濁流


「じゃあ行ってくるわね」

「パパも今日は朝からパートだから、仲良くするんだよ」

「お昼ご飯はお父さんが作ってくれてるからね」


「はい、ありがとうございます」

「……いってらっしゃい」



やっぱり、空兄の様子がおかしい。

寝っ転がりお菓子吸収機だった彼の姿はもはや変わった。


結局昨日は、お布団敷いてあたしより早く寝てた。疲れていたみたい。


そして翌朝。

結局、彼はもとに戻らなかった。



「なんだよこの贅肉……しばらく菓子類はダメだな」



今はリビングで筋トレしながら、お腹をつねっている。


大体はお菓子を食べながら携帯弄りがノーマルだったのに。

ぼろぼろと、私の領域にこぼしたあげくにゴミを放置するかつての姿。もはやゴミ製造機……っ!


それが今や――



「なんかコレ俺のお菓子らしいんだけど。あかり欲しかったらあげるよ」

「(開いた口が塞がらない)」


「えぇ……」



あたしのお菓子は盗むくせに、自分のお菓子は死守するゴミ兄。

そんなカス兄が、自分のお菓子を――



「……じー……」

「要らないなら――」


「い、いる。でも……空兄も食べて」

「え? まあいっか。ちょっとぐらいなら」

「……」

「毒なんて入ってないけど」

「ぅ……」

「ははっちょうどいいや、色々聞きたいこともあるし」



笑って彼は向き直る。

そして――



「教えてくれない? “前”の俺と、君について」






「……みたいな、感じ」

「ゴミカスアホ兄じゃん……」



なんだその最悪な兄は。

通りでお腹がぷよってるわけだ。


入った手芸部も、思ったより女子にウケが悪いからやめたらしい。

なんだそれ。モテる為に部活やってんのか!


……そういうとこだけ似てるの腹立つな(恥)。

まー俺は10年やってるから! 勝った!



「ジュースもちょびっとだけ残して、親に言われたら私のせいにするし!」


「私の友達が来た時だけは、外面被ってるし!」


「んで帰った瞬間グチグチ愚痴……大体お詫びの品とか言ってお菓子パチるし!」



いやあもう止まらない止まらない。まるで滝。

彼女はかなりため込んでいた様だ。前の俺がごめんね!



「自分が嫌になってきたな」

「あ……でも、今の空兄は違うから……」


「ははっ。なんなんだろうなコレ。“昔”の俺でもないんだろ?」

「……うん」


「そうか。まー深く考えても仕方ないよな」

「……」



いやあ長い夢だ。

それはそれで興味が湧いてくる。


思っていた以上にカス兄でびっくりしたけど。



「じゃ、あかりについては?」

「……空兄、ほんとに何も覚えてないんだ」


「うんうん。そもそも、年もわからん」

「中学二年!」


「おー。部活とかやってるのか?」

「……卓球」

「へぇ」

「カス兄は、野球とかバスケ、サッカーじゃないとモテないぞってうるさかった」

「……は?」



今なんて言った?

まさかソレも逆なのか?


どうしてか、冷や汗が止まらない。



「?」

「いや、女の子だろ? バスケは分かるけど……女の子が野球? サッカー? あ、あれか。ソフトボール――」

「何言ってんの! 女といえばその三つじゃん」

「え……男は?」

「はー? 男子はあっても男子バスケだけだよ。野球とかサッカーやってる男子なんて居ないし、そもそもどの学校も部活無いよ」

「…………」



あ、ああ。

ほんと、マジで狂ってるわこの世界。

逆転してる。スポーツが。



「……そ、空兄?」

「ごめん」

「顔色悪いよ……?」

「……ごめん。大丈夫、だから」



もし、この夢が覚めなかったら。

俺は。俺は、どうなるんだ?


10年やってきたんだ。それがようやく報われたんだ。


その“スポーツ”自体が無いってどういう事だよ。

そもそも――



《――「空、お前すげーよ!」――》


《――「マジでやりやがった!」――》


《――「先輩に勝っちゃったよ俺達!」――》



アイツら仲間は?

この世界に居るのか?


いや、居ないだろ。

無いんだから。

そもそも“この世界”の俺は、聞いてた限り運動なんてやってない。


ふざけんな。

もし、戻れなかったら。



《――「空! ゲーセン寄って帰ろうぜ」――》

《――「今日ナゲット安いらしい」――》



バカやってた男友達は?



《――「今日も頑張ったな~」――」》

《――「部活終わりのアイスが一番うまいんだよ」――》



頼もしい、俺の部活の仲間達は?



《――「空、早く寝なさい!」――》

《――「明日の試合は父さんも見に行くからな、ヘマするなよ」――》



俺の、両親は?



「っ――」



みんな、みんな。

もう――会えないのか?



「そ、空兄!」

「……ぁ。あぁ……」



めまいがする。

心臓の音がうるさい。


……考えては、ならない。

この続きは。


楽しい事考えようぜ。

長い、長い夢なんだ。



「……そう、だ……」



こう考えよう。

実は俺は、あっちの世界でそのまま楽しくやってんだ。

それで“こっち”の俺は、意味不明なこっちの世界に飛ばされた。死んだ旧佐藤空の代わりとして、意識が入り込んだ。


アレだよアレ。

友達が言ってた異世界転移ってやつ。ああ転移じゃないか、憑依系? どうでもいい。

何もかも逆になったパラレルワールドへのお誘い。



「なんだよ、それ……」

「そ、空兄」

「ッ」



……ふざけんな。


じゃあ、“こっち”の俺はずっとこのままか?

ああクソ。やっぱり夢って事にしよう。

そっちの方が都合が良いから。


自分でも何言ってるのか分からなくなってる。

この錯乱も、胸の動悸どうきも夢なのか? 

ああクソ考えるな!



「ねえ、ねえ! 大丈夫なの!?」

「――ああごめんごめん。落ち着いた」



濁流の様に溢れてくる不安と焦燥。

それに何とか蓋をして、俺は無理やり彼女に笑った。


横にあかりが居るんだ。

男として、こんな動揺した姿をこれ以上晒すわけにはいかない。



「お菓子食おうか。せっかくだしお茶でも淹れる?」

「……うん。ほんとに平気?」

「大丈夫だって。ありがと、あかりは優しいね」

「ぅ……」

「さてと、何飲もうかな〜」



何でも無いように、俺はコンロで湯を沸かしにいく。



「……帰れるんだよな、俺」




その呟く声は、誰にも聞こえない様に――


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