第33話


「……」


 彼女は今、何かを語りたそうにこちらを見上げてきている。

 潤んだ瞳、どこか緊張げに強張った身体。

 口が開いては閉じ、それを繰り返しては呼吸を整える為に深呼吸をしている。

 俺は決して鋭い感性を持っている訳ではないし、直感が鋭い訳でもない。

 それでも彼女が何をしようとしていて、これからどのような言葉を発しようと決意しているのかも、何となく分かった。

 それはきっと、俺にとっては願ってもない事なのだろう。

 俺が俺である所以。


 そう、


「朋絵ちゃん」


 俺は。

 ……天童武は、最初から何故か日乃本朋絵という少女に対して何らかの感情を抱いていて、そしてそれが今の状況を招いていると思っている。

 そしてそれは、意外と思われるかもしれないけど。

 いわゆる『転生者としての俺』ではなく、むしろ『原作登場キャラとしての俺』が、そのように感じ、思い、行動をしていたのだ。

 同時に、それはきっと『転生者としての俺』がいるからこそだろうし、どうしてそんな事になっているのかを、俺は、今まで見て見ぬふりをしてきていた。


 だってそれは、俺にとっても苦い思い出だったから。

 ……

 


 産まれた時からずっと優秀な兄の足跡を辿る事を期待されていて、そのようである事が正しいように言われてきた。

 それがイヤだった。

 だって俺は、優秀な兄とは違って優秀ではなかったから。

 だから俺は、別の道で生きていきたいと思ったんだ。

 それは多分逃避だったのだろう。

 好きな事で生きていきたいと言えば聞こえは良いが、俺の場合は、ただそっちの方が苦しくない、辛くない故にそうしたのだから。

 だけど、それは結局上手くいかなかった。


『馬鹿だな』

『兄はあんなにも優秀なのに』

『そんなのなれる筈もないだろ』

『現実を見ろ』


 ……

 多分、それは普通な事なのだろう。

 優秀な人間がいれば優秀であるよう願われるのは普通だし。

 そして、学業を通じて一般人のような生き方をするよう願うのが親というモノ。

 決められたルート、だなんてまるで悪い事かのように言うけれど。

 その線路を辿って行けばまず間違いなく苦しい目に合わずに生きていけるのだから、誰だってそのように生きていく事を願うだろう。

 脱線しようとするならば、軌道修正しようとするのが親の心というモノだろう。

 

 だけど俺には、それが出来なかった。


「……」


 朋絵ちゃんは、俺とは違う。

 その事を『天童武』は知らなかったけど、『転生者の俺』は知っている。

 彼女は逃げた訳じゃない。

 

 その結果、悪い大人に捕まってしまうという末路が待っていたのだとしても。


 だけど最初には、きらきらと輝かしい夢があったのだ。


 だから。


「朋絵ちゃんはどんな夢を持っている?」


 おもむろに尋ねて来た俺に対し、彼女は少しだけきょとんとする。


「それ、は。勿論……恥ずかしいけど、イラストレーターになりたい」


 そのように、恥ずかしがっているのだとしても断言出来るようになった彼女。

 あまりにも輝かしい。

 だから、うん。


 眩し過ぎて、俺には無理だ。

 

「じゃあ、そうなれるように今日も明日も、頑張らないとな」


 その言葉に、どのような感情が込められているのかと思ったのかは分からない。

 ただ彼女は少し苦笑を浮かべた上で、「まったく」と呟く。

 そして言う。


「ねえ、武さん」

「なんだ?」

「覚悟、しててよ?」

「何がだ?」


 満面の笑み。

 彼女は、今度は自信満々な表情を浮かべていた。


「絶対私、この夢を叶えてみせるから!」


 ああ、うん。

 そうするが良いよ。

 ……大人が大人として払うべき責務。

 その答えは俺には分からないけど。


 だけど、その夢を叶えて上げたいって俺は、思えるから。

 ……君のように思えなかった俺は、だから思う。


 願わくば、君のその絵空事の物語が完成する事を。

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