第3話 理想

 お昼ご飯を食べ終えた二人は、暇を持て余していた。なにしろ、ここは田舎よりも田舎なド田舎。娯楽施設はもちろん、マイナーなショッピングセンターでさえ、小百合の家から車で三十分掛かる位置に座している。


 娯楽の貧困状態の中、小百合は家にある唯一の娯楽品【花札】で冥と交流を図ろうとする。


     


「冥ちゃん、花札やろ!」




「花札? 私、ルール知らないんですけど……」




「大丈夫。そう言うと思って、簡単なルールを考えついてあるから。花札は同じ絵柄、もしくは絵柄に関連した札を取れるの。例えば……この紅葉と鹿には、どんな関連性があるでしょうか?」




「鹿の後ろにも紅葉がある?」




「正解! 関連性が意外と分かり易いでしょ? ホントなら、それぞれに役や点数があるんだけど、今回は勝負関係なしに、札を取るだけにしましょう」




 そうして、コタツの上で始まる花札を使った交流戦の幕が切られた。




「札を取ったら、相手に一つ質問出来る。パスは二回まで」




「分かりました。それじゃ、これで」




 冥は手札から切った薔薇の札を同じ絵柄の薔薇に重ねた。最初の質問権は、冥の物となった。冥が質問の内容を考えている間、小百合はニコニコと微笑みながら冥を眺めていた。




「……それじゃあ、好きな食べ物は?」




「あんなに長く考えておいて素朴~!」




「駄目でした?」




「ううん。全然良いよ! 私の好きな食べ物は、えっとね……野菜の天ぷらかな。玉ねぎとか蓮根とか、噛み応えがある物が特に好き!」




「天ぷらって食べた事ないです」




「あら、そう? なら、今度作ってあげるね。さて、次は私の番。じゃあ、これ!」




 小百合は手札から柳の短冊札を柳の素札に重ねた。柳のカスは他の札と違い、関連性が分かりづらい。当然、冥は疑問を小百合に投げつけた。




「それって、同じなんですか?」




「分かりづらいよね。私も最初は分からなかったし、これで何の役が出来るかは分かんない。でも、これとこれは取れるのよ。だから、冥ちゃんに質問するわね」




 小百合は冥と同じく素朴な質問から始めようと考えたが、途端になって気が変わり、少し攻めた質問を口にした。




「ずばり、今までの恋愛経験は?」




「恋愛、ですか?」




「冥ちゃんは十代でしょ? 十代なら、恋の二つや三つくらいあるじゃない。それに、冥ちゃんは顔もスタイルも良いし、男の子からも、女の子からもモテモテだったんじゃない?」




「あー……ある意味、モテてましたね」




「やっぱり! 告白は? ラブレターの数は?」




「まぁ、似たようなのは、毎日」




「カハァー! そりゃそうよねー! 冥ちゃんクラスになると、毎日が当たり前になっちゃうわよねー!」




 小百合は想像する。冥が学校中の何処にいても、クラスの男子や女子に囲まれている。そんな光景を離れた場所で見ている小百合。キラキラとした空間を羨みながら、自分には到底縁の無い空間だと諦め、独り階段を下っていく。 


 想像の中でも独りな自分の憐れさに、小百合は鼻で笑った。自分が傷付くような事を質問したのを後悔し始める。


 そんな小百合の内心に気付かないまま、冥は居間に迷い込んだハエに目を向けながら呟いた。




「全員嫌いでした……」




「……え?」




「みんな、普段の自分を隠して私の前に現れては、丁寧に考え込んだ台詞を吐いて。気持ち悪くて、目障りで……だから、全部壊しました。顔も、物も、想いも。そしたら、私は独りになれました」




「……少しだけ、姉さんから聞いてた。学校や色んな場所で問題を起こして、警察沙汰が何度も起きたって」




「そうしなきゃ、また集まってきますから。ハエは殺すものでしょ?」




 居間を飛び交うハエが二人の間を通過する間際、冥は素早い裏拳でハエを殴り殺した。手の甲についたハエの血に冥が嫌悪感を抱いていると、小百合がティッシュで拭ってあげた。

 


「それでも、私は誰かが欲しかったよ……」




 小百合が呟いた言葉は、明らかに嫉妬であった。汚れを完全に拭えた後も、擦り過ぎてティッシュが破けてしまっても、小百合は冥の手の甲を爪で擦り続けた。徐々に力は増していき、冥の手の甲の皮膚は赤くなり、皮膚が破けて血が流れだす。



 そんな小百合を、冥は眺めていた。本心を露わにして、冥の体を傷付ける小百合が愛おしかったからだ。これまで誰一人として現れなかった【理想】が、目の前にいた。見惚れずにはいられなかった。


 我に返った小百合は、冥の手の甲が血だらけになっている事に気が付くと、慌ててティッシュで拭い始める。拭っても拭っても、また流れだす血に青ざめ、冥の手を引いて台所へと向かう。蛇口を捻って水を流し、冥の手に水を浴びさせた。




「……ごめん。私、どうしてこんな……」




「いいよ。これくらい、大した傷じゃないし」




「せっかく綺麗な手だったのに、私が……私が、傷を……!」




「小百合さん」




 冥は罪悪感でパニックを起こしている小百合の腰に手を回すと、自分の方へ抱き寄せた。吐息が顔に掛かる距離のまま、二人は見つめ合う。


 緊張と高揚。小百合と冥の胸の奥で、それぞれが別の感情を抱いていた。特別な何かを理想とする小百合。偽りの無い相手を理想とする冥。お互いの理想が、目と鼻の先にいる。


 


「小百合さん」




「冥、ちゃん……」




 そこへ、一匹のハエが迷い込んできた。耳障りな羽の音に、冥の視線は小百合からハエに移り変わり、殺気を帯びた眼光でハエを握り潰す。


 二人は人一人分の距離を開けると、冥の手の平に乗っているハエの残骸を呆然と眺めた。


 


「……ハハ。また、汚れてしまいました」




「だね。洗ったげる。今度は、優しくね」




「私は強くやってくれても構いませんが?」




「もしかして虐められるのが好きだったりする? だったら意外ね!」




「どうなんでしょうか? 痛めつけた経験はあっても、痛めつけられた経験はありませんから」




 さっきまでの緊迫とした空気とは裏腹に、二人は冗談を言い合いながら笑い合った。

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