第11話 雨の日
連日の猛暑が嘘だったかのように、外は雨と風が吹き荒れている。テレビやラジオが無い二人の家には情報が行き渡っていなかったが、今日は外出禁止が言い渡される程の大雨であった。
降り注ぐ雨の豪快さを耳にしながら、二人は温かいお茶を飲んでいた。縁側が雨戸で封鎖されている以上、冥はタバコを吸えず、指に挟めたままのタバコを頻りにテーブルに叩いていた。
「……吸っちゃ―――」
「駄目」
「……ですよね~」
冥は特例を期待してみたが、小百合がキッパリと断り、特例は儚い夢のように消えた。
「……冥ちゃんの昔話が聞きたい」
「私の? あんまり面白くありませんよ? 誰が標的で、どうやって殺したかばかりで」
「それはそれで興味があるけど、もっと前の事を聞きたい」
「というと?」
「そういう事をする前の冥ちゃんの話を聞きたいの」
「そうですね~……」
冥はタバコをコメカミに当てながら、忘れかけていた幼少期の記憶を探し出す。
「……普通、だったと思います」
「思います?」
「記憶が無いんですよ。私がまだ、良い子の時の記憶がね。物心とちょっとした反抗心を覚え始めた頃には、私は学校にも行かず、仕事をするようになっていました」
「学校って、どんな所?」
「そりゃ、退屈な授業を退屈な奴らと一緒に退屈する所ですよ。あー、なんか変な感じですね。要するに、社会で生きていく為の知識と交流を学ぶ場所ですね」
「へぇー。学校って、そういう場所なんだ」
何気なく始めた会話は、二人が思っていた以上に長く続いたが、小百合の淡白な返事で終わりを迎えた。二人共、何か面白い話をしてみようと考えてはいるが、今まで生きてきた中で、笑い話になるような思い出が一切無い。
だから、冥は過去ではなく、少し前の話をし始めた。
「憶えてます? 私と初めて会った時の事を」
「憶えてるよ。むしろ、忘れられないよ」
「素敵な女性だったから?」
「背が凄く高くて、怖そうな人だったから」
「そこは「そうだよ」って言う流れでしたよね?」
「冥ちゃんは私と初めて会った時、どう思った?」
冥は本心を口にしようとしたが、咄嗟に飲み込んだ。ほんの少しだけ芽生えた悪戯心に言葉を練らせ、小百合が本当に傷付かない程度の印象を語った。
「可愛らしい人だなと思いましたね。運転も下手で、私の顔に見惚れてましたし」
「み、見惚れてなんかないよ! 見惚れてたのは、冥ちゃんの方でしょ!?」
「まぁ、否定は出来ませんね。あっちじゃ、男も女も気の強い奴らばっかりでしたから、珍しい物が見れた気がしましたよ」
「なんか余裕があって、ムカつく……!」
小百合は頬を膨らませながら、冥を睨んだ。冥は小百合の可愛らしい膨れっ面に自然と口元が緩んでしまい、咄嗟に手で口元を隠した。やがて目を合わせるのも耐えられなくなり、冥は机に突っ伏しながら、十も年上である小百合の子供のような可愛らしさに悶え苦しむ。
「あ、ごめん……本当に怒ってるわけじゃなくてね? ちょっとムッとなっちゃっただけだから!」
机に突っ伏して震える冥が怯えていると勘違いした小百合は席を立ち、震える冥の背中を優しく
さすった。冥が小百合の可愛らしさに悶え苦しんでいるとはつゆ知らずに。
しばらく悶え苦しんだ後、ようやく冷静さを取り戻した冥は、椅子の背もたれに身を預け、隣に立っている小百合に視線を向けた。小百合は罪悪感を覚えているのか、どこか不安気な表情を浮かべている。自分を純粋に気遣う小百合を愛おしく思った冥は、小百合の腰に手を回し、自分の膝の上に座らせた。
「え、ちょっと、どうしたの急に……?」
「……好きです」
突然の好意の告白に、心の準備が出来ていなかった小百合はあからさまな動揺を見せた。耳と頬は真っ赤に染まり、開いた口が閉じる気配が無い。
硬直する小百合に構う事なく、冥は小百合を抱き寄せながら、キスをした。深く、力強い冥のキスは、か弱い小百合ではどうする事も出来ない。朦朧とする頭は、甘いミルクチョコレートを口にしたようであった。
ようやく二人の唇が離れると、二人の呼吸は少し乱れていた。お互いの視界には、相手の瞳だけが映っており、その瞳に吸い込まれるように、今度は小百合から唇を重ねた。小百合はより鮮明に感じられるように目を閉じ、冥はこの瞬間を焼き付けるかのように目を開いていた。
二人は時間を忘れ、唇を重ねては、一呼吸置いた後に、再び唇を重ねていく。満ち満ちていく劣情は際限なく膨れ上がり、その劣情を鎮める為に、二人は唇を重ね続けた。地面を削る豪雨のような激しさを伴いながら。
夜になると、あれだけ激しく降り注いでいた雨が止み、久方ぶりの静寂が訪れる。二人にも静寂が訪れ、冥は小百合を抱き寄せ、小百合は冥に身を預けた状態で眠りについていた。
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