第2話 違う二人

 冥が自室で荷物の整理をしている間、小百合はお昼ご飯の準備を始めていた。ノースリーブシャツと短パンに着替えた小百合は、長い髪をヘアゴムで後ろに束ねてから台所に立った。


 水を入れた鍋をコンロの上に置き、沸騰してしまう前に、次の一品の準備に取り掛かった。床下収納に保管していたぬか床からキュウリとナスを一本ずつ取り出す。一口サイズに切った物を二つの皿に平等に乗せていき、自分の分の皿からキュウリを一つ、味見と評してつまみ食いした。




「……うん、美味し!」   




 ぬか漬けを乗せた皿をテーブルに置き、沸騰した鍋のもとに戻ると、素麺の束を四つ入れて、あまり煮込まずに素麺をザルに移した。蛇口から流れる水で素麺を冷やした後、よく水を切って、大きめの器に素麺を盛りつけていく。


 


「時間が無かったし、こんなものかな? 私、お疲れ様!」




 テーブルの椅子に座りながら、氷入りの麦茶を飲んでリラックスする小百合。そんな小百合の心に、一抹の不安が芽生えた。


 


「いつも通りのお昼出しちゃったけど、あの子食べてくれるかな~?」




 冥は十七で、都会で生まれ育った現代っ子。食事は外食が基本で、ジャンクフードなる味の濃い物を好む若者だ。そんな若者が、はたして素麺とぬか漬けに口をつけるかは、非常に怪しい所であった。




「……ま、大丈夫でしょ。食べなきゃ、私が食べればいいんだから。いつもみたいに一人で」




 しかし、いくら待っても冥は現れない。麦茶は二杯目を飲み終えていた。何かあったのかと心配に思い、小百合は冥に使わせている部屋へと赴いた。


 襖を開けて部屋の中の様子を見てみるが、そこに冥の姿は無かった。




「えぇ……どこ行ったのよ」




 部屋を後にし、家の中を探し回るが、家の何処にも冥の姿は無かった。サンダルを履き、外に出てみると、家の前に停めていた軽トラの荷台で、冥が横になっていたのを発見する。寝ている訳でもなく、照り付ける陽の光を真正面から受け止めていた。


 夏の季節には暑苦しい黒色の服とワーカーブーツ。口に咥えたタバコの先から上る煙。恐ろしさと儚さを兼ね備えた整った顔立ちと、モデルのような整ったスタイルと高身長。


 小百合と同じ世界に生きている人間とは思えない程に、冥は浮世離れした存在であった。そんな冥に、小百合は憧れと劣等感を抱いてしまう。小百合には何一つとして、平凡以上の要素が無かったからだ。


 冥に近寄れず、小百合がその場に佇んでいると、冥は上体だけを起こして、小百合に目を向けた。




「どうかしましたか?」




「えっと、お昼作ったんだけど……」   




「……もしかして、私の分も作ってくれたんですか?」




「え? だって、一緒に住むわけだし」




「小百合さんは食べたんですか?」




「ま、まだだけど」




「それなのに、私を捜してくれたんですか?」




 冥は明らかに動揺していた。まるで、信じられない言葉を聞き、信じられないものを見たかのように。体の向きは小百合の方へ向いていた。


 


「そんなに驚く事? 一緒にお昼を食べる事や、中々現れないから捜す事が?」




「それは……いえ。そうですね。それじゃあ、家の中に戻ります」




 冥は何かを言いかけたが、それを言葉にする事を過去の記憶が拒んだ。まだ吸い始めたばかりのタバコの火を消し、灰皿に捨てると、高身長からは想像もつかない身軽な動きで荷台から飛び降りた。


 二人は家の中に戻り、ようやくお昼ご飯を食べ始めた。小百合は冥が口をつけるか不安であったが、そんな不安が掻き消されるような勢いで、冥は素麺とぬか漬けに喰らいつく。




「これ、美味しいです!」




「そ、そう? ただの素麺とぬか漬けだけど」




「素麺? ぬか漬け?」




「え? 素麺もぬか漬けも都会じゃ食べないの!?」




「い、いえ。多分、食べます。私が食べた事が無いだけで」




「そう。なら、これをツユに溶かしてみて?」




 そう言って小百合は、冥の器にワサビを少量入れた。冥は言われるがままにワサビをツユに溶かし、そのツユにつけた素麺を啜ると、すぐにむせた。




「ゲホッ! ゴホッ! な、なんですかコレ!?」




「ワサビ。最初はそうやってむせるかもだけど、慣れると鼻にツーンとくる感じが癖になるのよ」




「ゴホッ! わ、私は普通でいいです……」




「フフ、勝った」 




「え?」




「なんでもないよ。それじゃあ、私のと交換しましょう。まだこっちにはワサビ入れてないから」




 ワサビを好むか嫌いかで、大人か子供かを判別する子供っぽい方法で、見事冥に勝利した小百合。身体では不利であったが、精神的には有利に立てた小百合は、堂々とした面持ちで冥とツユの器を交換した。ワサビが入っていないツユになった事で、冥の食べる勢いが戻った。




「そういえば、冥ちゃん。今更だけどさ」




「ん?」




「冥ちゃんは十七だよね?」




「はい」




「タバコ、吸ってたよね?」




「はい」




「はい、じゃないから! 言ったでしょ? 田舎にも法律や規則があって、法律にはタバコやお酒は二十歳以上からなの! だから没収!」




「ッ!?……分かりました」




 冥は大人しく承諾し、ポケットに入れていたタバコをテーブルの上に置いた。言い訳や拒否される事を予想していた小百合にとって、その冥の聞き分けの良さは、戸惑いを通り越して恐怖を感じさせた。




「……小百合さんは、怒ってもくれるんだ」




「……え? ごめん、聞いてなかった! こうもあっさりだと、なんだか戸惑っちゃって!」




「そっか……ねぇ、小百合さん」




「うん?」




「私、小百合さんの言う事なら、何でも聞くから」




 小百合の目を真っ直ぐと見つめながら、冥は呟いた。優し気で、妖しい声色。田舎で独り暮らしていた小百合とは、別の雰囲気が冥に漂っていた。


 風吹かぬ夏の日。外から聞こえるセミの鳴き声。何の変化も無い日常の中で、今日もまた一匹、セミが死んだ。

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