32. 狂気の妄想

「魔物はね、仮想敵として人類の結束強化のために導入したのよね?」


 シアンの声が空間に響き渡る。その声色には、どこか残念そうな響きがあった。


「シ、シアン……様?」


 賢者の声が裏返る。いきなり現れた上位存在に、つい震えてしまう。


「うまく行きませんでしたけどね」


 ゼロの言葉には、深い後悔の色が滲んでいた。その表情は、長い年月の重みを一身に背負っているかのようだった。



        ◇



 時は千年ほどさかのぼる――――。


 悠久ゆうきゅうの時をかけて徐々に発達してきた文化文明は一気に花開き、世界は目まぐるしい変化を遂げていた。人々の笑顔が街を彩り、文化の花が咲き乱れる様は、まさに理想郷そのものだった。空にはたくさんの飛行船ひこうせんが飛び交い、地上には煌びやか建築物が林立する。科学と魔法が融合した世界は、かつてない繁栄を謳歌していた。


 大量生産を可能にした文明は人口爆発じんこうばくはつを起こし、人類はかつてない繁栄を謳歌した。街には活気が満ち、至る所で新たな超高層建築が進められていく。その光景は、まるで巨大な蟻塚ありづかが日々成長を続けているかのようだった。


 ゼロはこの世界の管理者として、まさに絶頂期を迎える。神殿での最優秀管理者にも選ばれ、まさに鼻高々だった。その姿は、トップ管理者としての威厳と誇りに満ちていた。


「やりました! 私の世界が、ついに理想の形になったんです! 皆さんのおかげです!」


 ゼロは歓喜の声を上げ、同僚たちと祝杯を挙げる。その笑顔は、まさに太陽のように輝いていた。


 音楽が街にあふれ、人々の心を癒やし、小説や映画は人々の想像力を刺激し、社会に活気が満ち溢れる。ゼロは、この世界の調和に満足げな微笑みを浮かべていた。


「素晴らしい……これこそが私の求めていた世界だ」


 ゼロは透明になって街中を飛び回り、その自分の作り出した最高傑作に酔いしれた。空から見下ろす世界は、まさに宝石箱を開けたかのような輝きを放っていた。


 しかし、その繁栄の中にも、影が忍び寄る。


 軍事大国エムペラルドは、かつての栄光に翳りが見え始めていた。経済発展の波に乗り遅れ、徐々に世界の中心から外れつつあったのだ。かつては世界を震撼させた軍事力も、今や時代遅れの鉄屑てつくずと化していた。


 エムペラルドの大統領、アレックス・ストームは、深夜の執務室で頭を抱えていた。彼の前には、国力の衰退を示す赤字だらけのグラフが広がっている。その数字の一つ一つが、彼の心を深く刺すとげのようだった。


「こんなはずじゃなかった……我が国の栄光はどこへ消えてしまったのだ? わが民族は偉大なる血族の末裔。常に世界の中心にあるべきなのに……」

 ストームの目に、狂気の色が宿り始めていた。その瞳は、もはや現実を直視することを拒絶しているかのようだ。


 そんな中、隣の小国リベルタスが急速に経済成長を遂げ、世界の注目を集め始める。その姿は、かつてのエムペラルドを思わせるものがあった。リベルタスの首都には、最新技術を詰め込んだ摩天楼まてんろうが林立し、その光景は未来都市そのものだった。


 ストームがリベルタスを訪れた時のこと、彼の目に狂気の炎が燃え上がる。


「リベルタスは我が国の支援で成長ができた。言わば彼らも我が偉大なるエムペラルドの一員なのだ! 彼らを併合すれば、全てが解決する……そうだ、彼らだって我々の支配を望んでいるはずだ!」


 その妄想は、やがて実際の侵攻となって世界を揺るがすこととなる。エムペラルドの軍隊が、リベルタスの国境を越えた瞬間、世界は大きく動き出した。


「エムペラルドが……リベルタスに侵攻を!?」


 ゼロは、急報を受けて愕然とした。その表情には、創造主としての責任と、人類への失望が入り混じっていた。


 リベルタスの首都が陥落寸前まで追い込まれたその時、世界の経済大国たちが動き出した。正義の名の下に、しかし各々の利害を秘めて。


「リベルタスを守れ! エムペラルドの暴挙を許すな!」


 経済制裁、武器援助、そして志願兵の派遣。あっという間に、リベルタスは大国同士の代理戦争の舞台へと変貌を遂げた。平和だった街並みは戦火に包まれ、人々の悲鳴が響き渡る。


 ゼロは、事態の深刻さに慄然とした。その姿は、子供たちの喧嘩を止められない親のようだった。


「こんなバカげたことで……せっかく育ててきた世界が……!」


 ゼロの脳裏に、一つの計画が浮かぶ。それは危険な賭けだった。しかし、もはやそれしか方法がないように思えた。


「共通の敵を作り出せば……」


 その夜、世界中で奇怪な出来事が相次いだ。巨大な影が街を襲い、不思議な生き物たちが森から這い出してくる。魔物の出現だった。空をワイバーンが飛び、海からは魔物たちが這いあがってくる。まるで終末のシナリオを地で行くかのような光景だった。


 人々は恐怖に震え上がり、各国は急遽対策本部を設置する。一時は戦争の危機も忘れ、世界中が魔物への対処に追われることになる。ゼロは、この状況に一縷の望みを託した。


 しかし、人類の愚かさは、ゼロの予想をも超えていたのだ。


「これを利用すれば、戦争に勝てる!」


 ストームの叫びと共に、エムペラルドは魔物を捕獲し、兵器化を始めた。他国もそれに追随し、あっという間に魔物兵器開発競争が始まってしまったのだ。科学と魔法を融合させた兵器は、想像を絶する破壊力を持っていた。


 ゼロは、自らの計画が裏目に出たことに絶望する。


「なぜだ……なぜこうなってしまったんだ……」


 世界は、かつてない混沌の中へと突入していった。ゼロの理想の世界は、今や悪夢と化していたのだった。空には魔物と化した飛行船が飛び交い、地上では魔物化した兵器が暴れ回る。かつての繁栄は、もはや遠い夢のようだった。


 ゼロは、自らが作り出した世界の崩壊を、ただ呆然と見つめるしかなかった。


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