第13話:愛の試練②



「ここからはね、色んな障害物を乗り越えていく試練だよ」


 イヴァン曰く、ここからはエドアルドに三つの困難が振りかかるらしい。

 言葉のとおり、まず低層階では階段の至る所に括り付けられた柄の長いほうきが行く手を阻み、エドアルドは障害物を前にする度に飛び越えなければならないという状況に追いやられた。

 一本、二本程度なら余裕だが、何十本ともなると大幅に体力が奪われる。しかし、エドアルドは文字通り肩で息をしながら長い足で跳躍を続けて見せた。


「これ……僕なら途中で倒れてると思う」

「でもボスなら大丈夫!」

「であって欲しいけど……」 


 二人が話している内にも箒の苦行は続き、初めは勢いがあったエドアルドの進みが次第に遅くなっていく。


「エド、本当に大丈夫かな。かなり苦しそうだけど……」


 命の危険はないと思うが、それでも辛そうな顔に代わりはないし、額も汗でびっしょりと濡れている。映像に彼の心の声までは映し出されないが、今きっと極限状態の焦燥に胸を痛めていることだろう。許されるならすぐにこの部屋から飛び出し、エドアルドのところに行って「僕は無事だよ」と安心させてあげたい。気持ちを疼かせながらいつ立ち上がろうか考えていると。


「あ、ボスが箒の試練を突破したみたいだよ!」


 イヴァンの明るい声が、セイの一歩を止めた。モニタを確認すると、すでに障害物のない場所を進んでいるエドアルドの姿が映っている。どうやら試練の道を無事に通り抜けたようだ。


「よかった……」


 これで一安心と、セイは安堵の息を吐く。だがそんな心ゆるびも束の間、まるで機を見計らったかのように、上階から大量の焼き菓子がエドアルドの頭上に降り注いだ。


「何あれっ?」


 バラバラと音を立てながら散らばる菓子入りの小袋に、エドアルドがぽかんと口を開けて立ち尽くす。見ているセイも双子のシンクロのように、同じ顔で画面を見つめた。


「あのクッキーはね、昨日の夜、皆で作って一個ずつ袋詰めしたんだ! 確か百袋以上はあるはずだよ」


 可愛い悪魔の話によると、あの場には『セイへの愛の分だけ小袋を持ってくるように』という指示紙とともに、中の一つに監視室へ入る鍵が隠されているのだそうだ。


「ボスなら絶対一つ残さず持ってくると思うよ! だってセイへの愛が、試されてるんだもん!」


 邪気のない笑みに、セイはもう乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。

 唖然に続く唖然な展開の中、指示紙を読んで状況を把握したらしいエドアルドが、小袋を一つずつ拾いながら確認していく。

 その姿を見ながらセイはイヴァンに声をかけた。


「ねぇ、イヴァンはエドが大好きだから、こんな悪戯を始めたんだよね?」

「え? 勿論、ボクも皆もボスのことが大好きだけど……」

「うん、そっか」

「セイ?」

「ううん、別に何でもないよ」


 イヴァンたちはエドアルドが大好き。その言葉が本当なら、今し方不意に浮かんだこの予測は当たっているかもしれない。セイは納得の表情を浮かべて数度頷いた。

 モニタの中では菓子の中から鍵の入った小袋を見つけだしたエドアルドが、再び階段を登り始めている。


「さて、次は何があるのかな?」

「次が最後だよ。多分、次は今までの中で一番びっくりすると思う」

「びっくりかぁ、何だろうね…………って、もしかしてあれ」


 エドアルドの姿を捉えた画面の足下が、白く染まっている。いや、染まっているというよりも、何かがコンクリートの階段一面を覆っているといった方が早い。

 白い布でも綿でもない。楕円形の小さな玉のような物体。


「あれって、まさか……卵?」

「凄い、よく分かったね! ……って言いたいけど、ブッブーだよ。あれはクッキーを作るときに使った卵の殻を使った、ニセモノの卵だよ!」


 階段に敷き詰められていたのは卵の殻で間違いなかったが、どうやら中身が違うらしい。イヴァン曰く、食べ物を粗末に扱っちゃだめだからね、だそうだが。


「じゃあ、あのニセモノの卵の中には何が入ってるの?」

「踏んだ感触が最悪なドロドロの液体だよ! 身体に害はないものだけど、中身はキギョウヒミツ!」



 それは液体の正体が本当に企業秘密のものなのか、はたまた聞いたら気分が悪くなるからか。

 気になったが、ここは言及しないほうが身のためだろう。

 しかし、こんなものいつの間に用意したのか。セイたちが最上階に登ってきた時は一つも置かれていなかったのに。

 卵の絨毯という圧倒的な景色に、エドアルドも言葉を失っている。ただ、純粋に卵の量に驚いているこちらと向こうでは、考えている意味が違うだろうが。


「ボスって足が長いけど、さすがに十段の階段を一跨ぎじゃ登れないよね」


 確かに、いくらエドアルドでも容易に越えられる段数ではない。しかも、今の彼の腕には愛の強さを確かめる大量のクッキーが積まれていて、卵を拾って退かせることもできない。

だが、そこを進まなければセイが捕まる管理室には辿り着けないとなると、選ぶ道は一つだけ。


 エドアルド大きく深呼吸してから、ゆっくりと真っ白の殻の上に足を進めた。


 パキ、グチュ、クチャ。


 成人男性の体重に耐えきれない卵が、生々しい音を立てながらエドアルドの足下で無惨に割れていく。


「う……わ……」


 裸足の状態でドロドロの液体が入った卵を踏み割る。その感触は想像しただけで筆舌に尽くし難くて、頬が勝手に引き攣った。

 絶対に気持ち悪いはずだ。なのに、エドアルドは一度として足を止めることはなかった。一歩一歩確実に前へと進み、とうとう監視室の扉の前まで辿り着く。そして。


「エド……」


 カチャン、と鍵を開錠する音が響き、扉が性急に開かれた。


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