第4話 唯一の証人

 ウイデオは孤児だった、そして魔女でもあった。

彼がハウェルの元で働くことになったのは、それなりの体格があることや気の利く点を評価され、最終的にグランクト家特有の勘に近い第六感から価値ある者と断定され、勧誘を受けたからだ。


 貧民街近くの下町の酒屋で働いていたウイデオはいきなり商家とはいえ、貴族並みの教育を施される家に引き取られ、眠たげにも見える目を大きく開けた。彼が十二歳、ハウェルが十五歳の時だった。


 十二年間、ウイデオはハウェルとその周りの人たちを見てきた。

だからといって仕事を疎かにしていたわけではない、ハウェルが結婚する二十七の時には、側近の一人になっていた。ハウェルの結婚式の時も同じ側近であるイラと共に、護衛として控えていた。いつも通り、ウイデオは視ていた。


 ウイデオの魔女としての力ー人の感情を色や温度として認識できるーは彼の場合、自分以外の人の感情が水彩の滲みのように視界を彩る。


 礼服に手袋を纏い、鮮やかな視界を調節するウイデオの隣から滲む緋色はイラのものだった。幼い頃から普段は意識して見たい色だけはっきりと認識できるように自主訓練してきた彼にとって、緋色が示す感情は経験で分かる。


(警戒)


 イラはウイデオほど貧しくはなかったが孤児であり、器用さと人好きのする笑顔が上手なとこを買われている。イラにとって、ハウェルに価値ある者と認められていることが彼にとって誇りであることは、同じ時期に引き取られた同期同然のウイデオ以外も知っている。


 これから来る奥様と呼ぶことになる方がハウェルに相応しいのか品定めするつもり満々のイラの笑顔は一見、主人の結婚を祝う下の者のそれに見える。隠せている以上、指摘する必要もないかと口角を上げずに、彼にやっていた視線を一瞬足元に落とし、心の中の苦笑に留める。


 初めて御二方が並んで歩いているのを見た時は、存在感のある旦那様の衣装や容姿とは別に滲み出る色があまりにも可愛らしいもので、初めて屋敷に連れてこられた時よりも大きく目を見開いてしまった。花嫁は小さく、見ていて心配になる色が出ている。


 旦那様の様子は色さえなければ、いつも通りに見える。ハウェルから滲み出る繊細な色が花嫁にかかっていく、慣れていない人間にとってはウイデオの視界は酷いものだろう。だが、ウイデオはその光景に頬が緩みそうだ。元々、出来れば奥方になる人と幸せに暮らしてほしいと願っていたのだ、希望を持つのも仕方ない。


 その日中に、ウイデオはハウェルにコルネリア付きを命じられた。

イラは容姿こそ認めたものの、まだ警戒しているようでようく監視しとくようにと言い残してハウェルについていった。


 思ったよりも、コルネリア様は早く屋敷に馴染んでいった。初日の不安が嘘のように明るい色が次々と滲んでいくのに安堵する。だが、夜になったりふとした瞬間に結婚式での色よりも濃い不安が溢れるのだ。それが、旦那様の気遣いを知る時に現れると気づくと何も言えなかった。


 最初の大きな変化は旦那様が結婚後、初めて仕事を終わらせてお帰りになられてからだった。

コルネリア様は確かに言葉を詰まらせていたが、不安や困惑の色に好奇心の色が、旦那様の後ろ姿を見送るコルネリア様から滲み出る安堵の色は旦那様の後を追っていた。


 その変化を確信できたのは、朝の散歩。

旦那様の優しい色をコルネリア様は見えないはずなのに、拾い上げるように歩く様は微笑ましいを通り越して不思議な光景だった。だが、二人が会話を始めて間もなく、否定の色がコルネリア様から一瞬で湧き上がる。それに、ウイデオは不安を覚えたが直ぐに色は霧散し、深く考える間はなかった。


 また暫くすると、コルネリア様は覚悟の色を濃くさせた、そして旦那様の前ではより誠実の色を。本格的に互いに歩み寄り始めたことに希望はウイデオの中で輪郭を持った。


 二回目の変化はバルジンド地方へ行かれた旦那様から手紙が届いた時だ。

ウイデオは庭園での力仕事を手伝っていたところ、郵便屋の青年から受け取ったのが濃淡ある紫色の薔薇の形に折られた手紙。一瞬、遊び心あるそれが旦那様からのものだと理解できなかった。


 コルネリア様にお渡しすると、目を見開いておずおずと受け取られた。そうして、優雅に立ち上がりながらも心は急いているのか、滲み出る色の動きはせわしなく動いている。手紙が嬉しいのかと思ったのだが、好奇心や安堵の色の方が強く、この間の散歩の時と同じく掴み損ねたまま、自室にお戻りになられるのを見送った。


 ハウェルとコルネリアは尊重し合って、互いなりの誠実を見せようとこそしていたが想い合ってる、通じ合っているとは別だと思えなかったこそ、ウイデオの中でコルネリアは、コルネリア様のままであった。

 コルネリアがウイデオの中で真に奥様となったのは、ヴェリタスの花の開花を見た夜だった。


旦那様から滲み出る可愛らしい色とコルネリア様のそわそわとした色が交じり合う様は、旦那様の一方通行だと分かっていても、どこか微笑ましい。ウイデオの目が見開かれたのは、逃げるばかりだったコルネリア様の色が旦那様へと寄り添い始めたからだ。


 周囲を警戒しつつ、会話と色の応酬、そして御二方の寄せ合った身体の隙間から溢れる紫水晶アメシストの光に胸を躍らせていた。美しい花に二人の色が同じ色に染まる。それから、朝日が差し込んでから数分もなかった頃、コルネリア様から今まで見たことがないくらい目まぐるしく明滅を繰り返す淡く儚い色が溢れ、零れ出た。


 色は感情、そしてその動きは心の動きそのものだ。それが溢れて零れているということは、コルネリア様自身、気づいたばかりもしくは受け止められていない。色も形も定まっていないそれを前にウイデオは、幼いときに数回しか連れていかれたことがない教会での祈りの時よりも澄み切った気持ちでいた。


 それからの日々は夢のようで、家令のムガンク様と共に一枚の美しい絵画のようにむつみ合う御二方を眺める日々。同時にコルネリア様、いや奥様は、郵便屋の青年を出迎えて直接手紙を受け取るほど、出張先からの旦那様の手紙を楽しみにするようになった。恋する乙女のように青年を迎えに行く姿を見て、イラが顔をしかめていたのは、奥様の美しさと雰囲気に当てられた青年が頬を赤く染めたからだろう。イラの中ではすっかり奥様と青年が想い合ってる図式が出来上がっていた。

 

 奥様を歪んだ顔をして見るのは流石にまずいので、そこは注意したが何も知らない状態であの様子を見れば恋仲にあると勘違いしても仕方ないかもしれない。魔女だということも、能力も隠したウイデオの進言が聞き入れられるとは考えにくい。イラは己の職務を全うしているのだと、何も言わなかった。

 だからこそ咎めた、イラがハウェルに報告しなかった事を。秘密主義と背中に投げられた言葉は自身の魔女だということを棚上げにしたことを非難する声に聞こえた。


 病に倒れたのに一番早く気づいたのは、メイドの一人だった。

奥様の髪をとかしている時、奥様は先日購入した日記について話されていた。これからの日々を綴るのだと楽しげに話されている最中に急に倒れたと、顔を青白くして語っていた。


 上がる熱、短い感覚の呼吸に使用人は奥様の前でこそ余裕の顔をしていたが、一階や仕事場ではバタバタと動き回っていた。ムガンク様も穏やかな顔を険しくしていた。結末がどうなるか知っていたウイデオも屋敷の雰囲気に合わせて緊張感を持っていた。


 魔女が病にかかるのは、寿命が尽きる時だけ。

 旦那様が到着される前に亡くなった奥様の死を家の人たちが嘆いた。どこか腫れぼったい目の使用人が出迎えた旦那様は奥様の死が噓だったのではないかと思うほど、いつも通りの表情をしていた。


 指示通り、ほぼ物を動かしていない部屋に奥様が生きていた時は入らなかった部屋に旦那様の足が迷いなく、消えていく。


 そこから先はウイデオはただ、周りを、人を見て過ごしていた。


 旦那様が明言しない限りは告げるつもりのなかった記録を無礼を承知で口に出すこと決めたのは、マギニトもハウェルも悲しい事実を形にして胸の中にしまうおうとする姿に、綺麗な思い出へ昇華しようとした脳裏に住む敬愛する御二方の並ぶ姿が引き裂かれるような危機感を覚えたからだ。


 何よりマギニトとハウェルの会話を聞いていたからずっと引っかかっていた事がある。



 晴れた空、使用人が目上の人間を二人も立たせたままにして馬車に誘導しないウイデオを咎めず、その向こうのハウェルたちを遥か遠くを見つめるような目で見るムガンク。彼はハウェルの父の代からグランクト家に仕える元秘書、家の格が上がった際、執事に転じた。ハウェルの幸せを願う一人であり、グランクト家の恋愛下手を知る者でもある。


「旦那様、旦那様がお送りした薔薇の形の手紙の色は白だったのですか」


 ハウェルのゆっくり開いた口から零れる音は、


「白だ」


「奥様は手紙を机の引き出しの中に仕舞われておりました」


 頭を下げたウイデオが言い終わる時には、ハウェルは彼の横を通り過ぎていた。


「ここで着いていくのは無粋ね」


「お送りいたします」


 ゆっくりとウイデオの前まで歩を進めたマギニトの声を確認すると、頭を上げて手を差し出す。後ろでは手綱の音と遠くなっていく馬の蹄の音が鳴っている。落ち着いたいつもの巫女長としての静かな笑みを浮かべ、マギニトはウイデオにエスコートされて馬車乗り場に向かっていく。

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