第15話 蕾

 熱いコーヒーが入ったカップを片手に、レディは冥について小百合に説明し始める。




「あの子は人間じゃない。見た目や中身は人間と同じ構造だけれど、その根底にある生死に関しては別物なの。権限者の言葉で、あの子は生き返る事も出来れば、死ぬ事も出来る。さっきので言えば、前者の方ね」 




「……あの、言っている意味が分からないんですけど」




「そんな奴に何言っても理解なんかされねぇよ」




 二人の会話に割って入るかのように、黒いジャケットを着た冥がレディ側の壁にもたれかかった。タバコに火を点け、一刻も早くこの家から出ていきたいような雰囲気を醸し出している。




「あなたが早く帰りたいのは分かるわ。でも、説明もせずに帰るのは可哀想でしょ?」




「なら早く済ませろ。私は先に外に出てる」




 そう言って、冥は一足先に外へ出ていった。




「ごめんなさいね。今のあの子は、一年前まで記憶が戻ってるの。だから、優しさとか、信頼とか、そういったものを無意味だと思ってるのよ」




「一年前って……私の事を、憶えてないんですか?」




「ええ。でも、これで良かったのよ。本来、あの子はここにいるべきじゃない。ここは退屈過ぎる。あの子は、都会でしか生きられない」




「で、でも! 冥ちゃんは凄く楽しんでました! ここでの暮らしを! 私と過ごしてきた毎日を!」




「そんなあの子を、あなたは殺したの?」




 背筋が凍るようなレディの声で語られた事実に、小百合は何も言えなくなった。冥を手放したくない気持ちは本物であっても、冥を殺した事実がある所為で、堂々と言葉を出せない。


 そんな小百合に、レディは追い打ちを仕掛ける。




「あの子はね、孤児だったの。都会では、孤児は実験の被検体としての運命が定められていて、あの子も他の孤児同様、改造された過去がある。私のような義体ではなく、人体を精密に模した人工体。他人はおろか、自分ですら気付けない程。あの子は特別なの。運良く施設から抜け出せたはいいけど、施設の外は危険で溢れている。私が拾わなければ、別の誰かがあの子を高値で売り飛ばすか、サンプルとして更に惨い人体実験を―――」




「もういい!!! もう……分かりましたから……!」




 自分には理解出来ない遠い世界の話に、小百合は頭が痛くなった。レディの言葉の意味は分からずとも、その情景は思い浮かぶ。


 レディはコーヒーを飲み干すと、小百合との会話を切り上げ、玄関へと歩いていった。その後を追いかけたい小百合であったが、二人から感じる特別な雰囲気に、自らの凡人さを思い知らされ、動けずにいた。




「……どうして、こうなっちゃったのかな……私の所為、なんだよね……」




 独り取り残された小百合は、改めて自分の無力さを痛感した。追いかける事も、声も出す事も出来ない。大切だったはずの存在が、自分から離れていくのに、自分の事で精一杯で動けない。小百合は死ぬ勇気も、生きる自信さえも失っていた。


 小百合は幼少期の頃を思い出した。周囲の子供と同じくらいの時に言葉を発し、同じくらいの時に二本足で立ち上がった。他の親が自身の子に賛美を送る中、小百合の家族だけは、小百合を見る事すらなかった。


 原因は、小百合の姉が他よりも優れていたからである。他の子よりも早く言葉を発し、他の子が二本足で立ち上がる頃には、既に身の回りの事を一人で出来るようになっていた。小百合の姉の成長スピードは著しく、教養を与えれば、与えた以上の知識を身に着けていく。


 ある日、小百合はこの家で目を覚ました。見た事も無い家。誰もいない家の中。人や物音が聴こえない外。小百合は捨てられたのだ。泣いても、祈っても、迎えに来る者は現れなかった。


 小百合は努力した。まだ十になったばかりの子供であったが、生きる為に失敗を重ねながら、生活を学んでいった。この家に運んだ者の温情か、家には日持ちする食料が置かれており、資金源であるカードがテーブルに置かれていた。誰が置いていったのかは、小百合には分からない。


 小百合が二十代になると、独りの暮らしに慣れ始めてきた。ゆっくりと進む時間の中で生活を送り、夜になれば眠る。何かが起こったり、何かを失う出来事も起きず、ただ退屈な日々が続いていく。


 そんな日々の中で、小百合は一枚の手紙を受け取る。手紙を運んできた者の目は虚ろで、小百合が手紙を受け取るまで、小百合の姿を記憶に焼き付けるように眺めていた。


 手紙の送り主は、小百合の姉であった。手紙には、近々自分の娘がそこへ行くという文だけが書かれており、小百合についての事は何も書かれていない。それでも、小百合は歓喜した。独りの生活から、ようやく解放されると。


 そうして出会ったのが、冥であった。




「……冥」




 冥との出会い。冥との生活。冥との会話。全て、小百合にとっての特別であった。




「……嫌だ……やっぱり、私は!」




 小百合は椅子から立ち上がった。玄関へと走り、靴も履かずに外へ飛び出した。




「冥!!!」




 去り行く冥の背中に、小百合は冥の名を叫んだ。




「私、待ってるから!!! いつか、私の傍に戻ってくるのを! ずっと待ってるから!!!」




 涙を流しながら、小百合は冥との再会を望んだ。その言葉に、冥は何の反応も見せず、レディと共に坂道を下り始める。坂道で冥の姿が見えなくなってしまっても、冥が自分のもとへ戻ってくる事を信じ、その場から動こうとはしなかった。

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