第5話 母性

 広大な砂漠。照り付ける陽の光は、小百合の頭上でジッと見下ろしている。喉を潤す水は無く、焼けるような渇きにも慣れてしまった。何も無い砂漠の中を小百合は歩き続ける。目的地も知らずに。


 これは小百合の夢。独りになってから、欠かさずに見てしまう夢だ。その夢の中で、何かに出会ったり、何かが起きたりする事は無い。ただただ、砂漠を歩くだけ。


 しかし、今回の夢には変化が起きていた。その変化は、小百合が歩く先に現れた丘から始まった。平らな道に突如として現れた丘に、小百合の足が止まる。


 そうして、小百合は見た。丘の向こう側から現れた一人の人影を。目をこらして、人影の正体を探ると、その人物は冥であった。砂漠に立っていても尚、冥は暑苦しい黒い服に身を包んでおり、異彩を放っている。   


 小百合が冥に声を掛けようとした瞬間、冥は丘から転げ落ちた。冥は小百合に背を向けたまま倒れており、ピクリとも動かない。小百合は慌てて冥の傍に駆け寄り、重みの無い冥の体を抱き上げると、足元の地面が沈み出し、二人は地面と共に穴へと沈んでいった。




「ッ!?」 




 夢から覚めた小百合は、夢で見た一部始終を忘れようと、手の平で顔を擦った。脳裏にこびりついた夢の光景を拭いさると、眠気までも消えてしまった。


 枕元に置いている時計を見ると、時刻は深夜三時。まだ陽は昇らない。




「変な時間に起きちゃった……どうして、冥ちゃんが……」




「私がどうかしました?」




 小百合の背筋に悪寒が走った。影になっている部屋の隅を見ると、壁に背を預けて座っている冥が、小百合をジッと見つめていた。




「ヒギャッ!?」




 小百合の心臓に、釘が刺さったかのような痛みが走る。寝起きな事もあり、苛立ちを隠しきれなかった小百合は、冥に駆け寄ると、頭を強く引っ叩いた。




「馬鹿! 驚かさないでよ!」




「うなされてるから見守っていたのに。叩くなんて酷いですね」




「あ、ごめん……じゃなくて! 冥ちゃんの部屋は用意したでしょ? なんで私の部屋にいるのよ!? ちゃんと掃除はしてるはずよ!?」




「私、寝れないんですよ」




「そうね、冥ちゃんの所為で私も寝れなくなったわ! 良かったね、仲間が出来て!」




「私、音に敏感なんです。特に夜は、一層研ぎ澄まされてしまう。足音や息遣い、外から聞こえる電話口の声。みんな、私を殺そうとしてくるんです」




 冥は惜しむ事なく、自分の内を明かした。異常性のある信じられない話を聞いた小百合は、冥の真っ直ぐな表情から嘘ではない事を悟ると、冥の目の前にしゃがみ込んだ。




「都会って、どういう場所か知ってます? 夢と希望に溢れた未来都市……なんて銘打っていますが、実際は犯罪まみれの薄汚れた世界。平気で路上に死体が転がっていたり、路地裏には危ない連中がそれぞれの縄張りに蔓延っている。そんな奴らを【タワー】に属する上流階級の人間が見下ろしている。味方なんて、何処にもいない」




「……冥ちゃんは、どうやって生きてきたの?」




「郷に入っては郷に従え。泥を啜りながら、感情を捨てて生き永らえてきました。ここはそんな危ない場所じゃないと分かっていても、私は長くあそこに居過ぎた。報復を企む奴らが、夜の闇に潜んでいる気がしてならない……」




 瞬間、冥の脳裏にトラウマがよぎる。銃を持った囲いの足元に転がっている少女の亡骸。冥が境界線を越える事になった出来事であり、都会から抜け出すキッカケになった過去。


 悪意が無かったとはいえ、冥の辛い過去を掘り起こしてしまった事に、小百合は罪悪感を覚えてしまう。


 自分に何が出来るか。使命感のような想いが小百合に芽生え、自身が冥よりも十も年上な事を思い出す。小百合は自身の胸に冥を抱き寄せ、頭を優しく撫でながら背中をさすった。


 


「過去は過去。ここは人気の無い田舎。だから、安心して眠ってもいいのよ」




 花畑を思い起こさせるような香りに包まれ、冥は小百合にしがみつくように抱きしめると、そのまま押し倒してしまった。


 押し倒された小百合は、顔色一つ変えずに、自身の胸で安眠する冥の頭を撫で続けた。




「……大人に見えても、この子も子供なのね」




 今日一日で、小百合が冥に対して何度も感じた嫉妬が、遠い過去のように思えた。今の小百合の心には、同情と母性に満ちていた。このまま冥を溶かして自分の一部にしたい。恐れや不安を感じさせないように、自分の内で眠り続けてほしいと考えるようになっていた。


 


「あなたは、私の子供なのかもね……」




 冥を優しく抱きしめながら、小百合は目を閉じると、そのまま眠りについた。夢を見る事は無く、ただひたすらに落ち着く感覚に包み込まれながら、小百合は夜を過ごした。


 再び小百合が目を覚ますと、外から差し込む陽の光が部屋の中を照らしていた。抱きしめていた冥が消えている事に気付くと、妙な焦りが小百合の体を突き動かした。


 家中を探し回り、縁側に辿り着くと、たった今タバコを吸おうとしている冥に遭遇した。




「あ」




「あぁ……」




 冥は吸おうとしていたタバコを床に置くと、小百合の方を向いて正座し、深々と頭を下げた。




「おはようございます」




「……アハハ。全く、目を離す隙が無いんだから」




 小百合は冥の顔を上げさせると、冥の首筋に鼻を埋めながら抱きしめた。至近距離から感じる冥の匂いに安心感を覚えると、抱きしめる力をほんの少しだけ強めた。

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