18. 智慧と狂気

 にこやかな賢者に誘われ、リリーとゼロはクリーム色に塗られた南国風の瀟洒しょうしゃな家の中に足を踏み入れた。扉を開けた瞬間、二人の目は驚きで大きく見開かれた。内部は想像以上に広く、まるで魔法で空間が歪められているかのようだった。


 壁際には魔道具が所狭しと並び、それぞれが不思議な光を放っている。あちこちから様々なハーブの香りが漂い、鼻腔をくすぐった。


 壁には大きな魔法の時計が、魔法で揺れながらカチカチと規則的な音を奏でていた。


「わぁ……」


リリーは思わず声を漏らす。


 ピィ……?


 ゼロも首を傾げ、不思議そうな目で周囲を見回している。


 二人はその特異な室内を興味津々で眺めながら、賢者に導かれるまま客間へと足を進めた。


 テーブルに座ったリリーとゼロに、賢者は優しく微笑みながらお茶を出す。湯気と共に立ち上る香りは、心を落ち着かせるような不思議な力を持っていた。


「さあ、ゆっくりお話を聞かせておくれ」


 賢者の声は、まるで古い絹のように柔らかい。


 リリーは村での出来事や逃げてきた経緯を説明し始め、賢者はうんうんと頷きながら熱心に耳を傾けた。


 時折脱線して関係ないことも楽しそうに話すのだが、それでも賢者は辛抱強くニコニコと聞いている。その眼差しには、深い慈愛が感じられた。


 一通り話し終わると、賢者は「状況は分かりました」と穏やかに言い、リリーにお茶菓子を勧めた。


「あ、ありがとう」リリーは感謝の言葉を述べ、ほっと安堵の表情を浮かべる。


 そして、クッキーに手を伸ばし、サクッといい音を立てながらほお張った。


 さて……。


 賢者は突然立ち上がると、


「ちょっとゼロくんを借りるね」


 と、言って、ひょいとゼロを胸に抱きかかえた。


 いきなり捕まえられてしまってゼロは慌てたが、バタバタ暴れるわけにもいかない。神妙な顔をしてくちばしをキュッと食いしばった。


「え? ゼロ……?」


 リリーは戸惑いの表情を見せる。


「大丈夫、すぐに戻るから」


 賢者は優しく微笑み、リリーは口をとがらせ、ゆっくりとうなずいた。



        ◇



 賢者はゼロを連れて地下室へと向かった。階段を下りるにつれ、空気が冷たくなり、壁に描かれた魔法陣がまたたきはじめる。


 その雰囲気にゼロは眉をひそめた。


 地下室に着くなり、賢者の態度が一変した――――。


 ガチャリという重い音と共にドアに鍵をかけ、ゼロを素早くガラスの円筒ケースに閉じ込めたのだ。ケースには複雑な魔法陣がいくつも描かれており、青白い光を放っている。


 ピィィィ!


 ゼロは慌てて逃げようとしたが、力が出せない。ガラスケースには魔力を無効化する機構が備わっていたのだ。


「さて……、正体を明かしてもらおうか」


 賢者の声は、先ほどまでの優しさが嘘のように冷たく響いた。


 賢者の目つきは鋭く、そのひとみには幾星霜の智慧が宿っていた。


 地下室の冷たい空気が、さらに張り詰めたように感じられた。


 ピィ? と首を傾げゼロはごまかそうとしたが――――。


「君は喋れるだろう、答えたまえ!」


 賢者は眉をひそめ、怒ったように言った。


 追い詰められたゼロは、ガラスケースの中でしばし逡巡した後、ついに口を開いた。その声は、か細くも、どこか古の響きを帯びていた。


「私は……記憶を失い、村を守っていた存在です。自分が何者かは自分も知りません」


「ほう……? 記憶をねぇ……」


 賢者の目が好奇心に満ちて輝いた。


 「続けたまえ」


 ゼロは観念して今までのことをポツリポツリと話していった。


 リリーとの出会い、魔王軍との戦い、ペンギンへの変身、村での楽しい暮らし。その言葉の一つ一つに、ゼロの想いが込められていた。


 賢者はゼロの告白を聞き、腕を組むと深い思索に沈んだ。その表情からは、なかなかゼロの正体を表す仮説までたどり着けない苦悩の色が浮かんでいる。部屋に沈黙が落ち、ただ遠くで時計の音だけが微かに響いていた。


 しばらく考えた賢者は、突如として不敵な笑みを浮かべる。


「とりあえず解剖してみるか……」


 そう言ってニヤリと悪い顔で笑った。


 ピィィィ! ゼロは恐怖に震え、必死にガラスケースの壁を叩く。その姿は、まるで囚われた小鳥のようだった。


 賢者は、雑然とした棚から剣を取り出し、スラリとさやから引き抜くとおもむろにゼロのガラスケースに手を当てる。


「君の話なら分解されても死なないんだろう? いいじゃないかちょっと中身を見せてみたまえ」


 その目には狂気が踊っていた。


 ピィィィ! ピィィィ!


 ゼロは鳴き叫ぶ。死なないかもしれないが、身体を切り刻まれて観察されるなどまっぴらごめんなのだ。


「ちょっとだけ、ちょっとだけだよ。くふふふ……」


 賢者はガラスケースの脇に開けられたスリットに剣先をあてがい、ゼロに照準を合わせた――――。

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