……えっ?

裏道昇

……えっ?

 古い古い寺の菌臭い蔵の一番奥に真っ黒な箱があった。

 拳二つ分ほどの箱には幾重にも鎖が巻かれ、大きな白い錠が掛かっていた。


 不意に、声が響いた。


「畜生……この鍵さえ開けば、憎たらしい人間どもを食い散らかしてやるのに」

 箱がカタカタと小さく揺れる。声は確かに箱から出ていた。


「俺様が五百年も封印されるとは……何度悔やんでも悔やみきれん」

 この箱には悪名高い化猫が封印されているという言い伝えがあった。


「だが……こんなに月日が経ってしまうと、鍵がどこにあるのかも定かではない。それでもいつか奇跡的に鍵が現れるのを待つしか――」


 軋んだ音を鳴らしながら、蔵の扉が開かれた。光が箱を照らす。

 逆光の中、蔵に入ってきたのは寺の僧と近所の少年だった。二人は真っ直ぐに蔵の奥まで進むと、箱の前で止まった。


「伝承にある通りだ。間違いないだろう」

 僧が緊張した面持ちで告げた。


 箱が声に出さず笑う。

 はっ、大した法力もないくせに坊主なんてやりやがって……早く出て行けよ。


「よく分からないけど、裏の林に落ちてたんだよ」

「ああ、感謝する」


 言いながら、僧は懐に手を伸ばした。

 あ、あれは! この忌々しい錠の鍵じゃないか!


 僧が取り出したのは、確かに錠と同じデザインの鍵だった。

 その鍵と箱を僧は暫く眺めていたが、やがて意を決したようだった。


「そうだな……開けることにするか」

 チャンスだ!


「何が入ってるんだ?」

「ああ、化猫の大妖怪が封印されているらしい」

「……大丈夫なのかよ」

「問題ないだろう」

 少年の不安そうな声に、僧は神妙に頷いた。


 自分にとって都合の良いやりとりを聞きながら、箱はほくそ笑んだ。

 ふふふ、思い上がったな坊主め! 鍵を開けた瞬間に二人とも食ってやる。


「この妖怪の弱点である言葉も伝わっているからな。

 化猫にその言葉を聞かせるだけで退治できるらしい」

 ……えっ?


「化猫がその言葉を一度聞けば全身に激痛が走り回り、二度聞けば呼吸と心臓が止まり、三度目で徐々に体が海老反ってから尾が千切れて絶命するらしい」

「えげつねえな……」


 少年が同情するように顔をしかめる。

 気が付かない程度に箱が震えていた。


「封印された時は二度まで聞いて、命乞いをしたそうだ。

 襲いかかってきても、さすがに言葉を発する時間はあるだろう」


 ま、まあ、見逃してやろうか。鍵を開けてくれるわけだしな。

 仕方ない。襲い掛かるのはやめにしよう。


「……退治する」

 殺す気か!


 いや、待て。裏をかけば逃げられそうだ。

 策も、ある……ふふふ。


「さあ、開けるから下がってなさい」

 僧は持っていた鍵を箱に近づける。少年が三歩ほど後ろに引いた。


 五百年ぶりのチャンスだ……必ずモノにしてやろうじゃないか!


 僧が鍵を錠に差し込んで――回す。ガチャリと普通の音がして、五百年ぶりに錠は外れた。その時、化猫の封印は解かれ――何も起こらなかった。


 僧は不思議そうにしながらも慎重に鎖も解いていく。


「……何も起きないぞ?」

「静かに」


 僧はついに箱へ手を掛け、深呼吸をしてから開けた。


「?」


 それでも異変は現れず、僧は箱の中を覗きこんだ。

 中には小さな猫の人形が入っていた。


「これが、化猫の正体か……」


 掛かった! ははは、馬鹿めっ! その人形はただの幻。

 俺様が化けているのはその人形ではない……この箱の方だ、未熟者。


 その人形を俺様だと思って退治するがいい。

 ほとぼりが冷めたら逃げ出してやる。


「そんな汚れた人形が大妖怪なのか?」

「力が弱まって襲いかかることも出来ないのかも知れない。

 あるいは、言い伝えが出鱈目だったのか……」


 僧は腑に落ちないらしく首を傾げている。

 さあ、その身代わりを持って蔵から出て行くがいい!


「まあ、念のために唱えておくか……」

 ……えっ?

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……えっ? 裏道昇 @BackStreetRise

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