゃのう、と老人が小声で呟いた。
「……分かった。じゃあ、メニューにのってあるやつ、全部ちょうだい」
「え?」
「そうしたら、いっぱい一緒にいてくれるんでしょ?」
リュカは懐から小さな革袋を取り出した。中にはびっしりと硬貨が詰まっていたが、どれも銅貨だ。
「リュカ! それはお前の全財産じゃろう!?」
老人が慌てて叫ぶ。しかしリュカは落ち着いた態度で、そうだよ、とあっさり頷いただけだ。
「お前、それで1ヶ月生きていくとさっき言っておったのを忘れたのか!?」
「覚えてる。でも、シルヴィーと話す方が大事」
ねえ、シルヴィー、と必死そうな声でリュカに名前を呼ばれた。
「……これじゃ足りない? シルヴィー、他の人のところに行っちゃう?」
捨てられた子犬のような目に、思わず心臓が飛び跳ねた。
「……いえ。これだけあれば、たくさんお話しできますよ」
嘘じゃない。銅貨ばかりだとはいえ、かなりの額だ。
「よかった。じゃあ、これ全部あげる」
◆
その日リュカは、閉店までフルールに居座り続けていた。
シルヴィーを引きとめるために、ありとあらゆる食べ物と飲み物を注文して。
そしてその結果、彼は1ヶ月分の食費を使い尽くしたのだった。
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