四神コンプリート




 翌日、会社に出勤した綿原は、昨日感じた疑問を惣領に確認してみる事にした。この会社の事を知らない自分が判断するよりも、確認した方が良いと思ったのだ。

 疑問のまま燻ぶっているのは時間が無駄に思えた。

「あの」

「おはよう綿原さん」

「おはようございます、惣領さん。あの聞きたい事があるのですが」

「なんだい?」

「夜兎に会うにはどうしたらいいですか?」


 質問した途端に事務所内の時間が止まったと、綿原は思った。すでに出勤していた田淵も驚いた顔で綿原を見ている。

「…それはどうして」

 命からがらとでもいうべき呼吸で、惣領が聞いてくる。


「会いたいからです。でも、伝える方法がなくて」

「残念ながら、我々にも方法は分からないな」

 まだ枯れた声で惣領が告げると、綿原は小さく頷いた。

「そうですか。すみません」

 頭を下げて綿原が自分の席に座ると、見守っていた惣領と田淵も自分のデスクに座った。キーボードを叩く音だけが事務所内に響く。


 結局昨日と同じ時間が流れていくことに、綿原は残念な気持ちしか湧かない。

「煙草を吸ってきます」

 二時間ぐらいしてから綿原は事務所を出て、一階の喫煙所へ行く。そこはビルの非常階段の踊り場に設定されていて、隣の林に隠れて外からは見えないようだ。

 階段を見上げると、一番上の踊り場にも喫煙所があるようで、あんなに高い場所なら景色も良いだろうなと綿原が眺めていたら。


「ふう!?」

 と、上から声がした。

 一番上の鉄柵から顔を出したのは。


「夜兎?」

「綿原さん」

 柵にお腹を付けてこちらを見降ろしていた夜兎が、そのまま落ちてきた。


「は!?」

 綿原が慌てて抱きとめようと手を伸ばす。

 しかし夜兎は綿原の頭の上ぐらいでクルリと回り地面に降り立った。その身体能力に綿原が目を瞬かせていると、綿原の前に立った夜兎が嬉しそうに近寄って来る。

「本当に、うちに就職してくれたんですね」

 満面の笑みで夜兎が笑っている。それだけで綿原は泣きそうになる。


「ああ、夜兎の傍に居たかったんだ」

「ふぁ」

 変な声で、夜兎が震える。

 ああ、と綿原がまた思い出す。と言うか夜兎ってどれだけ俺の声が好きなんだよ。


「そうだ夜兎」

「はい、何ですか?」

「リインと電話番号教えてくれないか?連絡したい時に出来ないのが困るから」

「…電話とかされたら僕、命が無いかも」

 この反応では教えて貰えないのかと、綿原ががっかりしていると、夜兎がスマホを出したので、ほっとして綿原もスマホを出した。


 お互いにリインと電話番号を交換すると、夜兎が顔を真っ赤にしながら綿原に言った。

「あの、今晩、ご飯食べに行きませんか?」

「いいよ、夜兎って何が好きなんだ?」

「一緒に食べられるなら、なんでも」

 そんな可愛い事を言って赤い顔で夜兎が笑う。綿原は歩いてくる時に見えた光景を必死に思い出して、自分が分かる店を思いつく。


「じゃあ、焼き鳥でも食べに行くか」

「焼き鳥屋。何処が良いんですか?」

「俺が知っているのなんて、チェーン店だぞ?」


 そうやって話していると、綿原の後ろで喫煙所に来た人物が小さく笑った。

 その男の姿を見て、夜兎がすっとした顔になる。

「迎えが早くないか?」

「まだ会議中ですよ?一服って言って出て行ったのに、全然帰ってこないから、僕が行けって言われて来ました」


 頭を下げられたので、綿原も頭を下げる。夜兎は何処か不服そうだ。

 青年は優しそうな顔で綿原に笑いかけてきた。

「噂の綿原さんですね。こんにちは」

 一体どんな噂が?

 綿原の顔が引きつるのを気にせずに、青年は自分の胸に片手を当てる。

「僕は青竜と言います。お見知りおきを」

 綿原は自分の知識の中で、三神揃ったなと思っていた。


「今日の帰りは何時ですか?」

 綿原の袖を引いて夜兎が聞いてくる。確かに待ち合わせの時間は決めていない。

「ええと、曲が鳴ってすぐ帰るから、定時なのかな」

「定時かあ。僕それで帰れるかなあ」

 夜兎が不安そうに言ったので、綿原は小さく笑う。

「一階のカフェテリアで待っていようか?」

「え、本当に?お待たせしちゃうかも」

「いいよ。待ってるよ」

 その綿原の声に、夜兎がホワンと顔を赤らめると、青竜がコホンと咳をする。


「では会議にいそしんでください。早く終わらせましょう」

「うん、頑張る」

 スマホを口元に持っていった夜兎は酷く嬉しそうに笑った。

 その笑顔が見たかった綿原の虚無が霧散する。

「じゃあ後で、綿原さん」

「ああ」

 にっこにこの夜兎が鉄製の非常階段をものすごい勢いで駆け上がっていくのを見送った綿原は、当初の目的を思い出して煙草を咥える。


「…これはまた」

 後ろで呟かれて、まだ青竜がいた事に気付いた綿原が振り向くと、青竜は苦笑していた。

「綿原さんは、前はどういう仕事をしていたんですか?」

「え、ああ、飲食業です。食事処で働いていました」

 ごく普通の仕事をしていた綿原を、青竜はじっと見ている。

「こういう怪異に満ちた世界に身を置いても抵抗はないのですか?」

 やけに突っ込んだ事を聞いてくる青竜を、綿原もまじまじと見た。


 やっぱり美形が多いぞ、この会社。俺みたいなブサメンがいて大丈夫かな?

 少し眉根を寄せた綿原に、青竜が首を傾げる。

「空想が現実になったとして、それが現実なら受け入れます」

 そう言って煙を吐き出した綿原に、青竜は苦笑した。

「なるほど。変わった御仁だ」

 そう告げてから青竜は頭を下げて喫煙所から立ち去った。その背中を見送りながら綿原が上を見上げる。

「…俺、何か変な事言ったか?」

 紫煙が昇る青空に、綿原の答えはなかった。


 二本ほど吸ってから事務所に戻ると、田淵が立ち上がって綿原と入れ替わりに出て行った。本当に自由なんだなと納得して、綿原は自分の席に着く。

 ノートパソコンを開けて書類の続きを打ち込む。

『ネットの情報を奪取。必要な書き換えも終了。後日再確認』

『建設中の建物を視察。指示と違う建材を透視で確認。依頼主に処理を再度依頼される』

 昨日とは別の意味で恐ろしい書類が出てくる。なるべく記憶に残すまいと努力をしながらキーボードを叩いていると、惣領が話しかけてきた。


「綿原さん、今朝の質問だが」

「あ、さっき会いましたので大丈夫です。有難うございます」

 綿原の返事にまた惣領が変な顔になる。惣領の方を見た綿原が首を傾げると、惣領はこめかみを親指で押しながら質問をしてきた。

「…社長とどういう関係なんだ?」

「夜兎は俺の恩人ですね。だけど俺の方が貰う物が多くて困っています」

「なるほど?」

 説明を聞いた惣領は、その内容で全く納得が出来なくて上ずった声になる。新入社員が一般人だというのも初めてだというのに、それが社長の知り合いで名前を呼ぶほど近い仲の人物で。

 噂は本当かな?


 惣領が黙ったので、綿原は再びパソコンをうつ。

 書類を処理すればするほど、今まで自分がいた世界と離れていく現実は少し恐ろしくて少し高揚する。

 自分が描く小説の世界が、そっと隣に来たような気がする。

 そんな感覚で書類をうっている綿原を、帰ってきた田淵がじっと見ているのを綿原は気付かない。惣領は気付いていたが話しかけはしなかった。


「綿原さん」

「はい」

 真剣に打っていた綿原に惣領が話しかける。

「この会社はお昼休みの時間が決まっていない。自分で決めて取ってくれ。ちなみにもう一時だ」

「え、あ、本当だ」

「カフェテリアは何時でも開いているから、食事したい時にすればいい」

 綿原は自分の腹を撫でてから、肯いて席を立った。


「せっかくですから食べて来ます」

「そうか、行ってきなさい」

 綿原が事務所を出てから、田淵が呟いた。

「…悪い人じゃないんだけどなあ」

「どういう意味だい、田淵君?」

「主任は噂知ってますか?」

 聞かれて惣領は苦笑する。

「昨日一気に広がった話だから、信憑性も何もあった話じゃないがね」

「それでも、社長のお気に入りでしょうに」

「まあ、そうだろうねえ」

 惣領も頷かずにはいられない。なにせ案内に玄武さま、面接が朱雀さまでは、一般とは待遇が違う。

「あんな顔が良いんだ」

 小さな声で言った田淵を惣領が軽く睨むが、惣領を見ていない田淵が気付く事はない。


 カフェテリアに入った綿原は、壁にかかった黒板に書いてあるメニューを見る。和洋とどちらも美味しそうだが、自分の舌で判別が出来るものにしようと、カウンターの所に行くと中にいた女性がニコッと笑って声を掛けてくる。

「ご注文は決まりましたか?」

「はい、塩サバ定食で」

「はーい」

 後ろに向かって注文を伝えた女性は、綿原の社員証を指さした。

「それをここにかざしてください」

「あ、天引きなんだ」

「そうです。小銭出さなくて便利ですよね」

 軽く会話しながら、社員証をかざす。

「席に座っていてください。出来たらお持ちします」

「あ、有難うございます」

 数人が座っているカウンターに座るか悩んだが、端のテーブル席に座った綿原は、ほっと息を吐いた。


 一般的な会社に見えないのは、何処にもスーツの人がいないからだろうか。

 綺麗な服は着ているが、皆自由な服装で、どこか大手の外国の会社のようだと思って眺めている綿原の前の席に、体格のいい男が何も言わずに座った。

 短い茶髪の眼付きの鋭い顔の男は向かいの綿原をじっと見る。


 自分を見ている体育会系の男に、綿原は首を傾げる。

「どちら様で?」

「…お初にお目にかかる。自分は白虎と言う」

 ああ、コンプしたな。そう思った綿原は小さく笑った。

「みんな、夜兎が心配なんですね」

 綿原がそう言うと、白虎は眉尻を下げた。

「すまない、ぶしつけで。マスターが選んだ相手をどうしても己の目で確認したくて」

 選んだとはどういう意味だろうか。

 今度は綿原の眉根が寄る。白虎の言葉が少しわからない。


「お待たせしました、塩サバ定食です」

 さっきの女性がトレイを綿原の前に置く。チラッと白虎を見たが何も声を掛けずに離れていった。

「いただきます」

 手を合わせたあとで食べ始めた綿原を、しみじみと白虎が眺める。

「胆力があるな綿原さんは」

「え?そうですか?」

 ご飯を飲み込んでから答えた綿原に、白虎が肯く。

「見ず知らずの他人の前で食事が出来るとか」

 少し考えてから、綿原が口を開く。

「夜兎が信頼しているなら、悪い人ではないでしょう。俺は夜兎を信じているので」

 大きな口でサバとご飯を口に詰めた綿原を、驚いた顔で見た白虎はやがて苦笑した。


「そう言われては、悪さは出来ないな」

 白虎の顔を眺めてから綿原が頷く。頬が大きく膨らんでいるので口は開かない。

「なるほど。俺は静観としようか」

 また綿原には分からない事を白虎が言った。

「失礼した。ゆっくりと食べてくれ」

「…どうも」

 飲み込んでから答えた綿原に微笑んだ白虎は、二階に向かう階段の方へ歩いていった。見送った綿原は、首を傾げつつ味噌汁を掻き回す。

 それを飲みながら、やっぱり白虎も美形だったと考えてから、自分がいてもいいものか、悩んでいた。


 眉根を寄せながら味噌汁を飲んでいる綿原の前に、また誰かが座る。

「うん?」

「何でそんなに眉しかめて味噌汁飲んでるの?」

 昨日見た女子高生、真魚が座っていた。


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惑う夜の兎は、月明かりの綿之原で踊る 棒王 円 @nisemadoka

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