17. 賢者エルダー・ノア

 リリーとゼロが空高く飛び去った後、畑には重苦しい空気がただよう。


 ザカリーは怒りに震えながら、無力だった騎士たちを厳しく叱責した。その声は、荒らされた畑に不協和音のように響き渡る。


「お前たち、何をしてるんだ! たかが小娘一人捕まえられないとは!」


 騎士たちは頭を垂れ、言い訳をする言葉も見つからない。


「だいたいだなぁ! 貴様らは日ごろからたるんでるのだ!」


 ザカリーの怒りは収まるどころか、さらに激しさを増していった。


 ひとしきり怒鳴り散らすと、ザカリーの怒りの矛先はリリーの父親に向けられた。父親はなるべく目立たぬよう小さく縮こまっている。


「お前が娘をかばったせいだ! これは公務執行妨害……重大な罪だぞ!」


「いやっ! う、馬が危ないと思っただけで……」


 父親は震える声で何とか言い逃れようとしたが、ザカリーは聞く耳を持たなかった。その目には残忍な色が浮かんでいる。


「口答えは許さん! この男を捕らえろ!」


 騎士たちは躊躇したが、ザカリーの剣幕に押され、しぶしぶとリリーの父親を取り押さえた。父親は抵抗する術もなく、ただ、ガックリとうなだれながら縄についた。


 娘たちの行方を案じながら連れ去られていくその後ろ姿は、とても痛々しかった。


 この一部始終を、近くの大木の上で一羽の大きなフクロウが見つめていた。その赤い目は異様に輝き、知性を感じさせる。明らかにただの動物ではない。


 人々が去り、畑に静けさが戻ると、フクロウは低い声で呟いた。


「くっくっく……これは面白いものを見た。魔王様に知らせねば」


 フクロウは大きな翼を広げ、飛び立った。その影は荒らされた畑に不吉な影を落とす。それは新たな脅威の到来を予感させるものだった。


 リリーたちを取り巻く状況は、どんどんと思わぬ方向へと展開していってしまうのであった。



        ◇



 森の奥深く、木々のこずえを抜けて飛んできたゼロとリリー。みどりの海のような森を見下ろしながら、二人は息を整えた。安全な距離は取れたものの、これからどうしたらいいか分からない。


 ピィィィィ……。


 ゼロの不安げな鳴き声に、リリーは突然思い出したように言った。


「そうだわ! ママが言ってたの。もし何かあったら、賢者様の所に行きなさいって」


 リリーは村はずれにある特徴的な切り立った岩山の方を指さす。その岩山は、まるで巨人のこぶしのように天に向かって突き出ていた。


 ゼロは賢者がいるなんて初めて聞いたが、母親の指示であれば聞く以外ない。理解したように小さく鳴き、その方向へと飛び始めた。


 しばらく飛んで岩山に近づくと、そこには驚くべき光景が広がっていた。切り立った岩山の中腹に、まるで魔法でくっつけられたかのように、風変わりな建物がポツンと建っていたのだ。


 それは自然の壮大そうだいさと人間の巧緻こうちな建築技術の結晶だった。岩肌にしっかりと根を張るように建てられた白壁の建物は、どこか神秘的でありながらも安定感を与える存在感を放っている。屋根の上に立つ赤い尖塔が、青みがかった崖を背景に美しいコントラストを描いていた。


 ゼロは慎重に高度を下げ、断崖絶壁の途中に作られた小さな前庭に着陸する。そこには、想像もつかないほど多様な薬草の鉢植えが所狭しと並び、見たこともないような不思議な花がたくさん咲いていた。その光景は、まるで別世界のよう。虹色にじいろに輝く花々が、風に揺れて甘い香りを漂わせている。


「賢者様の家はこうなっていたのね……」


 リリーは以前村で会ったことはあったものの、まさかこんな風変わりな所に住んでいたとは知らなかったのだ。その目は驚きと畏敬の念で輝いていた。


 二人が周りを見回していると、突然、優しげな声が聞こえてきた。


「おやおや、可愛いお客さんだね、いらっしゃい」


 声の主は、二階の窓から顔を出している白髪を長く伸ばした高齢の男性だった。その目は知恵に満ち、にこやかな笑顔で二人を見つめている。その瞳に輝く光は何百年もの歳月を見てきたかのように深い色を見せた。


 リリーとゼロは驚きと期待が入り混じった表情で、この不思議な老人を見上げる。彼こそが王国の知の最高峰、賢者エルダー・ノアだった。ノアは長い間王都の魔塔まとうの塔主を勤めていたが、数年前に惜しまれながら引退し、今はこの人里離れたところで余生を楽しんでいたのだ。


「さあ、中へどうぞ。きっと疲れているでしょう」


 ノアの声には、温かさと同時に、何かを見抜くような鋭さも感じられた。


 この賢者との出会いが、どのような展開をもたらすのか、二人の心は期待と不安で胸が高鳴っていた。リリーはゼロを抱き寄せ、その小さな体の温もりに勇気をもらいながら、ゆっくりと賢者の家への扉に手をかけた。

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