濁流
「じゃあ行ってくるわね」
「パパも今日は朝からパートだから、仲良くするんだよ」
「お昼ご飯はお父さんが作ってくれてるからね」
「はい、ありがとうございます」
「……いってらっしゃい」
やっぱり、空兄の様子がおかしい。
寝っ転がりお菓子吸収機だった彼の姿はもはや変わった。
結局昨日は、お布団敷いてあたしより早く寝てた。疲れていたみたい。
そして翌朝。
結局、彼はもとに戻らなかった。
「なんだよこの贅肉……しばらく菓子類はダメだな」
今はリビングで筋トレしながら、お腹をつねっている。
大体はお菓子を食べながら携帯弄りがノーマルだったのに。
ぼろぼろと、私の領域にこぼしたあげくにゴミを放置するかつての姿。もはやゴミ製造機……っ!
それが今や――
「なんかコレ俺のお菓子らしいんだけど。あかり欲しかったらあげるよ」
「(開いた口が塞がらない)」
「えぇ……」
あたしのお菓子は盗むくせに、自分のお菓子は死守するゴミ兄。
そんなカス兄が、自分のお菓子を――
「……じー……」
「要らないなら――」
「い、いる。でも……空兄も食べて」
「え? まあいっか。ちょっとぐらいなら」
「……」
「毒なんて入ってないけど」
「ぅ……」
「ははっちょうどいいや、色々聞きたいこともあるし」
笑って彼は向き直る。
そして――
「教えてくれない? “前”の俺と、君について」
☆
☆
「……みたいな、感じ」
「ゴミカスアホ兄じゃん……」
なんだその最悪な兄は。
通りでお腹がぷよってるわけだ。
入った手芸部も、思ったより女子にウケが悪いからやめたらしい。
なんだそれ。モテる為に部活やってんのか!
……そういうとこだけ似てるの腹立つな(恥)。
まー俺は10年やってるから! 勝った!
「ジュースもちょびっとだけ残して、親に言われたら私のせいにするし!」
「私の友達が来た時だけは、外面被ってるし!」
「んで帰った瞬間グチグチ愚痴……大体お詫びの品とか言ってお菓子パチるし!」
いやあもう止まらない止まらない。まるで滝。
彼女はかなりため込んでいた様だ。前の俺がごめんね!
「自分が嫌になってきたな」
「あ……でも、今の空兄は違うから……」
「ははっ。なんなんだろうなコレ。“昔”の俺でもないんだろ?」
「……うん」
「そうか。まー深く考えても仕方ないよな」
「……」
いやあ長い夢だ。
それはそれで興味が湧いてくる。
思っていた以上にカス兄でびっくりしたけど。
「じゃ、あかりについては?」
「……空兄、ほんとに何も覚えてないんだ」
「うんうん。そもそも、年もわからん」
「中学二年!」
「おー。部活とかやってるのか?」
「……卓球」
「へぇ」
「カス兄は、野球とかバスケ、サッカーじゃないとモテないぞってうるさかった」
「……は?」
今なんて言った?
まさかソレも逆なのか?
どうしてか、冷や汗が止まらない。
「?」
「いや、女の子だろ? バスケは分かるけど……女の子が野球? サッカー? あ、あれか。ソフトボール――」
「何言ってんの! 女といえばその三つじゃん」
「え……男は?」
「はー? 男子はあっても男子バスケだけだよ。野球とかサッカーやってる男子なんて居ないし、そもそもどの学校も部活無いよ」
「…………」
あ、ああ。
ほんと、マジで狂ってるわこの世界。
逆転してる。スポーツが。
「……そ、空兄?」
「ごめん」
「顔色悪いよ……?」
「……ごめん。大丈夫、だから」
もし、この夢が覚めなかったら。
俺は。俺は、どうなるんだ?
10年やってきたんだ。それがようやく報われたんだ。
その“スポーツ”自体が無いってどういう事だよ。
そもそも――
《――「空、お前すげーよ!」――》
《――「マジでやりやがった!」――》
《――「先輩に勝っちゃったよ俺達!」――》
この世界に居るのか?
いや、居ないだろ。
無いんだから。
そもそも“この世界”の俺は、聞いてた限り運動なんてやってない。
ふざけんな。
もし、戻れなかったら。
《――「空! ゲーセン寄って帰ろうぜ」――》
《――「今日ナゲット安いらしい」――》
バカやってた男友達は?
《――「今日も頑張ったな~」――」》
《――「部活終わりのアイスが一番うまいんだよ」――》
頼もしい、俺の部活の仲間達は?
《――「空、早く寝なさい!」――》
《――「明日の試合は父さんも見に行くからな、ヘマするなよ」――》
俺の、両親は?
「っ――」
みんな、みんな。
もう――会えないのか?
「そ、空兄!」
「……ぁ。あぁ……」
めまいがする。
心臓の音がうるさい。
……考えては、ならない。
この続きは。
楽しい事考えようぜ。
長い、長い夢なんだ。
「……そう、だ……」
こう考えよう。
実は俺は、あっちの世界でそのまま楽しくやってんだ。
それで“こっち”の俺は、意味不明なこっちの世界に飛ばされた。死んだ旧佐藤空の代わりとして、意識が入り込んだ。
アレだよアレ。
友達が言ってた異世界転移ってやつ。ああ転移じゃないか、憑依系? どうでもいい。
何もかも逆になったパラレルワールドへのお誘い。
「なんだよ、それ……」
「そ、空兄」
「ッ」
……ふざけんな。
じゃあ、“こっち”の俺はずっとこのままか?
ああクソ。やっぱり夢って事にしよう。
そっちの方が都合が良いから。
自分でも何言ってるのか分からなくなってる。
この錯乱も、胸の
ああクソ考えるな!
「ねえ、ねえ! 大丈夫なの!?」
「――ああごめんごめん。落ち着いた」
濁流の様に溢れてくる不安と焦燥。
それに何とか蓋をして、俺は無理やり彼女に笑った。
横にあかりが居るんだ。
男として、こんな動揺した姿をこれ以上晒すわけにはいかない。
「お菓子食おうか。せっかくだしお茶でも淹れる?」
「……うん。ほんとに平気?」
「大丈夫だって。ありがと、あかりは優しいね」
「ぅ……」
「さてと、何飲もうかな〜」
何でも無いように、俺はコンロで湯を沸かしにいく。
「……帰れるんだよな、俺」
その呟く声は、誰にも聞こえない様に――
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