25. 消失

 「ハァッ!」


 賢者の気合いが、広場の空気を震わせた。その声には、星霜せいそうを重ねて培った決意が込められている。


 目の前に巨大な黄金に輝く魔法陣が展開されていく。その輝きは太陽をも凌ぐかのようだった。遠く黒龍に照準を合わせ、賢者の眼光が鋭く光る。その瞳には、百年の時を超えた因縁が映し出されているかのようだ。


 巨大な円の中には六芒星が描かれ、まるで生き物のように蠢きながら形を整えていく。丸や三角、そして複雑な幾何学模様が隙間を埋めていく様は、まるで宇宙の神秘を魔法陣に閉じ込めたかのようだ。それは賢者の人生を懸けた曼荼羅まんだらのようにも見える。


 「ぐぐぐぐっ」


 苦悶の表情を浮かべながら、賢者は老いた体に鞭打つように全精力を魔法陣に注いでいく――――。


 その姿は、生命力そのものを魔法に変えているようにすら見えた。額には大粒の汗が浮かび、白髪が風に舞う。しわの刻まれた顔には、長い年月の重みと、この瞬間への覚悟が刻み込まれている。


 最後にカッと目を見開いた賢者。


 「死ねぃ!」


 絞り出すような叫び声と共に、賢者は最後の魔力を振り絞った。その瞬間、魔法陣が激しく黄金色の閃光を放つ。太陽が地上に降り立ったかのような眩さだ。大地さえも、その光に畏怖の念を抱くかのように震えた――――。


 パウッ!


 刹那、巨大な光の矢が目にも止まらぬ速さで真っ直ぐに黒龍へと放たれた。その軌跡は、空間を切り裂く一筋の流星のよう。大気を引き裂く高周波音が、世界の終わりを告げるかのように響き渡る。


 直後、黒龍は気づく間もなく激しい閃光に包まれ、大爆発を起こした。その瞬間、世界が光に埋まったかのように全てが輝きに包まれる。


 光がおさまっていくと、白いまゆのような衝撃波が辺りに広がり、巨大なキノコ雲が天を衝くように上がっていく。その光景は、終末の日の到来を告げるかのようにすら見えた。


 爆心地には、黒焦げの炭のようなものがバラバラと空から降り注いでいる。それは、かつての黒龍の姿なのだろうか。風に乗って舞い落ちる灰は、往年の宿敵との因縁の終わりを象徴しているかのようだ。


 やがて、衝撃波が村にも到達する。木々は激しく揺れ、無数の木の葉が舞い散った。世界全てが、この一撃の威力に慄き、大地が呻き、空が泣いているかのような錯覚さえ覚える。


 賢者は、力尽きたように膝をつく。その表情には、達成感と共に、何か言いようのない哀しみが浮かんでいた。因縁の宿敵との一つの区切り、それは、彼の人生の一つの終わりをも意味していたのかもしれない。


 魔王は不死身だ。殺してもまたいつの間にか再生してくる。それはまるで自然災害のような存在なのだ。だが、これだけダメージを与えておけば次の侵攻までにはかなりの時間がかかるだろう。


 しかし、戦いはまだ終わっていない。村を襲う魔物たちは健在だ。賢者は深く息を吐き、再び立ち上がる。その目には、まだ闘志の炎が燃えていた。



      ◇



 ゼロと賢者が奮闘していると、みんなが逃げていった麦畑の方から悲鳴が上がった。その声は、夏の風に乗って広場まで届き、二人の血を凍らせた。


「はぁっ!?」「な、なんだ!?」


 二人の声が震える。その瞳に映るのは、想像を絶する光景だった。


 なんと、黄金色に輝く麦畑に潜んでいた魔物の部隊が、逃げてきた村人たちを襲っていたのだ。黄金の海が、一瞬にして血と悲鳴の渦に変わる。麦の穂が赤く染まり、麦畑を渡る風が悲鳴を運んでくる。


 必死に抗戦する騎士たち。刀剣が交わる音と、魔物たちの唸り声が入り混じる。だが、魔物の方が圧倒的に多く、騎士たちは圧倒されていた。


 ゼロは慌てて麦畑の方へ赤い閃光を次々と放って援護する。閃光が空を切り裂き、魔物たちを次々と倒していく。しかし、それでも倒しきれない量の魔物に圧倒されている。ゼロの小さな体から、焦りの汗が滴り落ちる。


「マズい、マズいよ。リリー! 無事でいて!!」


 その時、突如として現れた巨大な丸い身体を持った魔物。目があちこちにあり、不気味に辺りを見回しながらゴロゴロと転がってやってくる。その姿は、悪夢から抜け出してきたような異様な雰囲気を漂わせていた。


「なんだあいつは……。喰らえ!」


 ゼロは咄嗟に閃光を放つ。その瞳には、村人たちを守ろうとする強い決意が宿っている。


「ダ、ダメじゃ! あいつは……」


 賢者は制止しようとしたが、間に合わなかった――――。


 閃光は球体の魔物を直撃、刹那、大爆発を起こす。眩い光が世界を覆い、轟音が大地を揺るがす。


 太陽が地上に落ちてきたかのような圧倒的なエネルギーに、絶望が二人を包んだ。


「あぁぁぁ!」


 唖然とするゼロ。その目に映るのは、地獄絵図そのものだった。


 球体の魔物はエネルギーの塊であり、刺激を与えると自爆するとてもたちの悪い魔物だったのだ。なぜうかつに攻撃してしまったのか……? 後悔が、ナイフのようにゼロの心を抉る。


 麦畑は炎に包まれ、騎士も魔物も村人たちも跡形もなく吹き飛ばされてしまった。黄金の麦畑は一瞬にして灰色の荒野と化し、助けようとした命が次々と消えていく。風が、灰を舞い上げていった。


 すべてを一瞬にして失ってしまったゼロ。その小さな体が、激しく震えた。


「僕が……僕がやってしまったんだ……」


 その声は、風に消されそうなほど小さかった。


 ゼロは自分の存在が崩壊していくのを感じていた。守ろうとした村、救おうとした人々、リリー、全てが自分の手によって失われてしまった。その罪の重さが、ゼロの存在そのものを押しつぶしていく。


「うわぁぁぁ!」


 悲痛な叫びと共にゼロは微粒子となってサラサラとその姿を崩壊させていった。その姿は、まるで砂時計の砂のように、静かに、しかし確実にこの世から消失していった。



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