第10話 満月の日を待ちわびて

 冥の告白を受けたその日の夜。小百合は眠る事が出来なかった。唇に鮮明に残っている感触。たった数秒の出来事が、それまでの記憶に勝った。目を閉じても、開いていても、拭う事が出来ない。    


 自分がこうなってしまった責任は、冥にあると小百合は決めつけた。そして、その責任を果たしてもらう為に、小百合は冥の自室へと向かう。


 冥の自室に忍び込むが、そこに冥の姿は無く、物も生活感も無い空き部屋であった。小百合は自分の部屋の方も確かめてみたが、やはり冥はいない。縁側に行っても、床に置き去りにされている一本のタバコしかなかった。


 縁側に夜風が迷いこみ、ふと小百合が外の方へ視線を向けると、外に停めていた軽トラの上にあぐらをかいている冥がいた。




「……寝ないの?」




「寝れませんよ。小百合さんが起きている間は、眠る事が出来ません」




 小百合に背中を向けながら、冥は吸っていたタバコの煙を夜空に飛ばした。




「今日は星が綺麗ですね。今朝の猛暑が嘘かのように涼しいです」




 小百合は縁側に置いていた自身のサンダルを履かず、素足で外に出ると、軽トラの荷台に乗った。すぐ傍にいるというのに、お互い顔を向ける事はなかった。


 だから、二人は夜空を見上げる。冥は無数に煌めく星々を眺め、小百合は星の後ろにある闇を見ていた。




「都会では、空でさえ人工的に作られた紛い物なんですよ。大きなイベントがある時、派手に星を光らせ、文字や姿を描くんです。意図としては、企業の力を民衆に見せびらかす為だと、勝手に思ってます。でも、こうして本物の星空を眺めて、どれだけ金を積んで見栄を張っても、人が自然に敵うはずがないと思い知らされました」




「……それでも、人を見下す事が出来るよ。一生懸命生きてきたつもりだったのに、たった数秒で、今までの人生の意味が無くなっちゃった……」




「人生なんて、上書きの積み重ねです。良い事や悪い事があって、その時は忘れられないと思っていても、時が経てば風化していく。そうじゃなきゃ、新鮮味が無くて飽きちゃいますから」




「平凡が嫌だった……」




「私は平凡になりたかった」




「誰か傍にいてほしかった…!」




「私は小百合さんに求められたい」




 いつの間にか、二人は本心からの言葉を呟いていた。線と線は繋がる事無く、すれ違っていく。行く末に同じ答えがあるにも関わらず、その過程の違いによって、一本の線になる事を拒んでいる。


 


「……私さ。ずっと独りで生きてきたんだ。親の顔がどんななのか分からない。姉さんは私を気遣ってくれてるけど、傍には来てくれない。だから、独りで生きる方法を自分で考えて、独りでも大丈夫なように心を押し殺してきた……でも、冥ちゃんの所為で台無し……! 冥ちゃんと過ごした数日が、私の人生がどれだけ色の無い人生だったかを分からされる……!」




「それの、何がいけないんですか?」




「惨めになるからだよ……! 独りで生きてきた中でも、幸せはあった。その幸せに、心が豊かになった。でも、全部……価値が無くなっちゃった……」




「小百合さんは、私が嫌いですか?」




「嫌いじゃない……嫉妬してしまうくらいに、大好きだよ……でも、それを素直に受け取れないんだ……長い間、独りで生きすぎた所為で……!」




 小百合は泣いた。欲しかった物が目の前にあるというのに、根付いた孤独が体を縛って離さない。体や精神の問題とは違い、浪費した時間の中で積み重なっていた負債によるもの。身に染み付いた習慣を全く別の習慣に塗り替える程、困難な問題であった。


 冥は小百合に同情出来なくとも、その難しさは理解していた。自由と刺激はあるが、約束された明日など無い都会。退屈ではあるが、安寧を約束された田舎。この田舎での暮らしに順応してきている冥であっても、何かを破壊したい衝動が常に胸の内に潜んでいる。


 


「小百合さん」




 それでも、冥の気持ちは変わらない。冥は荷台に下り、小百合の体を抱きしめた。離れようと暴れる小百合を離さないように、自分の内に埋めていく。




「私は離れません」




「離してよ……!」




「私は待ってます」




「待てっこない……!」




「私は小百合さんが好きです」




「……」




「いつ死んでもいいと思って生きてきた。壊される度に、壊してきた。どんな奴が相手でも、必ず私が生き残った……でも、小百合さんと初めて出会った時から、私は弱くなった。死にたくない。壊されたくない。小百合さんに死んでほしくない……私は、臆病になった」




 冥は抱きしめていた力を緩め、小百合に跪いて、細く柔らかな小百合の腹に顔を埋める。それはまるで、幼い子供が母親に甘えているようであった。冥も小百合同様、誰かからの愛に飢えた独りの人間であった。


 小百合はおぼつかない動きで、冥の頭に触れると、ぎこちない動きで頭を撫でた。やがて頭を撫でる動きが滑らかになると、自然と体勢を変えて、小百合は冥を膝に寝かしつけていた。


 気分が落ち着く小百合の匂いと、頭を撫でられる度に湧く安心感。冥はただの少女に戻り、その安寧に身を任せて眠りに落ちる。


 冥が眠ってしまっても尚、小百合は冥の頭を撫で続けていた。そうする事で満たされる充実感の虜になっていたからだ。




「……冥ちゃん。私は、冥ちゃんみたいになれない。自分の気持ちを真っ直ぐに、包み隠さず打ち明ける事なんか、私には出来ない。だから、私を変えて。今も、この胸に溢れている感情を表に出せるように。私の人生を無駄にした責任を、果たしてよ……」




 欠けた月が徐々に満ちていくように、二人の関係は進んでいく。やがて、想いが重なり合う時を待ちわびて。

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