第8話 幕間
「ほら、桜子ちゃん。これ」
武さんから渡されたのは、一枚の1000円札だった。
唐突だったので彼の真意がまるで分からず、なので私は目を丸くして「これは?」と尋ねる事にした。
「ああ。これはお昼代だよ。これを使って好きに弁当でも買うと良い。確か、桜子ちゃんの通う学校、購買があったよな?」
「ありますけど、えっと。え、これで食事を買えって事ですか?」
「うん。そう言うつもりだけど。俺が作るような弁当は食べたくないだろ? 男の作る弁当って得てして彩りのない奴になるし、そういうのは女子高生が持っていくようなものじゃない」
「い、いえ。別にそんな事は……」
「そう遠慮しなくて良いよ――ああ、そうだ。余った分は桜子ちゃんのお小遣いにして貰って良いからな?」
そんな風に言われてから一週間以上が経過した。
仕方ないので私はその1000円の内、400円くらいを弁当代にし、後は貯金に回している。
いつかは返すつもりだ。
だけどきっと、武さんはそれを受け取ってはくれないだろう。
頑なな人だから。
「はあ……」
「どうしたんだ?」
と、尋ねてくるのは私の幼馴染、竜胆翔だ。
彼とは何となく長い付き合いで今も何となくで昼休み、食事を共にしている。
仲が悪いという訳ではない、しかし良い訳でもない、微妙な関係。
「いや、ね。うちのおじさん――良い人なんだけど、良い人だからどう付き合っていけば良いのかちょっと分からなくて」
「なんだか贅沢な悩みだな」
「それはそう、だけど。こちらとしては結構な悩みなんですよ」
「そういうもんか」
「そういうもんなんです」
何となく、彼と私との間には距離があるように感じる。
意図的に距離を取られているように感じるのだ。
それはきっと、私の事を大事に思っているからこそなのは分かる、だから歯がゆいのだ。
「それにしても、桜子」
「なんですか?」
「当初は凄く暗そうな表情をしてたけど、最近はちょっと明るくなったよな」
「?」
「あー、その。ご両親の事だよ」
「……」
………………
「ご、ごめん。こんな事、言うべきじゃなかったな。デリカシーに欠けてた」
「いえ、気にしませんよ」
ふう、と息を吐いて、それから昼ご飯のメロンパンを包装していた紙を丁寧に畳んだ私はそれをゴミ箱に持っていく為に立ち上がる。
「そういえば、翔。貴方は文芸同好会には顔を出さないのですか?」
「あー、そうだな。ゴメン、行ってくるわ」
「ええ。行ってらっしゃい」
そう言い、弁当を仕舞い立ち去る彼の背中を見送った。
やれやれと思う。
なんだかんだ言って彼はまだまだ子供だな。
そんな風に親のように思ってしまうのは、きっと彼と同じ時を共にし過ぎたからだろう。
男としては見れない。
「……」
では、男として見れる人物は。
(そんな人は、)
いないけど。
だけど気になる人がいない訳でもなかった。
◆
放課後、塾でみっちり勉強をし終えた後、家に帰る。
電気はついていているので、いるであろう武さんに向かって「帰りましたー」と玄関口で挨拶をすると、珍しく今日は彼からの返事が返ってこなかった。
あれ、と思い私はリビングへと移動し、そこで武さんを発見する。
「あ……」
彼はソファの上で眠っていた。
テレビが点いたままになっているところから察するに、いつの間にか眠っていたのかもしれない。
「……」
私の事を待ってくれていたのだろうか。
だとしたら、嬉しく思う。
だって――
(だって?)
なんだというのだろう。
とりあえず私はテレビの電源を切り、それからキッチンへと移動する。
そこで牛乳を飲むために冷蔵庫を開き、
「……ん?」
それを見つける。
プリン。
変哲のないプリン。
だけどその蓋に書かれている文字。
『ともえちゃんの♡』。
「これ、は……」
誰だ?
私はまだ眠っている武さんの方を見る。
この家にあった女の痕跡。
それを招いた人間がいるとすれば、彼しかいない。
だとしたら、
『今日はこの娘と――』
『口煩くするな――』
『――俺達は選ばれた――』
『――なんの間違った――』
『――お前もまた選ばれた人間だ』
『――あいつとは違って』
『僕の弟、天童武』
「……ッ、はぁっ。はぁっ!」
気づけば私はその場でしゃがみ込み息を荒くしていた。
ふらふらと立ち上がり、息を整える。
さっきのは。
……いや、思い出すのは止めよう。
私は大丈夫。
だいじょうぶ。
私は、平気だ。
だって私は、。
「……」
私はリビングへと移動し、武さんの顔を見下ろす。
顔は口と口が触れ合いそうなほどに近く。
きっと、彼が目を覚まし衝動的に身体を起こそうとしたら、きっと。
「……」
安らかな寝顔だ。
ああ、それは。
とても羨ましい。
なんて、普通な表情。
「はぁ……」
私は溜息をしてその場から立ち去る。
今日は疲れた。
もう寝よう。
プリンの件は、後日改めて彼に尋ねるとする。
私に対して露骨に警戒心を抱かせようとするかのようなモノを残した相手に対しては少々腹が立ったのは間違いなかった。
ただ、不思議と彼に対しては不信感を覚えてはいなかった。
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