第3話 それは価値あるモノを見抜く目

  幼い頃、親父が俺の肩を抱いて言った、グランクト家の人間はモノの価値を見抜く力に生まれつき秀でている、代わりに愛し方が下手なんだと。当時の俺は意味が分からず、ただ黙って親父と一緒に、自室に一人で戻る母の後ろ姿を見送っていた。


 グランクト家は根っからの商家だ。一生をかけてより大きな利益を追求する。それを虚しいと思ったことはない。ただ、自然とそういう衝動に突き動かされる。


 俺が二十七歳になった時、縁談が持ち上がった。俺の代の時には既に資金、地位や権力も侮れないものになっていたからだ。まぁ、貴族共が先読みもせずに自滅しただけなんだが。没落貴族やその寸前の貴族が大量発生している今こそ、少し高い買い物もできる。


 結婚式の日、初めて見た瞬間、きっとこれ以上の存在はないと確信した。

ゆるく巻いたプラチナブロンドの髪、薄く張った氷のような長いまつ毛の下からミディアムスプリンググリーンの瞳が覗く。化粧していてもわかる、元から持つ色なのだろうライトピンクの唇がひどく神聖に見える。


「こちらで進めるからお前は誓いの言葉以外喋らなくていい」


 長く社交界どころか部屋で過ごしていた彼女だ。誤解されるようなことを言われるのもまずいが、彼女にとってもいい刺激とは限らない。幸い、まだここイングレア王国では女性の自主性はそこまで求められていない。妻が黙っていても礼儀作法さえしっかりしていれば何も言われなかった。


 屋敷にいよいよ迎え入れる時、緊張で組んだ彼女の腕を痛めていないか気掛かりだった。何一つ不自由させたくない。元々、妻として迎える者に最低限の礼を尽くすつもりだったが、彼女にはそれでは足りないと顔が歪みそうになった。


「お前は何もしなくてもいい。何かあったら使用人に言え。出入りしていい部屋は使用人が知ってるから移動するときは必ず誰か付けろ。あと、使用人にはお前のことを報告させる」


 病弱だったとのことだ、この広い広い屋敷に置いている使用人の数は規模の割には少数、途中で倒れたら最悪、発見が遅れるかもしれない。精神的負担になるかもしれんが、必ず誰か一人付けなければ。病気も何かあったらいけない、不快に感じるだろうが報告はやむを得ない。


 跡継ぎのために初夜は普通に過ごすつもりだったが、途端にできなくなった。彼女を汚す行為に思えてならなかった、娶っておきながらと今更感が募る。その時、親父のもう一つの言葉を思い出した、「恋に苦労し、愛に溺れてやっと相手が見えたと思ったら、そもそも自分は同じ島にすらいなかった。俺と母さんがそうだ。お前も恋に苦労するだろう、愛に溺れるかもしれない。だが、苦労する所も溺れる場所も間違えるな」


 意味は分からないでもない、恋に苦労は、きっと今してる。だけど自分と彼女が立っている場所がまるで見えない。


 イングレア王国の貴族女性が好む衣装の特徴は、同性の女性ほどではないが把握している。その中から元病人でも負担にならないような構造の服を使用人に選ばせた。だが、今思うとあの程度の店の服が彼女に相応しいのか。実は服はニ、三ほどランクが下のものを敢えて選ばせた。


 いきなり最高級のものをいきなり与えると、贅沢に慣れて散財癖がつくかもしれない。一級品を知るのなら世の中と共にだ。その考えで品を揃えたが、一刻も早く新調せねば。もし彼女が贅に溺れそうになったら二人で話し合えばいい。


「―以上が奥様のご様子でございます」


 出張先で聞く彼女の様子は思っていたより平気そうでほんの少しだけ安堵できた。同時に交渉時に感じた疑問点が確信に変わっていく。


(やはり、彼女は実家であまりよい扱われ方をしていない。病弱だったからか?厳しい家計で看病することが嫌だったのか。だが結婚と出産ができるまで回復してるしまだ二十歳、性格だってこの国の貴族好みだろうに)


 釈然としなさが頭の片隅に腰を下ろす。少々色ぼけて忘れていたが、会う前から彼女に対して疑問が多かった。情報が少なすぎる。医療品や医者を特に多く雇ったような記録はない。妾の子どころかメッサリア家の血を一切引いていない夫人とよその男との子かもしれない。


(だとしたら頭が悪いにもほどがあるな。確かに俺は偽物をつかまされた男だと嘲笑を受けるだろうが、夫人たちは詐欺を行ったとして批判を浴びる)


 彼女のことは愛しいが、それはそれとして彼女のことを守る基盤を強化するためにも調査は必要だ。だが…


「もう少し、生活を安定させないとな」


 彼女の趣味嗜好に合わせて屋敷の仕様が変わる度に俺は安心していった。でも、実際に様子を見るのも大事だ。出張帰りからの夕食は注意深く観察した。

 

「私、どうして、ここまでして頂けるのかわからなくて…。爵位しか、ないのに…」


 言わんことも分からなくもない。彼女が冷遇されていたと仮定すれば、受け止めにくいのかもしれない。やはり、早めに切り上げたのは正解だったな。


「俺は見合う物を見合う者に与えているだけだ」


 彼女を特別扱いしている自覚はある、だがこの言葉はなにも彼女のためだけのものじゃない。


 信頼できる人間にはそれ相応の対価を用意すべきだ。


 彼女の様子からして金に溺れる心配はなさそうだが、彼女には自分はこの品々に相応しい人間だと自信をもってもらえるよう努力しよう。


「悪いが、明日も早めに仕事があるから先に寝させてもらう。朝食は一緒にとろう」


 そのためにも俺はもっと稼いで、繋がりをつくり、地位を絶対的なものにしなくてはならない。その間に使用人と打ち解けてもらえれば、いざ俺たちが話し合いでぶつかり合っても彼女には逃げ場がある。俺は両親のように、他のグランクト家の人間と同じ末路は辿らない。


 朝、起きて一番最初におがむのは彼女の顔ではない。そんなこと、気にしてないわけではない。


「結構余裕がある。少し散歩しないか」


 よく眠れているのなら散歩も健康にいいはずだと、防寒用のストールを忘れずに持って外に出る。

気のせいかもしれないが、散歩をするか尋ねると、彼女の視線が一瞬、俺を留めたような気がする


 披露宴の時に気づいたが、彼女は歩幅が小さくて女性の平均的な歩行速度より遅めだ。それは身体的な原因よりかは精神的、注意深く観察しながら歩いているせいだ。だから、俺が横にいるよりも彼女の速度で辺りが見回せるよう視界より少しずれている方がいいのかもしれない。


 庭園の中心近くまで歩いただろうか、最低限の動きで時々伺う彼女は、花々に目を落としていた。

どんな花が好きなのか、それくらいは俺が聞いても大丈夫だろうか。


「コルネリア」


 交渉時以外も疲れ知らずの口の動きが遅くなるのはきっと、彼女についてだけだ。緊張のあまり名前で呼んでしまった。神々よりもよっぽど尊い名の持ち主はすごい勢いで顔を上げる。


(嫌悪感は…ないな。純粋に驚いただけか…)


 不快に思われていないようで安心する。


「こういう花は好きか」


 今この周りに植えてある花は赤や紫系統のものが多い。どちらも式典とかでお偉いさん方が着る服に最もよく使われる高貴を象徴する色だ。


「私は、黄色が、好きです」


 初めて明確な意思を見せてもらった気がした。


「そうか」


 よし黄色の花を買おう。露骨に一気に増やしたり、そればかりにすると景観が流石に損なわれる。


(庭師に相談しなければならないな)


「旦那様はっ、何色がお好きなんですか?」


 振り向いた時、一歩だけ距離が縮まっていた。けど目がこっちがこっちを見ている。その事実を息と一緒にのんでしまったからかどうも苦しい。


「色に、特にこだわりはない」


「そう、ですか」


 嘘は言っていない、だがどこかしぼんだような声を聞くと噓でも色の名前を呼ぶべきだったか考える。

その日はそれで終わった。



 あの朝から散歩の回数を増やした。勿論、コルネリアの負担にならないよう様子を見ながらだ。結婚して半年、コルネリアの名前も呼びなれた。だが、呼べることに感謝を忘れる日はなかった。黄色の花が馴染んできた庭園を、最初の時よりかは近くなった距離を確かめながら歩く。


「次はバルジンドの方に行く。土産は何がいい」


 考え込むような仕草に入るコルネリアを見て不安になる。


(やりすぎたか?)


 思考を邪魔するような強風がふく。


「大丈夫か」


「は、い」


 一瞬とはいえ、コルネリアの身体に悪い。


「コルネリア」


 片手で袖を掴んで直そうとした瞬間、映ってしまった。腕にある三日月の痣と呼ぶには綺麗な印。それの弧をえがいている部分、内側に向かう曲線が下を向いている。その意味が何を示すか知っている、魔女だ。月女神から力を盗んだ悪しき生まれながらの罪人。


「?ハウェル様? ッヒュッ!」


 また身体に悪そうな音に反射的にコルネリアに目を向ける。


 怯えている。どうしてそんな顔をする、これの、印のせいなのか…。

なら、隠そう。


(お前と同じものを俺も恐れよう。そうすれば…同じ場所に立てるだろうか)


「は、ハウェル様」


「身体が冷える」


「え?」


 印がコルネリアを苦しめる、俺にはそれを取り除くすべはない。


「このストールだけじゃ足りないな。もう少し厚めの生地で仕立てさせよう」


 印を見られるのが怖いのなら隠せばいい。ストールをいつもより強めに巻いている自覚はある。


(お前ならどうする、それとも聞くことすらも辛いのか)


「あの?」


「中に入るぞ」


 有無を言わせない雰囲気を出している自覚はある。でも冷え切ったようなコルネリアの顔を変える方法が俺には思いつかなかった。


 俺は特に話題にも出さずに、コルネリアも何も言わず日々は過ぎていった。

そんなある日、久しぶりの休みの日に突然コルネリアが俺の前に飛び出すように立ちはだかった。といっても仁王立ちではなく、足を揃えて小さく身を収めている。


 廊下を部下たちを引き連れて歩いていたから部下が波のように素早く側に控える。


「ハウェル様っ、今、お時間よろしいでしょうか」


「構わない」


「ありがとうございます」


 息を軽く吸って話し始める。


「ハウェル様、私が外で活動するお許し下さい」


 そう言って再び頭を下げるコルネリアに驚いたが、仕事で緊急事案には慣れている俺の表情は変わらない。


「つまり?」


 いくらコルネリアだろうと安易に許すわけにはいかない。彼女のためにも、外の世界のためにも。


「知識には自信があります。孤児院で孤児たちを助ける手伝いをさせて下さい」


「その知識が、孤児たちに必要だとどうして分かる」


 確かに俺は強欲と言われる商人で、その自覚もあるが、人に叶いもしない夢を騙して見せるほど残酷な真似はしない。


「新聞で、孤児院が雑草処理の仕事を募集しているのを見ました」


 何が仕事に繋がるか分からない、その記事の内容は覚えていた。写真には、実際に孤児たちが雑草取りをした院の横にある庭の一部が載せられていた。


「それで」


「雑草として処理されてましたけど、あれは食べることができるんです。調理の仕方も知っています。それだけでは、ありません」


 息を大きく吸ってまた話し始める。


「写真に写っている、他の植物も色んなことに利用できます。生活物資も節約できるかと」


 コルネリアの腕にある魔女の印を思い出す。


(昔の知識、か…)


「何と言って協力するつもりだ?」


 その知識が本物だとしても、孤児たちや彼らを守り経営する者たちがそれを素直に信じるとは思えない。


「じっ、実演します。目の前で」


 覚悟を決めたような顔を見て、こういうことは初めてではないと何となく感じた。


(勘なぞ俺らしくない) 


「護衛を付けさせる。俺の妻だと分かれば怪しまれしないはずだ」


「ありがとうございます」


 頭を下げるコルネリアの腕と背中にできるだけ優しく触れて、歩くよう促すとまた慌てたように急いで俺の後ろを歩く。



 彼女が孤児院に無事、居場所ができたと知ったのはバルジンド地方に着いてしばらくしてからだった。


 バルジンド地方での商談自体は上手くいった。だが、腹立たしいことにコルネリアに送る土産を積んだ船が突発的な嵐によって沈んでしまった。部下たちは無事だったが回復までに時間がかかる。


「はぁ、まさかこんなものを利用することになるとはな…」

 

 観光客用の手紙を購入してコルネリアへの伝言を書く。


「これを」


「申し訳ございません、お客様。こちら、薔薇の形に折っていただいてから出すというのが決まりでして…」


「ふん」


 受付の男が手で折り方が描かれた貼り紙に視線を誘導する。出来上がりの形を見ると薔薇のようだった。白い用紙を綺麗に折りたたんでいく。受付に渡してそのまま任せると俺は宿に戻った。うんざりした気持ちで寝室に寝転がる。コルネリアの態度が変わったのは、バルジンド地方から帰ってからだった。


「おっ、お帰りなさいませっ」


 馬車から降りて門を過ぎるとコルネリアが使用人たちを引き連れて俺の出迎えをしていた。今までも迎えてはくれていたが、屋敷内だった。今回のように正門を出てすぐでの出迎えは初めてだ。


(悪くないな)


「身体が冷えるだろう。とっとと戻るぞ」


「はっはい」


 いつもは一歩丸々空いてた距離が半歩になっている。ちらりと視線を向けると、コルネリアが足早になっていた。彼女に向けた視線を右後ろを歩いているウイデオに向けると心得たように近づいてくる。


「失礼いたします」


 ウイデオが俺の上着を歩きながら脱がせてくる。それに合わせて自然に歩く速さを落とすとコルネリアとの半歩の距離が安定したものになる。


 それから俺とコルネリアとの距離は半歩になった。そしてある日の夕食のこと。


「明日、ヴェリタスの花が届く。見たがっていただろう」


「あ」


 いつかの散歩で珍しく緊張した様子ではなく、図書室にあった童話集について笑みを見せて話していた。彼女が一番、顔を輝かせていたのは夜だけに咲く花について話している時だった。


 彼女は植物や自然に関して特に興味を示している。童話の中にある花は現実には存在しないが、よく似た性質の花なら知っている。その中で一番綺麗な花は、と選んだのがベリタスの花だ。


「ありがとうございます」


 過去の自分の発言を思い出したのだろう。途端に身を縮こませて礼を言われると失敗した気分になる。


「あのっ、明日の夜、お時間ありましたらっ、い、一緒に、見ませんか?」


 気を遣っているのかもしれない、そう思いながらも誘惑には勝てなかった。


「あぁ、構わない」



 届いたベリタスの花は蕾の状態で夜になったら開くように調整された状態だ。灯りが無いから少し危険な分、周りに配置する夜目の利く部下を増やす。


 庭園に出ると、雰囲気を崩さないため少し時間をずらして出るように指示した部下たちが音もたてずに配置につく。


「ハウェル様、綺麗ですね」


 花を見て目を輝かせるコルネリアが眩しく感じる。


「あぁ」


 せっかくだからとコルネリアに持たせた花は蕾のままだが、まだ磨かれていない紫水晶アメシストのような鉱石じみた光りをみせている。


「あ」


 開けた庭でも満足にない月明かりの下、コルネリアと身を寄せ合うように花をのぞき込む。すると、花が月光に反応したのかぴくりと微かに動いた。


 月光に花が反応したと思ったのか、コルネリアは花を明かりが当たる位置に腕を動かす。


「開いてきました…」


 開花に集中しているのかいつもよりは真っ直ぐな声だ。


「あぁ」


 コルネリアがゆっくりと顔を見せるように開ききった花の美しさに感嘆の声を漏らす。


「こんなにも美しい花があるのですね」


「…そうだな」


 正直、花よりも紫水晶アメシスト色の花びらに反射した光に照らされたコルネリアの方が美しかったが、あまり彼女に集中し過ぎて花をむしろにするのも悪いと思ったので素直に共感しておく。童話や御伽話には興味は無かったが、コルネリアにとって大事なら俺も丁寧に扱う。


 噂に違わないきらめきを持つヴェリタスの花、宝石を薄く切ったような繊細な紫色は光や角度によって色んな表情をみせる。職業上、装飾品や美術品を見慣れている俺ですら、神秘的なものを感じる。


 そうやって眺めていると、蒼から白の濃淡の光に黄色味が混じっていくのに朝日が昇っているのかと目を眩しさから守るため細める。


「もう朝が、申し訳ございません、長く付き合わせて…」


 少し下からコルネリアの消え入りそうな、慌てているような声がした。


「いや、今日は休みだ。問題ない」


 そう言って振り返るとコルネリアの薄緑色の目が朝日を吸い込むように開く。


 朝に星のように瞬くそれに一瞬、言葉を失う。

コルネリアも何故か何も言わずに眩しいだろうに、光を瞳に受け続けていた。


「コルネリア」


「はい」


 音だけに反応したような呆けたような返事。


「ハウェル様」


「なんだ」


 珍しく顔色を伺ったような呼び方じゃない事に喜びと違和感が混じる。


「お隣を歩いてもよろしいでしょうか」


「構わない」


 少しぎこちないがゆっくりと花を両手で抱えたままコルネリアが俺のとなりに並ぶ。緊張しているのか顔はうつ向いている。


「手を」


 月明かりが当たるように移動したそこは、階段がある。腕を組んだ状態では危ないため、手を差し出す。


「はい」


 そっと置かれた手だ。階段を降り始めると少し俺の手を掴む力が強くなった。だが階段を降りても緩まない、といっても微々たる力だ。それに浮き立つ心のまま握り返すのをこらえた。


「あ、あの」


「なんだ」


「お手紙、とても、嬉しかったです」


「ただのつまらん言付けのようなものがか」


「ハウェル様のっ、ハウェル様が直接書かれたものでしたので…」


「そうか」


 どんな装飾品を手渡した時よりも柔らかい溶けそうな瞳に目を奪われる。水が目に張っているせいなのか、その理由も分からないが俺の中では出張先で手紙をコルネリアに出すことは決定事項になった。


 またそれから生活が変わった。

コルネリアは孤児院での活動で自信がついたのか、俺と目を合わせての会話が増えた。散歩も朝だけでなく夜も時間が取れれば庭園を歩いた。


 そうしていくうちに、花や空を、互いに別々の所を見る時間よりお互いの顔を見る時間が増えた。見つめ合うも俺の表情は無愛想なまま、つまらないだろうにコルネリアは笑みをにじませる。

 少し大きめの日よけ傘の中、特に理由もなく互いの手を握る幸福の時間をどう表現すればいいのか俺には分からなかった。


 その頃からだった、コルネリアの周りに怪しげにうろつく人が増えたと報告がされたのは。


「ウイデオ、イラ。誰が何の目的でやっているのか徹底的に調べ上げろ」


「はっ」


 調査書は思っていたより早く上がってきた。口頭でも報告させたところ、イラが何か隠しているのを感じた。


 自慢ではないが、部下から信頼を寄せられている自覚はある。イラが金で動くとも考えづらいが、必要な情報を隠すほど愚かではないはずだ。

 後で問いただすことを決めて俺も相手、巫女たち含めて聖域についての本格的な調査を始めた。隠す気のない様子に拍子抜けといかないまでも、当てが外れた気がした。


 俺が相手にしてきたのは、常に欲を腹の内でうず巻かせている連中だ。

巫女たちは根本的に違う、背後にいるのは巫女長だろうが害がない以上、面会の申請が通るとは思えない。監視と調査は続行させた。


 コルネリアが亡くなる数日前、彼女が病に倒れたと出張先で知らせが入った。手の中から滑り落ちそうになる書類は一気に噴き出した汗でとどまっている。


 魔女、生まれつき特殊な力を持つ者の特性の一つ、それは病にはかからないこと。もし、病気になったのならそれは、死がちかいということ。寿命には逆らえない、医者も、意味などない。


「…医者は」


「既に」


「もっと腕のいい医者は」


「ちょうどここに滞在していると、手配致します」


「あぁ」


 乾いた唇から出る声が震えないことに苛立ちと安心を覚える。


(向こうにはウイデオがいる、俺がやるべきことは…)


 無駄と知りながら医者や物資の手配をするたびに虚しさが積もっていった。


 コルネリアの肌が晒される事ないようウイデオには命じている、コルネリアの印が暴かれることはない。後は彼女の死と魔女だという証拠も事実も残さずに死後の管理を徹底することだ。




 帰路、コルネリアが眠るように死んだことが報告された。

俺が着くまで、決してコルネリアの側を離れるなという命令を忠実に守ったウイデオが、彼女の部屋に入った俺をいつも通りの姿勢で迎えた。


「通常業務に戻れ」


「はっ」


 部屋から遠ざかる音を確認してから俺はベッドの側に近づく、コルネリアの顔は眠っているように静かだ、と言いたかったが


「君の寝顔もこうなのか?」


 コルネリアが生きている時できなかった添い寝の真似事をすると、プラチナブロンドの髪がわずかに、さざ波を打つように動く。前は、船を送り出すような波を、彼女は立てていたはずだ。


 人生で初めての損失、なのに涙も叫び声も出ない。 

愛する人を失うと小説では心や身体が引き裂かれるようだと書き連ねるが所詮は妄想だな。


 結局、最期まで俺どころか彼女の立っている位置は見えないまま、あがく場所も握る手も失った動かしやすい両手だけが残った。


 時計の針が刻む音が明瞭になって頭に響いてきた、習慣で思考の切り替えが嫌でもされる時間だ。


「仕事に戻る」


 聞こえるはずのない音をいつも通り残して部屋を去ろうとした。ベッドに手をつくと重みでできた斜面を滑った何かが手に当たる。


「本…」


 あえて触れずに、コルネリアの側に放置されたような位置にあったそれを手にとって観察する。赤い厚みのある新品の日記帳の紙は黄色味がかって、まだ新品に見える。開くと、たった一行だけ書かれたページが現れる。


「今度は両腕いっぱい、抱えきれないほどの紫の薔薇が欲しい」


 それがお前の願いなら。

俺は直ぐに必要なものの手配にかかる、葬儀準備に庭園の設計と同時にある計画書の執筆。


 これまでのコルネリアの成果は全て記録している。孤児院で部下が受け取った書類の写しに押された判や署名を確認して纏めていく。申請書を完成させたらいつもは部下に提出を任せるところをイラを伴って外出する。


 帰宅して直ぐに計画書の執筆にかかる。手を動かしながらコルネリアの出生について考えていた。彼女は貴族の娘ではない。恐らく、ニ百年前の平民、村娘。魔女特有の力を買われたのか、誘拐かは不明。そう考えれば、メッサリア家が長年に渡り勢いを殺さず急成長した理由も分かる、そしてその後の没落も。どこかで知る人間が死んだとしたら、何も知らない連中がコルネリアをお払い箱とばかりに俺に差し出した理由がつく。


「やることが多いな」


 俺はコルネリアの死んだその日からいくつもの計画と同時に通常通りの業務をこなしていった。


 


「貴方は…お姉ちゃんを愛していたの…」


 喜び、疑心が同時に沸き上がり頭に到達させていいものかと迷っている。


「そう…そう…」


 愛の言葉無しの告白が、この男においては何よりの信用するに足る証拠になることがいっそ笑えるのか力なくハウェルの真実を受け入れる。


「そう、少なくても、貴方には…、たとえ彼には…、っ?!」


 気が抜けたのか、自身が口走った言葉に気がつくのが数秒遅れたマギニト。目を開き焦った顔になる。

マギニトはコルネリアを見つけた日から気を張った日々を過ごしていた。彼女が死んでからは、疲労感が抜けぬままハウェルを探り、巫女としても老体の身体に鞭打ってきた、仕方のないことではあった。


 恐る恐るハウェルの目を警戒するように見るが、ハウェルの黄金の目は無機質さを覚えるように波一つたてない。


「郵便屋の男のことか?」


「知っていたの…?」


 その声の真っ直ぐさからは怒りは感じない。


「コルネリアが誰を愛そうが構わない、関係ない。重要なのはコルネリアの気持ちだ」


「いえ、奥様が愛しているのは旦那様でございます」


 心がこもっているのか分からないようなハウェルの表情。ハウェルが重々しく落とした音をいつの間にか止みかけている雨がよく通した。その瞬間、水滴を落としながら近づく傘の持ち手の青年は、二人の視線を浴びる中、丁寧な手つきで傘を閉じる。


「俺がいない間、何を見たのか知らないがお前にそれを決める権限を与えた覚えはない」


 接近していたことに驚きもせず、冷静に返しているように見える。だがマギニトには、初めてハウェルの瞳が揺らぎ、外の天気に干渉されない鏡のようなそこに、此処とは別の景色が映った気がした。


 それをウイデオも感じ取ったのか眩しいものを見るように目を細める。


「ずっと拝見させていただいておりました」


 それだけで何が分かると言う者が一人もいなかったのは、ウイデオが瞬きした刹那、空にかかる七色よりも鮮やかな虹色に光ったウイデオのまなこに気づいてしまったからだ。


 ウイデオは片手に雫を地面に落とす傘を持ったまま、もう片方の手でネクタイを緩める。


「観察は好きですし特技でもあります。旦那様に認められているこの能力は私の誇りにございます」


 片手で器用にぼたんを外しシャツをずらす。


「人様に言える力でなくとも、御二方の過ごされた時間、あの光景をこの目で見れた私は幸せ者にございます」


 ウイデオの左の鎖骨の下には内側の弧が下に向く三日月の痣、魔女の印が刻まれていた。

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