再就職は突然に




 綿原は久しぶりにATMでお金を降ろして、ホテルに泊まった。

 借りていたアパートはとっくに追い出されていたし、その際に売れるものは全部売っていたから、スマホすらない。


 シングルルームで、ばたっとベッドに倒れ込む。


 必死で返したかった借金が完済した。

 それは良かったのだが。

 綿原はその事実を、推し活で済ませる訳にはいかなかった。

 あの少年は、どれだけの金額だと思っているんだろう。


 あまり眠れなかった翌日に真っ先にスマホを買って、自分が書いている小説サイトに入った。

 今までの事がきれいさっぱりとリセットされて、ブラックリストにすら載っていないのかスマホがすぐ買えたことも驚いていたが、そこはそんなに重要では無かった。


 サイトの自分のフォロワーを見て、アイクアイクの名前がまだある事にほっとする。それから消される前に、急いでコメントを入れた。


〈連絡をくれ!!俺は君に恩返しをしたいんだ!!〉


 その言葉は、自分の登録を消そうかどうか悩んでいた、パソコン前の夜兎に見事に刺さった。

 動揺して、コメントが考えられない。

 慌てている夜兎に、二通目のコメントが届く。


〈毎日、声を聞かせるから、電話をしてくれ!〉


 夜兎が床に両手両膝を着いたのは仕方が無かった。


「推しが、僕の推しが、こんな事を言ってくる」

 小さな声で呟く。

「負けそう。推しに負けそう。どうすれば」

 その姿を部屋に入って来た人物に発見されても、夜兎は動けなかった。


「…どうされたのですか?」

 そんな体勢の夜兎を見るのは初めてだが、なるべく平静に話しかけるスーツ姿の女性。

「僕の推しが、僕に優しすぎる」

 開いているパソコンの画面を見て、女性は頷いた。

 それからもう一度、足元の夜兎を見る。

 これは重症だな。


「お話は伺っていますが、もういっそ雇ってしまってはいかがですか?」

「え?」

 夜兎が顔を上げる。

 その顔が泣き腫らして真っ赤な目をしている事には触れないで、女性は夜兎の顔を見たまま眼鏡を指で押し上げる。


「彼を私達の会社に雇い入れてはいかがですか?社長権限で」

「でも、僕達の会社って言っても、彼に出来ることは」

「普通に事務でもやって頂けばよいのでは?実働部隊は無理だと思いますので」

「……怖がらないかな」

 床に座りなおした体勢で、自分の上司が聞いてくるのを女性は困った顔で見ている。


「このまま縁を切るのは彼にも良くないかと。恩返しと言うからには金銭のことを一生引き摺るような気がします」

「…うん」

 そうだなと小さく肯く夜兎に、女性が座り込んで話を続ける。


「私が会社の概要の説明と、入社の意思があるか聞きますから。夜兎さまはそれを待っていただければよろしいかと。今日もこの後仕事がおありですよね?」

「うん。……頼むよ、鈴華」

「畏まりましたわ、マイマスター」


 やっと立ち上がった夜兎の前に、鈴華が跪く。

 頷いた夜兎がパソコンを消して部屋を出て行くまで見送った後、ふっと笑った。

 可愛いが過ぎる。うちのマスターは。

 この人の事をショタと攻めてはいけない。

 夜兎は合法だからセーフだ。


 じりじりと返事を待っていた綿原のスマホに知らない番号から電話が掛かってくる。

 それを考えずにとってしまうほどには綿原は焦っていた。

「はい」

『綿原様の電話でよろしいでしょうか』

 聞いた事のない女性の声が聞こえて来る。

「そうですが」

『モンドエクリプスカンパニーの橘 鈴華と申します。いきなりのお電話で申し訳ありません』

「はあ」

 何かの勧誘かと綿原が身構える。


『社長が是非にと綿原様にご入社を進めておりまして。失礼ですが今現在所属されていらっしゃる会社はおありでしょうか?』

「俺を雇いたい会社だって?」

『はい。是非とも話を聞いていただけませんか?』

「悪いけど、俺を勧誘しても」

 そこまで言って綿原は今おきている事がおかしな事に気付く。スマホを買ったのは今日で、まだ親戚にも連絡はしていない。連絡をしたのは。


「…社長さんの名前は?」

 電話の向こうでにっこり笑っているのが見える様な声で女性が告げる。

『御神楽 夜兎と申します』

「話を聞かせてくれ」

『それでは詳しい話はお会いしていたしましょう。東京まで出て来られますか?』

 無茶ぶりとは思わなかった。綿原は夜兎に会いたかった。


 橘と言う女性と約束をして、綿原は駅から新幹線に乗り込む。ここから東京まで四時間ほどかかる。自由席に座った綿原は新幹線の進みさえ遅いように感じた。


 東京駅に着いて綿原が改札を抜けると、極上の美人が近寄って来た。

「綿原様ですね?お待ちしておりましたわ」

 電話で聞いた声の主だと分かったが、余りに美人なので綿原は少し気後れする。

「はい、橘さんでしょうか?」

「ええ、そうです。この先にあるお店で話をしましょう」

 そう言って先導するように橘が先を歩いていく。

 綿原はその後を付いて行きながら、そう言えば「ひかぎ」と呼ばれていた男も男前だったなあと思い返していた。まさか顔面偏差値がある会社じゃないよな?


 スーツ姿の女性の後にパーカー姿の自分が付いて行くのはどうかと思うが仕方が無い。今着られる服は夜兎から貰ったこの服しかなかったからだ。

 個室のある店に入り、それぞれの注文が来てから橘が書類を差し出してきた。


 それは契約書も含まれたもので、綿原は橘を見る。

「あの、これは」

「お気になさらず、まずはお話させていただきますわ」

「はい」

 橘が紅茶をひと口飲んでから話し始める。


「我々の会社は少々特殊な会社になります。それぞれの能力を駆使してご依頼をこなしていく、いわば何でも屋の様なものです」

「何でも屋?」

 不思議な会社説明だなと綿原は思う。


「はい。ですが今回綿原様にお願いしたいのは事務職になります」

「事務ですか。俺は事務ってやった事がなくて」

「パソコンが使えれば大丈夫ですわ」

「…それなら、なんとか」

 パワポとかは頑張れば出来るかな。ワードは平気だしエクセルもまあ頑張ろう。


「先輩方も教えてくれますから。大丈夫ですよ」

 そう言って橘が笑う。綿原は頷いた。


「住居は社員用に借り上げているマンションがありますので、そちらでも良いでしょうか?」

「ああ、助かります。保証人とかが要らなければ」

「それは会社の方でしますので不要ですわ。あとは福利厚生などが契約書に書いてありますから見て頂ければ、ご理解いただけると」

「はい」


 返事をして肯いてから綿原は渡されていた書類を見る。

 文面を見ていくと下の方に不穏な文字が見つかった。

「あの」

「はい、どういたしましたか?」

「この、死亡保障と言うのは」

「ああ、それは綿原様の事務職にはあまり関係がありませんので、気にされなくてもよろしいかと」

 それは事務職以外には関係があるということで。


「そんなに危ない仕事なんですか?」

「一部は」

 はっきり言われて、綿原は戸惑う。

 夜兎の顔を思い出して、そんな危ない事をしているのかと考える。

 危険な事をしてためたお金を使わせたことに、心臓がきゅっとなった。


「ペンを貸して貰えますか?」

「…即答でよろしいのですか?」

 ペンを渡されながら橘に聞かれるが、綿原は強く頷く。


「俺で夜兎の役に立つなら」

 役に立つと言うか、心の平穏が保たれると言うか。

 鈴華の心の返答には気付かずに、綿原が書類に必要事項を埋めていく。

 書き終わった書類を預けて、綿原は案内されるがまま電車に乗り、寮と言われたマンションに向かった。


「ここです。此処が全て我が会社の寮ですから、気兼ねせずにお使いください」

「これ、が?」

 高そうなマンションの入り口で綿原が立っていると、カード型のキーを渡される。部屋番号はカードに書いてあり、家具も全部そろっていると伝えられた。


「それでは明日の朝八時に、会社の者が迎えに来ますのでこのロビーに降りていていただければ」

「分かりました。これからよろしくお願い致します」

「はい」

 艶やかに笑う美人を見送って、綿原は部屋に向かう。

 入り口でボタンを押してカードを通す。開いた入り口から少し歩いてエレベーターに乗り、自分の部屋に入った。


 見回して溜め息を吐く。

 何処の高級ホテルだよと言いたくなるほど、何もかもが揃っていた。

 パソコンまで置いてある。


 二部屋ある奥の部屋は大きなダブルだろうベッドが置いてあって、枕も二つ置いてあった。これが仕様だと言うならこの会社は、単身をあまり迎えていないのだろうか。


 今までの生活とあまりに違う事に綿原は、がっくりとソファに座る。

 恩返しがしたくて此処に来たのに、これでは恩が嵩むばかりでは。




 血塗れで帰って来た夜兎に、あまり知らない男が付いている事に鈴華は疑問を持つ。今日の結果を報告しに来たのだが、帰って来たばかりの夜兎の機嫌があまりよろしくない。

 まだ目線が戦闘モードのままだ。


 自分の髪に着いた血を手で拭ってから、夜兎が口を開いた。

「最後の戦闘は必要なかった」

「しかし」

「あの殺しは必要なかった」

「…すみません、俺のミスです」

 ハアッと夜兎が溜め息を吐く。


「僕は自分の社員を消費した戦い方をしたい訳じゃない」

「はい、申し訳」

「お前は本当にはそう思っていない。それが嫌だ」

 言葉を遮られた男が夜兎を見る。


「暫く出て来なくていい」

「マスター、俺は」

「出て来なくていい。自分の領域にいろ」

 余程機嫌が悪い。


「…分かりました」

 そう言って男がきびすを返して立ち去った。

 鈴華はその姿を見てなるほどと夜兎の意思を納得する。


 見ていた鈴華に視線が来る。

「鈴華、何用だ?」

 まだ機嫌が悪い夜兎に報告するのは少々気が引ける。楽しい話はもっと普通の時にしてあげたかった。


「綿原様が入社されました」

「え、もう?」

 少し声が裏返る。

「はい、マスターの役に立つならばと即決されました」

 夜兎が顔を両手で隠して座り込んだ。

 ああ、血まみれの時じゃなければよかったのに。


「もう入寮されています。今時間なら寝ていらっしゃるかと。明日から出社されると思います」

「うん、有難う鈴華。面倒な事を頼んですまない」

 立ち上がった夜兎がねぎらいの言葉を言う。まだ仕事モードが切り替わっていないため言葉が固い。

 それでも少し微笑んで言ってくれたことが嬉しい。


「僕も今日はもう終わりにするから、鈴華も帰ってね」

 剣が取れてきた顔で夜兎が言うのを、頭を下げて鈴華は了承した。



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