26. 不機嫌な少女

「ゼロ! ま、待て!」


 賢者の叫びが、空気を震わせる。しかし、その言葉は虚しく風に消え、ゼロの姿は光の粒子となって散逸さんいつしていく。最後の一粒が消えのを、賢者は震えながら見ていた。


 くぅぅぅぅ……。


 上位神に『力になってやれ』と言われたにもかかわらず、何もできなかった無力感が賢者を打ちのめす。長年積み重ねてきた知恵も、結局何の役にも立たなかった。


 賢者はガックリとひざをつき、うなだれた。残されたのは、地獄絵図と化した荒野と、深い後悔の念だけ。陽光はさんさんと、その悲劇の舞台を無慈悲に照らし続けていた。その光は、賢者の心の闇をより一層際立たせる。



        ◇



 ふと、ゾクッと寒気が走る。賢者は思わず空を見上げた。はるか遠方、青空の果てに巨大な白い影が迫ってくるのが見えた。それは雲よりも遥かに高く、宇宙と空の境界線を飛んでいるかのように青空に溶け込んでいる。


 十キロはあろうかという途方もなく大きな翼を広げ、ゆったりと羽ばたきながら接近するその姿は、伝説のドラゴンそのものだった。その巨体から、黄金に輝く何かが振り撒かれている。その光景は、神々しくも不吉だった。


 賢者は眉をひそめる。あの存在を見たことがある。しかし、その記憶は霧の向こうにあるかのように曖昧で、いつどこで見たのか思い出せない。頭を振っても、記憶は戻ってこない。その虚脱感きょだつかんが、賢者の心をさらに重くする。


 徐々に近づいてくるドラゴン。地上に降り注いだ黄金の光はパウッと爆発し、球形に地面をえぐり取っていく。その跡には、底なしの闇が広がっていった。世界が少しずつむしばまれていく様子は、美しいほどに恐ろしかった。


「ア、『救済アポカリプス』だ!」


 賢者は息を呑んだ。黙示録に描かれた最後の審判が下されたのだ。創造神がこの世界を消すと決定したということだろう。


 賢者は呆然とする。確かに村は全滅し、ゼロも消えた。しかし、それがこの世界を消すほどの罪なのだろうか? 疑問が湧き上がる。しかし、こんなちっぽけな人間が一人疑問に思ったところで創造神の裁定は変わらない。その無力感が、賢者の心を締め付ける。


 次々と迫ってくる『救済アポカリプス』の黄金の輝き。賢者は首を振り、緑の魔法陣を足元に展開すると、それに乗って上空へ逃げ出した。世界が消えれば命など意味をなさない。しかし、むざむざと消されるわけにもいかない。生への執着か、それとも単なる反射的行動か。賢者自身にも、その理由は分からなかった。


 ドラゴンは村周辺一帯をえぐり取り、すべてを漆黒に変えていく。そして、さらなる土地を消し去るべく飛び去っていった。その姿は荘厳で、同時に恐ろしかった。


 空中に浮かぶ賢者の目に映るのは、次々と闇に飲み込まれていく世界。長い人生で積み重ねてきた知識も、経験も、この瞬間には何の役にも立たない。ただ、消えゆく世界を見つめることしかできない。その無力感は、賢者の魂を深くむしばんでいった。



      ◇


 と、その時、キラキラと青い輝きを振りまきながら、何かが空から降りてくる。その光は、消滅しょうめつに瀕した世界に最後の彩りを添えるかのように美しい煌めきを放っていた。賢者は目を凝らす。眩しさに目を細めながら、その正体を確かめようとする。どうやらドラゴンから飛び降りてきたようだ。


 降下する姿が明確になるにつれ、それが青い髪をした美しい少女であることが分かった。シルバーの近未来的なスーツをまとい、スーッと降りてきた少女は、ゼロが消えた辺りで静止する。その姿は重力の法則さえ無視しているかのようだ。


 少女は両手を広げ、何か知らない言葉を叫ぶ。すると、黄金の微粒子がフワフワと集まってきた。それは、消え去ったゼロの存在の痕跡こんせきのようにも見える。


 賢者は魔法陣を操り、恐る恐る近づいていく。


 近づくにつれ、その顔に見覚えがあることに気がついた。この少女は、ゼロと会った時に浮かび上がっていた上位神だった。驚きと畏怖の念が賢者の心を満たす。その存在感に、賢者の膝が震える。


 大きく息をつき、覚悟を決めると、賢者は速度を上げ、少女のそばへと急行した。


「お、畏れながら、なぜ『救済アポカリプス』なのですか?」


 賢者は震える声で尋ねた。その声には、恐れが滲み出ている。


 少女は賢者の方を見向きもせず、淡々と答える。


「『見守ってやれ』って僕言ったよね?」


 その声には、人間の感情とは無縁の冷たさがあった。賢者の背筋が凍る。


「力至らず申し訳ございません。もう一度、もう一度だけチャンスを……」

 賢者は必死に頭を下げた。


「これ……、二回目なんだよね?」


 少女は肩をすくめ、不機嫌そうに賢者を見た。その目には、人智を超えた叡智と、同時に人間に対する失望が宿っている。


「……は?」


 キョトンとする賢者。混乱が顔に浮かぶ。頭の中が真っ白になる。一体何が二回目なのだろうか? 過去に一体何があったというのか? 賢者は言葉を失い、凍りついた。

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