謎多き会社案内
翌朝、緊張して綿原がマンションのロビーで待っていると、後ろから声を掛けられた。
「あなたが綿原さんでいいのかな」
「はい、綿原です」
振り返って答えると、茶髪でたれ目の優しそうな男が立っていた。
若そうだなと綿原が思っていると、歩いていくのか道の先を指差された。
「じゃあ行きましょうか」
「はい」
「綿原さんは事務専門?」
「多分そうだと思います」
「へえ」
気さくそうな男と話ながら綿原も歩いていく。
「何でうちの会社に?」
興味深そうな珍しそうな声で聞かれる。
「…お話をいただいて」
「え?スカウト?事務なのに?」
聞かれれば、確かにおかしいと思うが嘘ではないので、何とも答えにくい。
「へえ、まあ、うちの事務って割と忙しいけど頑張って」
「そうなんですか」
肯いて答えながら、綿原は周りも見ている。道順を覚えなければ帰れない。
心配しなくても道行きは単純で、コンビニの横を歩いていく。大体十分ぐらいかけて歩いた先に七階建てのやや古く見える建物が見えた。周りにも同じような建物が幾つもあるが、入り口に小さく会社の看板がかかっているので間違わないだろう。
男が社員証をかざして会社の扉を開けて一緒に入る。
「こっちだよ、綿原さん」
「はい」
手招きされて一階の受付を通り過ぎ、奥の扉を開けられた。
日差しが入るように設計されている大きな窓がある部屋に、数台のパソコンが並べられた各机の上に置かれている。奥の席に座っている女性がこちらを見て立ち上がった。
「田淵くん、案内有り難う」
「はい惣領主任、無事連れて来ました」
無事とはいったい。
二人が言葉を交わした後に、綿原を案内してくれた田淵は自分の席に座った。綿原の前に惣領と呼ばれた女性が立っている。
「綿原さん、今日からよろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
「さて、それでは社内の案内をしようか」
挨拶して頭を下げる綿原を見て頷いた惣領は、そう言って手招いてから前を歩いて行く。綿原は遅れないようについて行った。
廊下を歩きながら惣領がすぐ後ろの綿原に質問する。
「綿原さんは此処がどういった会社か聞いているかい?」
「何でも屋みたいだと」
そう伝えると少し驚いた顔をされた。
「…それ以外は?」
「いえ、なにも」
「ええと、誰に話を聞いたのかな」
立ち止まった惣領が腰に片手を当てて綿原に聞く。それ以外を本当に説明されていない綿原も変だとは思うがどうやって答えても、おかしな言葉にしかならないだろうと思う。
「橘さんです」
「は?朱雀さまが直々に?」
いま、何を言われているんだろうか?朱雀さまって。
惣領の口から出た名前に全く覚えがない綿原は、しかし、慌ててどこかに連絡をしている惣領を見ながら、少し違和感を感じていても動けずにいた。
惣領が電話をしているその場に、黒髪の身長の高い男が近づいてきた。それを見て惣領の動きがビシッと止まる。
驚いた惣領が見上げている男を綿原も見上げる。やけに美形の男が綿原を見ているが、綿原としては少し見上げている身長差が気になった。
「ありゃ、ごめんな?驚かすつもりなくて来たんやけど」
「いえ、玄武さまはどうして」
「あ、そこの人案内してって鈴華はんに頼まれてんねん」
綿原は男に笑いかけられて、困っている。
「ほな行こうか、綿原さん」
男に手で招かれて困ったまま惣領を見た綿原に、惣領は肯いて促す。
「玄武さまが直々に案内してくださるそうだから、綿原さんは行ってらっしゃい」
変わった名前の男の後を付いて行くと、カフェテリアに入って座ろうと言われる。社員用のサーバーでコーヒーを入れた男の後を付いて綿原もホットコーヒーを入れて持ち、カウンター席にいる男の横に座るとニコッと笑われた。
「初めまして綿原さん。ワイは玄武ちゅうんや。よろしくなあ。まずはこの会社の話をちゃんとしてからの方が案内しやすいから、そうさせて貰うんだけどええやろうか?」
「はい、玄武さん。俺も詳しく知りたいです」
夜兎が何の仕事をしているのか。それは綿原も知りたい内容ではあった。
玄武と名乗った男が綿原をじっと見ている。
「此処が他の会社と違うのは知ってるん?」
「違うという事だけは」
うんうんと玄武が肯く。
「そおかあ。何から言おうかな。そうだ、綿原さん陰陽とか知ってるか?」
「…まあ、概略程度なら」
自分が書いている小説でも少し使ったネタではある綿原は頷く。
「うん、それをな?大真面目にやってるって思て?」
「え?」
「他にも超能力とか魔法じみたやつとか、シャーマンとか。いわゆる中二病って言われとる話を全部本気でやってる感じなんや」
「…は?」
綿原は目の前の男を見たまま、言葉が継げない。
何を言いだしたのかと聞きたいのだが、至って本当の事を言ってます的な雰囲気が出ていて否定しづらかった。
玄武がコーヒーを飲む。戸惑いながらも綿原も自分のコーヒーに口を付けた。
「信じがたいかもしれんけど、ここの会社はそうやって依頼をこなしておかねをもらってるんや。綿原さんはそこに入ったんやから、じきに分かるわ」
「…そうなんですか」
確かに綿原は入社している。逃げる気もないので、どんなに変な話でも聞くしかなかった。
玄武は細めの眼の奥で、綺麗な色の瞳をのぞかせている。
「名前にも序列があってな?能力が高いほど別の名前で呼ばれてるんや」
「あなたが玄武で橘さんが朱雀で?」
「そうやな、マスターに近いほど名前が偉そうになるねん」
「マスター…」
それが誰の事か、言われなくても分かる気がした。
社長ならそれ以上はいないはずだ。
「だから、この会社の二階からは訓練場とかがたくさんあって、あんまり案内も出来ないんや」
「なるほど」
肯いて綿原が答える。説明を聞かないまま連れて行かれても、見せて貰えない事を不満に思っただろう。
「納得は出来ませんが理解はしました」
「ああ、それでええわ。事務しとれば文面で分かるやろ」
玄武は何かが面白いのか、ニコニコと笑っている。
「それでは今日の案内は、なしですか?」
「いや、話だけでも分かりづらいやろうから、現物見たってや」
「はあ」
「じゃあ三階行こうか」
そう言って二人で紙カップを捨てた後に、階段を上って三階まで来た綿原を、玄武がある部屋のドアを開けて招き入れる。そこは広い道場のような部屋だった。
確かに普通の会社にはない場所だ。
「真魚ちゃん、ちょっと見せてえや」
中に声を掛けると、部屋の端に立っていた少女が驚いてこちらを見た。
「は、玄武さま?」
ブレザー姿の女子高生が構えていた体勢を戻して、扉の前の二人にと近寄ってくる。見る限り普通の女子学生にしか見えない。
「その人は?」
真魚と呼ばれた女子高生が訝しそうな顔で綿原を見てくる。玄武はニコニコと笑った顔のまま、真魚に返事をした。
「今日から事務に入ったんやけど、詳しく知らんと事故起こすから、見せたろ思うてな?」
「はあ、良いですけど。何を見せればいいですか?」
二人の間で進んで行く話に、綿原は戸惑ったまま口が出せない。それは本当に何かの力があるかのように話されていて、綿原は少し怖くなった。
「じゃあ、風と炎かな。真魚ちゃん得意やろ?」
「では、風で」
真魚がそう言った途端に、部屋の中に風が吹く。
「は?」
綿原は吹いて来た風に辺りを見回すが、女子高生に溜め息を吐かれた。
「何処見てるの?私だよ」
手の平を上にして真魚が眉根を寄せると、強い風が部屋の中をぐるぐると回っているかのように吹き荒れた。それは既に突風といえるほどの勢いで。
まさか、本当に。
腕で顔を庇った綿原を見て、真魚が風を止める。風が止んだ事に気付いた綿原が目を開けると、一つ溜め息を吐いた真魚が玄武に聞いた。
「炎も見せますか?」
「ああ、陰陽も見せたいからええよ。ありがとな真魚ちゃん」
「いえ、お役に立てればそれで」
真魚が玄武に頭を下げて、それに肯いた玄武が綿原を外に連れ出す。
部屋を出ても、まだ落ち着かない自分の心臓に綿原は困惑する。まさか本当に小説に有るような事が。
「真魚ちゃんのはサイキックに近いんや。自由に出せるから強い部類やね」
「そうですか」
そう説明されても、どう考えればいいのか。綿原には分からない。
「次は陰陽を見せるわ。分かり易く中二病やしね」
明るく言う玄武に頷くが、綿原は自分を納得させることに懸命だ。なんとも言い難い感じがする。さっきの力だってとても分かり易かった。
四階に上がって、廊下の真ん中あたりの扉を開けて玄武と一緒に綿原も部屋に入る。
そこも道場みたいに畳が敷いてあり、大きな部屋だったが、異様に紙がたくさん舞い踊っている部屋だった。部屋の中央に男が立っている。艶やかな黒髪ボブの優男だった。部屋に入った二人を見て首を少し傾げる。
「おや、玄武さま。どうされましたか?」
見た目が優しそうな男は声も柔らかかった。
「新人に説明しとるんやけど、伴さんの陰陽見せたってや」
「それは、よろしいですが」
チラッと顔を見られて、綿原は落ち着かない。
話している相手は普通の着物を着た男性で、別に水干などは着ていなかった。困った様子の綿原を見て伴は小さく頷いた。
「では、式でもお見せしますか」
そう言うと伴は、そこらに飛んでいる紙を指で挟み、ふっと息を吹きかけた。瞬時に猫が現れる。
綿原が驚いて食い入るように見ると、また指で紙を挟み息をかける。今度は犬が現れて畳の上を走りだす。
「本当に」
そこまで呟いて、綿原の言葉が止まる。
陰陽師が次から次へと、紙から式に変えて鳥やら鼠やらを出したからだ。
部屋の中に動物たちが溢れるほど存在した。綿原は猫にも触ったし犬にも触った。鳥は頭にとまるし鼠が走り回る音も足元に響く。まるで動物の保護場所のように沢山の生き物が部屋に溢れた。猫好きの綿原は思わず猫を抱き上げる。
パン。
それらが伴の柏手一拍で全て紙に戻り、ひらひらと床に落ちた。
「は」
猫を撫でていた綿原の手元にも一枚の紙が残っていた。あったはずの熱が掻き消える。
「やっぱり陰陽はエンタメやな、分かり易いわ」
「お褒めいただき光栄です」
褒める玄武に伴が軽く頭を下げた。紙を手渡しながら綿原が伴を見つめる。
その顔を、ニコリと見返された。
「さ、いこか」
綿原はそう言って部屋を押し出される。玄武に背中を押されてなければ衝撃で部屋を出られなかった。
綿原は玄武を見る。この会社が分かってきた気がする。
「何となく分かりました」
「そうか、良かったわ」
ニコッと玄武が笑う。
「まあこんな会社やから書かされる書類も変な文章が多いけど、頑張ってや」
一階まで付き合って降りてくれた玄武に、綿原が頭を下げる。
「有難うございました」
「ほな、きばりや」
手をひらひらさせて玄武が帰って行く。それを見送った綿原は事務所に向かった。
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