第16話 開花
坂道を下る冥の心には、ノイズが走っていた。喧騒とは無縁の退屈な田舎から一刻も早く離れて、常に死と隣り合わせの都会に戻りたい本心。退屈でありながら、胸の穴を埋める田舎に留まりたい本心。二つの本心を持ち、矛盾した考えを冥は同時に抱いていた。
「気分はどう? あなたの事だし、早く体を動かしたいでしょ。大丈夫。あっちに戻ったら、あなた好みの仕事をいくつか探してあげる」
冥は足を止め、坂道から一望出来る田舎の風景を眺めた。木で造られた家、広過ぎる田んぼ、溢れんばかりの自然。人が住んでいるとは思えない程に、ここは静かであった。
冥は空を見上げた。雨が止み、快晴となった空は青色にも水色にも見える。
「……ここは退屈だな」
「そうね。でも、都会の拡張計画が進んでいけば、こうした田舎も過去のものになる。私達が実際に目にする田舎は、もう見納めかもしれない」
「あの空の向こうには何があるんだ?」
「宇宙と呼ばれていた空間が無限に広がっているわ。人は自ら生まれ育った星よりも、空の果てに広がる宇宙に夢を見ていた。空に天井が作られて、都会に住む人達のほとんどが忘れてしまったけれど。おかげで、果ての無い無謀な夢を持たずに済む」
「夢は持っちゃいけないのか?」
「そうじゃない。でも、実現出来ない夢は、その人の人生の足を引っ張るだけ。せっかく人は夢を見るんですもの。叶えられる夢だけ見ないと」
「つまらん考えだ」
「そのつまらない考えのおかげで、あなたの才能が発揮される都会が出来上がった」
「殺すばかりが私じゃない!」
「そうかしら? 殺すか、壊すか。あなたがしてきたのは、そのどちらかだったけど?」
冥はタバコを咥え、いつものように火を点けて吸い始めた。煙を肺の中に吸い込み、溜めた煙を空に向けて吐き出した。
「……タバコが美味い」
「いつもの事でしょ?」
「いや、ただ味が良いだけじゃない。あっちでは感じられない解放感のような……自分が煙と共に、あの空に飛んでいくような気分になる。今まで数え切れない程にコイツを吸ってきたが、今日が一番美味く感じた……先に帰ってろ」
タバコを口に咥え、冥は来た道を引き返した。当然、レディは冥を引き留める。腕を掴み、強引に自分側へと引き寄せようとするが、冥は大木のように微動だにしない。
「待って! どうしちゃったのよ!? ここは退屈だと、あなたは確かに感じているでしょ!?」
「退屈さ」
「だったら!」
「仕事として合法的に人を殺し、物を壊し、私は渇きを満たしていた。でも、何人も人を殺しても、どれだけ物を壊しても、また渇く。もうとっくに気付いてる。私は、暴力に飽きてきたんだと」
「なら、別の事で満たせばいい! 都会には様々な刺激があるわ! 必要なら、私も与えるから!」
「それだよ」
レディに振り返って見せた冥の眼には、覇気が宿っていなかった。
「あんたは私に与えるばかりで、求めてくれない。私はあんたの玩具じゃないんだ」
「求めてるわ」
「たった一つの感情だけだろ? あの女……一つ前の私が、長期間あの女の傍にいた理由が分かった。あの女は、特別なんだよ」
冥はレディの腕を振り解き、坂道を上っていく。
「……後悔するわよ」
「人生に後悔はつきものだ」
「都会に戻れるチャンスは、今しかない。裏道を知らないあなたは、正規の道を行くしかない。指名手配のあなたでは通れない」
「そん時は、派手に正面突破さ」
「……行かないで」
冥の足を止める言葉がこれ以上思いつかず、レディは喉に詰まっていた言葉を捻り出した。見た目は若々しくても、流れた時間で浪費する歳の若さを失ったレディにとって、本心を口にするのは抵抗があった。
しかし、その本心からの言葉のおかげで、冥の足が止まる。冥はレディの方へ振り返ると、眼に覇気を宿した姿になっていた。その冥の姿こそ、レディの膨大な記憶の全てを埋め尽くす姿であった。
「私はあの女のもとに留まる! 会いたい時は、会いに来い! 訪ねる理由がどんなだろうと、私は真正面から迎え撃つぜ! またな、レイン!」
冥は挑発的な笑みをレディに飛ばすと、再び坂道を上り始めた。レディは、確固たる意志を見せる冥の背中から、冥の考えが変わる事は無いと悟る。
冥が坂道を上り切ると、そこから果てしなく続く道の途中に、小百合が立っていた。小百合との生活の記憶を失った冥であったが、自分を待っている小百合の笑顔に、自然と笑みがこぼれてしまう。
「もう……戻ってくるのが、遅いのよ!」
「それが人を出迎える態度か~? 言っておくが、あんたが知る私は死んだんだ。初対面なら初対面らしく敬語で話せよ!」
「口悪っ! 初めて会った時は礼儀正しかったのに……というか、私の方が歳は上なんだから!」
「なら余裕を見せろよ。ガキの方が落ち着いてんぞ?」
「自分も子供の癖に……」
「ぶん殴るぞ?」
「えいっ! アッハハハ!」
「はぁ!? こんの女ァ!!! 待ちやがれ!!!」
二人は自然と距離を縮め、自然と会話を重ね、自然と隣に立ち、そして家へと帰っていく。記憶の違いは、二人にとって問題にはならない。
二人の心と心。想いは繋がっているのだから。
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